猿飛佐助

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猿飛 佐助 (さるとび さすけ) とは、真田幸村こと真田信繁がペットとして飼っていたとっても頭の良いであり、ハヌマーンと双璧を成すサルの英雄として称えられている。真田十勇士の一員であり、後に山猿たちを集めて日光猿軍団を結成し、仇敵東照権現こと徳川家康の神聖な墓を乗っ取る事に成功した。現在でも、日光猿軍団が家康の墓に唾を吹きかけたり糞尿を垂れ流したりしており、徳川家の末裔は日光の猿との戦いに日夜全力を費やしている。

後世、立川文庫によって擬人化されてヒーロー化し、近年ではゲームや漫画によって大きいお姉さん好みの美形テイストに品種改良されており、現代人は猿飛佐助が本当に猿だったと言う実話を全く信じていない。その証拠に、ウィキペディアに佐助は本当に猿でしたと書くと十中八九削除される。

近年、佐助が本当にサルだったことを思わせる証拠となるものが次々と発見されており、ファビョった歴史家達が「佐助は架空の人物だった」とわけの分からない事を言い出すと言う奇妙な事態になっている。

出自[編集]

信濃山中の出身ではないかとの説が濃厚だが、あまりに賢いので地球を征服するために遣わされた猿の惑星出身のスパイではないかとの説もある。しかし井沢元彦はこれに対して「ドラゴンボールの見すぎだ」と反論している。戸澤白雲斎なる人物に調教を受け、人間の言葉を教えられたと言われている。しかし動物にそうたやすく人間の言葉を教えるなど不可能としてこの説に反対し、実はドラえもんに翻訳コンニャクを毎日食べさせられたのではないかと主張する学者が大勢いる。しかしもしドラえもんが調教していたなら間違いなく同時に桃太郎印のキビ団子で手なずけられていなければおかしく、ドラえもんが愉快犯でもない限りこの説の信憑性は薄い。

幸村との出会い[編集]

幸村こと真田信繁と佐助が出会った場所や、幸村の一党に加わるまでの過程については諸説ある。最もポピュラーなのが、幸村が橋を渡っていた時に、このを渡りたければ通行税をよこせと佐助が襲い掛かり、幸村を翻弄したが、幸村が放ったバナナの皮に滑って敗北し、以降幸村の部下になったという、源義経武蔵坊弁慶の出会いをまんまパクった話である。佐助のような暴れ猿がバナナの皮で転ばされた程度で幸村に忠誠を誓うはずがなく、実際はもっと恩義を感じるような行為を幸村に受け、彼の人物像に感服したか、或いはよほど幸村に畏敬の念を感じて恐縮したかのどちらかだと思われる。幸村に襲い掛かった際、彼にXXXXXを握りつぶされてしまい、俺の部下になったらチョメチョメを直してやると言う条件で従う羽目になったと言う、面白いが冗談ごとでは済まない怖い話も伝わっている。いずれにせよ、暴れん坊モンキーである佐助が屈服してしまうほど幸村が凄い人であったことだけは確かである。

他の十勇士との関係[編集]

透明人間である霧隠才蔵とはライバル関係だったと言われている。

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
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関連項目[編集]

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