牟田口廉也

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

ノーベル賞受賞者
受賞年: 1944年
受賞部門: ノーベル殺人賞
受賞理由: インパール作戦
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牟田口廉也(むたぐち れんや)とは、盧溝橋事件日中戦争勝手におっぱじめたり、ビルマ(現ミャンマー)からインド北東部にかけてのジャングルで日本軍3個師団をほぼ全滅させたりした連合軍の軍人で、史上最強のスパイ。コメディアンでもある。その謀略のあまりの巧みさと戦いでのあまりの強さに、日本兵から「鬼畜牟田口」「無茶口」などと恐れられた。Saga Prefectuer出身、最終階級は中将。後に日本軍人と間違えられて戦犯として起訴されかけたが、勲功の大きな連合軍人であることが発覚して釈放され、天寿を全うした。

目次

[編集] インパール作戦における活躍

牟田口の勇名を全世界にとどろかせた有名な戦い。連合軍の将軍でありながら日本軍の司令官として潜入していた彼は、ビルマ駐留の日本軍を殲滅する作戦を立案した。その作戦は恐るべきもので、

  1. 日本陸軍第15軍の3個師団8万6千をインド北東部の都市、インパール攻略のためと称して雨季に出撃させる。
  2. 行軍ルートは川あり(川幅600m)山あり(標高2000m、年間降水量9000mm)の悪路三昧。
  3. 物資輸送を食糧を兼ねた家畜に頼る(ジンギスカン作戦)日本軍の補給が鈍重で困難を極めるところを爆撃、補給路を切断。
  4. 連合軍は15万の大軍で迎え撃ち、長期戦に引きずり込む。
  5. そんな中、自分は料亭で芸者と豪遊し、その姿を日本軍に見せ付けて戦意を奪う。
  6. 弾も食糧もなくなってへろへろ…飢えで日本軍壊滅。

というものだった。

この作戦はまんまと図に当たり、日本軍は参加8万6千のうち戦死3万2千(ほとんどが餓死)、戦病4万(ほとんどが栄養失調)の大損害を出し、ほぼ全滅した。作戦の成功を確信した牟田口は、日本軍の敗残部隊を恐れていち早く前線から逃亡する。なお、3万2千の死体が累々と横たわる日本軍の壊走路は「白骨街道」と呼ばれた。

あまりに陰惨なので詳しくはクソまじめな辞典の方を読んでくれ…

[編集] コメディアンとしての活躍

なにもいうまい…とにかく面白すぎです…

  • 盧溝橋事件の直後、怪我もしていない腕を包帯でつって会合に出席。
  • インパール作戦中、司令部に清明荘という料亭を併設。毎日午後5時に仕事を切り上げ、その後は芸者とハッスルハッスル。
  • しかもそのハッスルぶりが英軍に筒抜け。前線の日本軍に対し逐一報告される。
  • インパール作戦中、司令部の裏手に祭壇を築かせ、作戦指揮そっちのけで毎朝戦勝祈願。
  • インパール作戦中に栄養失調でふらふらの将校への訓示
…皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って…
これを1時間以上やったものだから、み~んな倒れた…こりゃ訓示というよりある種の攻撃だわ…
  • 周囲には「失敗したら腹を切れ」と難詰。でも自分は絶対に自決なんてしない…あ、そうか、失敗じゃなくて大成功だったね
  • ある日の参謀との会話
牟田口:陛下へのお詫びに自決したい…
参謀:昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります。
ここまで言われても絶対に自決しない…でも、実はこの参謀のほうがいい味出してたりするかも…
  • 終戦後に経営した中華料理店、その名も「ジンギスカンハウス」

[編集] 右翼最大の悪夢

あまりにも凄すぎるその戦歴のため、ネットウヨたちにとって最大のタブーとなっている。ネットウヨたちがどんなに日本を持ち上げたとしても、彼の存在によって全て崩壊してしまうため、誰も中国戦線を語りたがらない現象が起こっている。なお、東条英機に関しては様々な擁護論もあるが、彼についてはそのようなものは一切ない。あってたまるか

[編集] 関連項目