真実
真実(しんじつ)は、いつも一つではない。
概説[編集]
事実は確かに一つであるが、真実は無数にあると信じられている。これが真実である。この問題は歴史などでも顕著であり、歴史の事実は一つしかないが、真実は解釈により無数に存在する。
例えば、ウィキペディアは百科事典であるが、最大の欠点は一つしかないことである。つまり、ウィキペディアに事実を書くことは可能であるが、真実を全て書くのは不可能である。何故なら、ウィキペディアが一つしかないからである。よって、複数のWikiや百科事典が存在することの方が望ましいと言える。
これはアンサイクロペディアの存在の理由でもある。もっともアンサイクロペディアはウィキペディアとは異なる百科事典なので、厳密に複数の百科事典が存在するということではない。歴史などの研究書の場合、多くの筆者により異なった観点の書籍が出版され、どれが正しいかは読者が判断することになる。本になっているからといっても、正しいとは限らないからだ。新聞にも言える。新聞に載っていたからといって正しいとは限らない。本や新聞は複数存在し、それぞれが異なった立場を取っていることもある。
その意味でウィキペディアが独裁状態の現状よりは複数の百科事典が存在して、読み手が取捨選択できるようになることの方が望ましいとも言える。百科事典が複数あると「面倒だ……」と思うかも知れないが、以上のような観点からは複数の存在は正しいとも言える。
ウィキペディアでは編集合戦が起こったりもする。これもウィキペディアが一つしかないからであり、複数あればこういった態度も少しはマシになるだろう。知ってる人は知っているだろうが、ウィキペディアは本当に誰でも編集できるので、主観という真実の押し付け合いが起こりがちである。
子供でも分かる例[編集]
1+1=2 これは小学校1年生レベルである。
1+1=田んぼの田 これは小学生がよく言ってる。
このように、1+1には少なくとも2つの答えがある。
他にも、1=2などが分かりやすいだろう。
アンサイクロペディアの真実[編集]
しかしアンサイクロペディアにも真実が書かれている記事も少なくない、例としては。
まだ他にも真実が書かれている記事はあるのかもしれない。(爆)
