犬神松子
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
犬神 松子(いぬがみ まつこ)とは、信州の素封家・犬神家の頭首犬神佐清の気丈な母である。また「隠し事のない明るい家庭」を標語に、教育界に大きな足跡を残した賢夫人である。
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[編集] 犬神三姉妹
犬神財閥創始者佐兵衛の長女として生まれる。異母姉妹に竹子、梅子がおり、犬神三姉妹あるいは松竹梅三姉妹とも呼ばれた。 その美貌とセレブぶりが広く知れ渡り、松竹歌劇団のスカウトの話もあったが、大正末期の関東大震災などの混乱で その話は立ち消えになった。しかし実際は末娘梅子を排除して「松竹姉妹」の名でデビューさせようとしていた松竹グループの意向に松子が激怒したためとも言う。松子はあくまでも三人姉妹での芸能活動を望んでおり、犬神家の家宝にちなんで「よき・こと・きく」の芸名でデビューするつもりであったという。松子の妹思いが伝わる挿話である。
[編集] 琴の名手
芸能界にスカウトされるだけあって、その琴の演奏は盲目の香琴師匠を驚かせる上達ぶりであった。傷で指を痛めたときも その音色の狂いは知られることがなかった。自分に降りかかる災難を耐え忍び精進する性格は、この時期に形成されたものらしい。
[編集] 岸壁の母
夫を早く亡くした松子は、女手一つで一人息子佐清を慈しんで育てた。しかし折悪しく戦局が厳しくなる中、 昭和16年佐清は召集を受け、激戦で名高いビルマ戦線へと駆り出された。出征した息子の無事を祈るべく、手形を神社に奉納 したことはよく知られている。国防婦人会の激務をこなす一方、自慢の琴の演奏によって各地の兵士を慰問したことも この時期の賢夫人ぶりを示すものとして知られている。
しばらく安否が判らなかった佐清は昭和22年に復員。その際、松子は復員でごった返す福岡の港にまで出向いて息子を探し回った。福岡でも佐清は容易に見つからず、岸壁に乗り出した嗚咽した松子の姿に、人は誰しもは涙したという。しかし事実はもっと残酷だった。佐清との対面で戦禍による顔面損傷の甚だしさを知ることになるのである。
[編集] その面を取っておやり
息子を庇うように犬神本家に戻った松子を待っていたのは、冷酷な父佐兵衛の非情な遺言であった。犬神三姉妹から相続権を剥奪し、しかも赤の他人に財産が奪われる、このことを知って松子は愕然とした。しかもその時、息子佐清の顔の傷を隠していたマスクを人前で取れというのである。松子はここで意を決した。わが子であっても、家庭の中で隠し事があってはいけない。すかさず口をついた彼女の言葉が、よく知られている。「佐清、その面を取っておやりッ!」この言葉に居合わせた人々は非を悟り、息子を庇いつつ、真実を隠さない松子夫人の堂々とした態度に心打たれたのである。自分の仮面を剥ぎ取ること、これが彼女の人生を大きく変えることになっていく。
[編集] 隠し事のない明るい家庭
後年、松子夫人は青少年育成問題にたずさわり、「隠し事なく、何でも話せる、明るい家庭」を標語に、全国津々浦々を行脚して講演を行い、日本の教育界に大きな足跡を残したのである。あの、ヤンキー先生も松子夫人の、誠心誠意を大事にする教育に胸打たれたと告白している。ヤンキーの過去は恥ずかしくない、隠そうとする自分が恥ずかしいのだ、と。このように松子夫人の母心によって、ヤクザな生活から足を洗い、教師になった人は、相当数に登るらしい。 なお息子の佐清は、母の教えを守り、身体的なハンデにもめげず、ノーマライゼーションの充実を訴えつつ、日本初の男性シンクロナイズドスイミング選手として1964年の東京オリンピックなどで大活躍した。映画「ウォーター・ボーイズ」でも演技指導を担当していたが、不幸にも郷里の湖で水泳中、心臓疾患によって、水面から足を突き出したまま死亡した。
と思ったらいつの間にか男塾パワーで復活しており現在も信州を牛耳っている。

