生物学史

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生物学史(せいぶつがくし)では、生物学歴史およびその発展に寄与してきた主な生物学者たちの功績について述べる。

生物学の歴史的必要性[編集]

最古の生物学論文「エヌマ・エリシュ」。原文はところどころ散逸している。

古来、人間の歴史とは環境や周囲の生物達との戦いの歴史であった。ヒトは肉体的には世に数多存在する猛獣や妖花、怪物や魔神の者達に比べると脆弱な部分が目立ち、単体でそういった化物達と戦うことは難しかった。

故に、そういった強力な生物たちから身を守るため、あるいは彼らの能力そのものを手に入れるため、専門家としての生物学者(一般に「英雄」と呼ばれる)は世界各地、あらゆる時代に求められており、多くの場合には国家や大貴族などの大きなサポート(あるいは皇帝自身がなることも)を得ることも多かった。強力な生物を捕殺・捕縛するための高い戦闘能力と機転が求められ、いざ近郊で強力な生物が暴れだしたとなれば真っ先に向かわされる職業でもあり、護国組織の軍人などを兼任していた例も多く存在する。

そのような関係上、生物学の研究活動はその当時の国家状況や経済状況が著しく影響してきた。古代では敵対する相手が神や妖異の類である場合が多かったために軍事的な面で大きく発展した部分があるものの、生物学の知見は人類同士の国家間の争いにおいては実質さほど役に立たない場面が多かったため、中近世以降の戦時体制や革命などといった社会的混乱期においてはその研究開発が滞る傾向がある。

生物学の興隆[編集]

最古の研究論文として知られるギルガメッシュ叙事詩は、古代メソポタミア王を兼任していた生物学者ギルガメッシュ教授の伝記として残っている。ギルガメッシュは親友の助教授エンキドゥと共に、国の近くの森の入り口付近に生息していた珍獣・フンババを捕殺し、その遺体が周辺環境にどのような影響を及ぼすかを実験的に記録した。このギルガメッシュ教授の研究論文以降、世界各地の様々な生物達の生態研究は飛躍的に発展し、各地域に独自の学閥を作るようになっていく。

竜血学の父、ジークフリートシグルドドラゴン種の生態も詳しく知られていなかった時代において、竜種のが人体の硬度に大きな影響を与えることを実証した。

欧州地方においては、竜学が特に大きく発展した。西洋方面の高名な生物学者はそのほとんどが竜学の専門であり、他種を専門に扱う学者であってもほぼ必ず竜学の研究テーマをサブで行っていることが常であった。今に巨人学の父と謳われるベオウルフですら晩年には竜学の研究へとシフトしていたことは有名な話であるし、竜血学の異端児と呼ばれたアーサー王も、アヴァロンという妖精ビオトープを管理研究していた第一級の妖精学研究者であった。

他にも竜種タラスクをコントロールした古代ローマの聖マルタ博士や、竜毒学のカドモス王や聖ゲオルギウス教授など、竜学を修めた在野の生物学者が西洋には数多く存在する。中には白熱する西洋の研究競争を避けるため、竜学を修めた後アジアに渡った学者などもいたものの、中国には西洋系の竜がいないため研究ができなかったという逸話まで存在している(荘子伝『屠龍之技』)。

中東地域においては悪魔学が中心となって発展した。古代イスラエルソロモンは現代から見ても極めて進んだ行動生物学の天才であり、72種類にも及ぶ様々な悪魔生物のコントロールを行い、今に「ソロモンの鍵」と呼ばれる数多くの研究書を遺した。その多くは断片化されていたものの、近代になって奇才マグレガー・メイザースによって再編され、その驚くべき進んだ研究成果が明らかにされたことは記憶に新しい。

尾獣学の父、太公望呂尚

アジアの生物学は主に尾獣学を中心に発達した。中国周辺地域は瑞獣をはじめとして四凶四霊四神などといった種々様々な獣系生物が生息しており、古来よりそういった獣達への対処が国家緊急の課題であり重要なテーマであり続けた歴史がある。日本の生物学会も大きくその影響を受けており、現代に至るまで妖獣科学分野において有力な研究国家なのは広く知られた事実であろう。

特に重要視されているのが、3世紀頃から無数の生物学者達によって付加執筆され続けてきた一大研究書「山海経」である。中国の生物学者は皆これのコピーを所持し、各地方を巡ってはそれぞれの地域の地理と、そこに生息する生物達の生態を加筆し続けた。「山海経」という一つのタイトルに数多の生物学者達が加筆するというスタイルであったため、過去存在した中国系の生物学者達の功績がほとんど名前として残っていないという特徴があり、西洋の様々な高名生物学者達に比べ軽く扱われてしまうことが多いものの、その功績は計り知れない。

名が残っている生物学者達の中で、特に有名どころとして真っ先に挙げられるのは革命期の著名な生物学者・太公望呂尚であろうか。太公望は始めに仕官を試みたものの、当時の殷は暗君・紂王の代にあって、その正妻に収まっていた九尾狐妲己にとって自身の立場に大きく関わってくる生物学者たちの存在は極めて不都合であり、その予算はほとんど執行されない状態に陥っていた。その状況を見た太公望は殷への仕官を取りやめ新興国であったへと移り、少ない予算で何とか九尾狐の研究を進め、妲己の捕縛をもって現代に残る尾獣学の基礎を作り上げた功績で知られている。

中世以降の生物学研究[編集]

パラケルススのホムンクルス。

中世以降も西洋地域の基本テーマは竜学のままであったが、この時代に入ると大型の竜種研究はほぼ終えられた形となり、以降は小竜や地方竜を研究する本流の流れ以外にも、他の生物種をテーマにした様々な研究が行われていくようになる。

錬金生物ホムンクルスを作り出したパラケルススや、さらに高度な錬金生物であるゴーレムを生成したアビケブロンなどの生命創造が盛んに行われた錬金術全盛期でもあり、マンドレイクアルラウネ栽培法が確立されたのも中世に入ってからである。古来より効能はわかっていたものの生育が安定せず流通していなかったマンドレイクだが、絞首刑に処された罪人が死に際に射精した精子ギロチンの切断口から流れた血液が肥料として非常に適していることが発見され、処刑が適度に行われていた当時には多くのマンドレイクが各方面に輸出された。特に大航海時代においては黒人奴隷胡椒に並びマンドレイクやユニコーンの角が多く輸出入されていたことは有名な話であるが、一方でその頃に多くの船乗りを困らせていた海洋生物クラーケンなど、メジャーなテーマでありながら現代に至ってもほとんど研究が進んでいない生物種も少なからず存在する。

近代に入ると、およそ西洋の生物学研究はおよそ終えられたかのように思われたが、現代で研究が行われている種々の新種族の知見のほとんどは、近代になって新たに見つかった生物学のそれに基づくものが多い。

特に現代で最も盛んに研究が行われている吸血種の知見はここ百年で初めて発見されたものがほとんどであり、今に「吸血学の父」と呼ばれるヴァン・ヘルシングが初めて吸血種の知見を発表した際、そんな大型の新種がまだ存在していたのかと学会が一躍騒然としたことは記憶に新しい。他にもフランケンシュタイン博士は、機械科学的な手法と生物学を組み合わせ、当時としては極めて先進的なサイボーグの研究を推し進めた。実験生物の暴走という不幸な事故により亡くなってしまったもの、その先鋭的な実験記録の数々は生物改造の技術を二世代は進めたと言われている。また近代生物学の鬼子と呼ばれたアレイスター・クロウリーは、ヘルハウンド種の愛玩動物化に成功した他、天使種の人工的な形成に世界で初めて公式に成功し、当時の生物学会から倫理を無視した実験であるとして大バッシングを浴びた問題児でもあった。

他にもクロウリーの同期であるエリファス・レヴィヘレナ・P・ブラヴァツキーなど、近代以降に様々な発見を続ける生物学者は未だ多く、今後の発展が期待されている。

日本の生物学[編集]

資料が残る中では恐らく日本最古の生物学者である神武天皇の写真。八咫烏を手懐ける手法の開発に成功し、東部開発に大きく寄与した。

日本の生物学研究の歴史は、ほとんど種研究の歴史と同一視される。古くは坂上田村麻呂博士が、当時誰もが恐れ近寄らなかった東国蝦夷の地で大規模なフィールドワークを行い、その後の鬼学の大きな発展に繋がったことは広く知られた話である。田村麻呂博士はそういった研究対象たる鬼種に対しても分け隔て無い扱いをする一風変わった性格を持っていたことがよく知られており、彼が鬼種である鈴鹿御前を妻に迎えた際には、流石に朝廷からも「それは如何なものか」と疑問が向けられ、その後の様々な問題を引き起こす遠因ともなった。

更に数百年後の平安時代後期に入ると、日本生物学研究は全盛期に突入する。陰陽師(当時の日本における生物学者の呼称)の中でも天才と呼ばれた安倍晴明は、若くして式神生物「十二神将」の論文などで学会を騒然とさせ、後に陰陽寮名誉教授となって以降には、自らの母でもあった葛の葉の協力を得て九尾狐の生態研究に尽力した。他にも、その好敵手だった在野の天才学者蘆屋道満や師の加茂忠行、弟子で院生だった加茂康胤など、正に日本の歴史を代表する天才生物学者達が一同に会した、黄金時代だったのである。

種専用の培養液である神便鬼毒酒で保管された標本。日本独自のホルマリン保管法の一つであり、この手法が開発されて以降の鬼種研究は驚くべき発展を遂げた。

また、研究サンプルの収集や供給を行う妖怪退治業者(通称「英雄」)も当時は最高峰の人材が揃っていた。源頼光はフィールドワーク専門の研究者としては日本史上最高とも評され、大江山に生息していた種の群れをサンプリングし、群れのリーダーであった酒呑童子が首を斬ってもその首がしばらく飛び回るという、実に驚くべき生態の発見に貢献した。他にも当時まだ生態がよくわかっていなかった土蜘蛛種の生息域を発見しサンプリングに成功するなど、その功績は計り知れない。またその部下で助教授を務めた渡辺綱も、宇治の橋姫の捕殺研究および大江山で取り逃がした茨木童子の腕を回収するなど、高名な実績を残している。他にも研究の第一人者であった源頼政や、骸骨生物がしゃどくろへの行動学的アプローチで知られた滝夜叉姫など、平安時代に発展した技術は数知れない。

しかし後代に入ると、度重なる戦乱による研究資料の散逸と秘匿化に加え、軍事費の圧迫によって研究費が削られ続けた影響から研究者が大きく減り、日本の生物学は衰退期を迎えることになる。

鎌倉時代以降、それまでの日本生物学を引っ張ってきた鬼種研究がほぼ頭打ちになったことにより、日本生物学会全体に閉塞感が漂い始める。天狗河童などのそれなりに大きなテーマ自体は残ってはいたものの、天狗学は半ば修験道学閥の独壇場であったし、河童学は長年に渡るフィールドワークがその作業の大半を占めるために嫌われがちであった。

室町時代の代表的な百鬼夜行絵巻。様々な生物のスケッチ図を集めた論文用スケッチ集。

鬼学研究の発展として、行動生物学の視点から研究を行い鬼種のコントロールまで至った役小角などの天才もぽつぽつと出現はするものの、大枠ではそういった世代を引っ張れるような大物の生物学者は減る一方であり、また学者の質や頭数だけでなく、日本尾獣学の最後の砦と呼ばれた九尾狐の殺生石がフィールドワークで訪れた学者の不注意で粉々に破砕してしまうなど、生物学の大きなテーマ自体までもが減り続ける現状が続いている。

江戸時代に入ると、そういった研究テーマになるような生物自体がほぼ存在しなくなり、鬼種や霊種なども一般人に混じって町中で見かける時代に入る。以降現代に至るまで、生物学の研究は半ば歴史的資料としての位置づけとなり、生物学者の仕事はそういったものを編纂する編集者としての色合いが強くなっていく。兆候そのものは室町時代以前から既に見えてはいたものの、編纂自体が生物学者の基本的な仕事となったのは江戸時代以降であり、近現代においてもその流れが続いている。近年の生物学者としては、遠野物語を再編纂した柳田國男や、現代社会における様々な生物の生態をスケッチした水木しげるなどが挙げられる。

関連項目[編集]