犬養毅

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「話せばわかるってか!結局このザマだ・・・。」
犬養毅 について、当時の大日本帝國

太養毅(ふとかいつよし、安政2年4月20日(1855年6月4日) - 昭和7年(1932年)5月15日)とは、大日本帝国の29代目内閣総理大臣。おじいさんになってから総理大臣になって、多分在任中に病死だろうなと思ったつかの間、ピストルで撃たれて、その後「話せばわかる」と言ったことは有名。あと、犬は飼ってないからね!

経歴[編集]

生い立ち[編集]

岡山県岡山市のほうで生まれる。あの宇喜多直家を輩出した土地の生まれだったので、薩長の連中からは「変節漢に違いない」というネガキャンを浴びせられた。そして結構飛ばして18歳。あの慶応大学に入ったらしい。そしてさらに飛ばし1882年。そこからずーーーっと政治家やってきた。なんか大臣いろいろやったらしいがちょっと飛ばす。そして富士見で立てこもり、政界引退したい。そう言ったのに地元の岡山県民の身勝手さゆえに岡山県民が勝手に立候補して当選させ続けた。身勝手にもほどがあります。岡山県。

知名度はアジア全体の中でガンジーと並んでる。というか日本人の歴史上の英雄は織田信長坂本龍馬を筆頭に残虐な奴と胡散臭い奴しかおらず、彼や北条泰時ぐらいしかアジアの人からも賛美されるような人格者がいなかったのである。それでも日本国民は知らない。だって、ガンジーと並んでる人の名前見ても分からない名前ばっかりなんだもん。

そして総理大臣になりました。本当にありがとうございました。

暗殺[編集]

暗殺寸前の姿。

それは良く晴れた日曜日だった。のどかないい日だった。夫人も秘書官も護衛も外出していた。公邸でくつろぐ犬養は鼻の治療を受けていた。体内に異常が見られなかったため、犬養が、

「あと100年は生きられそうじゃい。ホッホッホ。」

と小粋なつまらないジョークをかましてると、夕方5時30分頃。警備もそれほどかかってなかったので軍の学校の生徒一団が、ピストルをふりかざし乱入。だから犬養は、

「コチラへどうぞ」

と応接室に少しも慌てずに連れてった。そして応接室から

「撃つぞ」

「撃て」

という声が聞え、ピストルの音がなった。そして女達がやってくると、犬養は鼻の穴から血を流していた。

「いま撃った男を連れてこい。よく話して聞かすから。話せば分かる。」

と言って亡くなったそうな。


ここまでが感動的な暗殺ストーリー。これはウィキペディアに書いてあったことである。ウィキペディアらしくない表現だなとか思っていたら、名言って、死ぬ間際しか言ってない。ということは、ガンジーと並ぶ意味ない。とか思っちゃいました。

余生[編集]

多分天国に行って、今生まれ変わってアザラシになってると思う。

最後に一言[編集]

バキューン!!   話せば分かる!・・・バタッ(棒読み)

関連項目[編集]