田代まさし

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
「大切なものは勇気。守るものは愛。下心はぜーんぜんナイ。」
自身の活動 について、田代まさし
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「田代まさし」の項目を執筆しています。

田代まさし(たしろ-)とは、日本を代表するエンターテイナー。1980年代に音楽グループ『シャネルズ』でデビュー、ソロアーティストやコメディアン・舞台俳優を経て2020年現在はYouTuberとして活動中。

人物[編集]

指定暴力団総裁を勤めた叔父を反面教師としたのか、エンターテイナーとして周囲を楽しませる事を何よりも愛する陽気な男性。しかし実はあがり症で、若い時分はサングラスをしていないと恥ずかしくて人前に出るのを躊躇う癖があった[要出典]。また車好きとしても知られており、高校卒業後の数年で日産・サニー日産・グロリア果てはベンツまで様々な車に乗り換えながらカーマニア生活をエンジョイしていた。反面手先はあまり器用ではなく、後述する「田代まさしのプリンセスがいっぱい」は結局クリア出来ていない[1]

傾向としては「言葉遊び」が好きで、いわゆる駄洒落を自分の歌や舞台セリフに多く盛り込んでいる。中でもミニスカートの女性にカメラを向けて「耳にタコが出来る」に引っ掛けた「ミニにタコが出来る」というネタは一世を風靡し、西暦2000年度流行語対象にもノミネートされている[2]

プロデビューからしばらくの活動[編集]

トラックの運転手を経て、高校時代からの友人と共に音楽グループ『シャネルズ』(後にラッツ&スターに改名)を結成。得意の言葉遊びを駆使したユニークな歌詞と本格的なドゥーワップを武器に、スターダムを上り詰めていく。ソロでも当時ナンパ島として有名だった新島をネタにした「新島の伝説」などをヒットさせ、明るく楽しい人気者としての地位を確立。

ザ・ドリフターズとしての活動から離れた志村けんに見いだされ、「志村けんのだいじょぶだぁ」「志村けんのバカ殿様」等にレギュラー出演。駄洒落を散りばめた世代を問わない芸風に、お茶の間からの強い支持を受けた[3]。それにより当時のタレントブームにのり、原宿にタレントショップ「マーシーズ」を出したりファミコンソフト「田代まさしのプリンセスがいっぱい」がリリースされるなど国民的な人気を博していく事になる。

ゼロ年代以降の活動[編集]

ネ申

ゼロ年代に入り高速インターネット回線整備によりインターネット文化が花開くと、過去の活動がインターネット掲示板住人の間で大きな話題になった。この時代になるといわゆる「国民的スター」が生まれにくくなったこと、そして周期的に来るリバイバルブームに上手くハマったのも幸運と言えるだろう。掲示板を中心に「ネ申」「神いわゆるゴッド」として賛美されるようになり、2001年12月には、米国「TIME」誌が選ぶ「パーソン・オブ・ジ・イヤー」にもノミネートされている[4]

ゼロ年代も半ばになってお笑い番組の数が減っていき、またドゥーワップへの関心も薄れてくると刑務所への慰問や雑誌へのコラム連載を中心としたテレビ外の活動へとシフト。覚醒剤撲滅キャンペーンへの協賛や芸能界薬物汚染への警鐘活動を積極的に行い、2019年にはYouTuberとしての活動も開始している。拠点となるメディアを移す際に綿密な準備を重ねる為に何度かの活動休止を挟んでおり、その度に服役説や死亡説[5]が流れているが、実際にはもちろんそのような事は起きていない。

脚注[編集]

  1. ^ 2009年にコラムを連載していた雑誌「ゲームラボ」の企画で20数年ぶりにプレイしたものの、やはり一面で詰まってしまった。
  2. ^ 他にも白い粉を懐からチラつかせる「覚醒剤隠せない」(かくせざい」などがある。
  3. ^ コメディアンとしての芸風は志村けんに近く、「女風呂を覗いたと思っていたら、入ってるのはオッサンだった」というバカ殿様定番のネタを拝借する形で他の場面にも使用している。
  4. ^ 一時期は大統領をも上回る票を得たが、生来あがり症の田代は「光栄だが、身に余りすぎてプレッシャーが凄い」と辞退している。
  5. ^ コメディアンとしての師匠となる志村けんも、90年代後半からゼロ年代半ばにかけて、同じ理由で死亡説が流れた事がある。

関連項目[編集]

Nodasori.jpg この項目「田代まさし」は、壮大なネタ振りです。誰か、人類の歴史に残るようなとてつもなく面白いネタを書いてください
私には書けません。 (Portal:スタブ)