第三次世界大戦

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第三次世界大戦 について、カービィ将軍

第三次世界大戦(だいさんじせかいたいせん)とは日本アメリカ合衆国イギリスを中心とした「正義同盟なかよし」とフランスイタリアスペイン韓国などを中心とした「国連軍ちゃお」、そして中国ロシアといった対抗勢力「レッドりぼん軍」の間で戦われた世界規模の戦争の事。(2075年8月3日~2077年3月9日)

第三次世界大戦では、各グループが核兵器を使用したため大惨事で世界は大変なこととなり、地球は核爆発の影響でクレーターまみれのゴルフボールと化した。

戦争の発端[編集]

2068年の世界同時不況から脱却できずにいた先進国各国は、一歩先に不況を抜け出していた新興国から猛烈な勢いで追い立てられていた。 そのような状況の中、先進各国の内部では「この不況を脱するには、もはや戦争特需しかない」という意見が出始めていた。

世界のための犠牲となってくれる心優しいならず者国家を探していた日本、アメリカ、イギリスは、候補国としてイラン北朝鮮を選抜して面接を行った。面接において、イラン代表は泣きじゃくって「嫌だ、嫌だ」とわめき散らしたが、北朝鮮代表は困惑して「本国に持ち帰って検討しなくては返答できない」と言った。これを見た日米英代表は、「イランはキモイから関わりたくないよねぇ。それに比べて北朝鮮は礼儀正しく落ち着いている。北朝鮮こそが最も優れたならず者国家だ!」という結論に達し、その場で北朝鮮に宣戦布告した。

宣戦布告を受けた北朝鮮代表は、この非常事態を偉大なる将軍様にお伝えすべく急ぎ帰国の途に就いたが、帰り着いた先にはただただ更地が広がっていたという。

国連総会での日本批判決議[編集]

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大韓民国は直ちに国連に日本の侵略を訴えたがアメリカは日本の軍事攻撃を韓国に潜伏する共産党系ゲリラを討伐するための正当なものとして容認、安保理での制裁決議を拒否権行使で葬り去る。しかしイタリア、フランスなどが中心となり平和の為の結集会議が開かれ、賛成多数で日本への即時撤兵を求める決議を採択した。アメリカイギリス日本ドイツインドタイミャンマーオーストラリアイラクイスラエルトルコポーランドリトアニアパキスタンサウジアラビアインドネシアシンガポールパラオフィリピンなどの諸国はこの決議を不当なものとして国連を非難、直ちに国連を脱退し国際同盟を結成した。 9月1日、フランス軍とイタリア軍を中心とする国連軍は仁川に上陸、韓国軍を支援して日本防衛軍(旧自衛隊)との交戦を開始、五分五分だった戦況は一気に韓国軍有利となる。これに対し国際同盟は国連を邪悪な侵略者として非難し、同盟軍派遣を決定した。同盟軍の指揮権はアメリカ合衆国大統領ヒラリークリントンに一任される。ヒラリーは直ちに総勢十万以上の陸軍と空母、イージス艦によって構成された海軍、F-22五十機以上を朝鮮半島に派遣した。イギリスは五万人の出兵を決定、その他の同盟軍もそれぞれ数千人規模の部隊を派遣した。9月25日釜山に上陸した同盟軍は日本防衛軍を支援しながら再び国連軍と韓国軍を押し返しその支配領域をソウル近郊と全羅道、済州島に押し留めた。

中国の台湾侵攻[編集]

この状況下で中国台湾を再び中国領土とするため極秘裏に全面侵攻の準備を整えていた。そして年が明けた2076年1月9日、中国は遂に日本領台湾への攻撃を開始した。猛烈なミサイル攻撃と爆撃は日本軍の優秀な対空砲火をもかいくぐり台北市などの主要都市に多大な損害を与えた。続いて中国人民解放軍が台湾に上陸を開始、台湾島は日本軍と中国軍との決戦場となった。ヒラリークリントンは直ちに日本を支援するため五万人の増派を決定した。更に日本、台湾両国の軍が不利になると、アメリカ軍も台湾に上陸した。しかしついに7月17日台北が中国により陥落。日米両国は本土へ軍をひき、台湾は日本に亡命政府を樹立した。

第五次中東戦争勃発[編集]

極東で国連と同盟が激戦を繰り広げている時、中東でも戦争が始まった。2076年2月3日中東の諸国は一致してサウジアラビアイスラエルトルコイラクへの宣戦布告を行い、ヨルダンシリアエジプトリビアの軍勢が一気にイスラエル領内に攻め込んだ。同時にイラン軍がイラクに侵攻、サウジアラビアでの民衆蜂起やトルコでのクルド人反乱などもあり同盟軍は劣勢にたたされる。パキスタンは2月20日にイランに宣戦布告、続いて23日にはインドがパキスタンに宣戦布告し中東と南アジアを巻き込む大戦争へと発展した。

東南アジアの動乱[編集]

東南アジアではタイミャンマーが同盟の支援を受けベトナムカンボジアなどに出兵、続いてインドネシアフィリピンでの反米蜂起が沸き起こり此の地方も世界大戦に巻き込まれることとなった。

全面戦争[編集]

朝鮮半島から始まった戦火は中東から南アジア、そして極東を巻き込む世界大戦となった。2076年4月時点で朝鮮半島では同盟が優位に立ちながらも国連軍を完全に駆逐することは出来ず膠着状態に陥っていた。台湾では中国軍と日米同盟軍が一進一退の攻防を繰り広げており、中東ではイスラエルが存亡の危機に立たされていた。遂にブッシュはあらゆる手段を用いて敵を殲滅することを決意し、イスラエル支援の為十万、日本の支援の為十万の増派、そして中国本土への爆撃を決意した。5月3日に米軍はイラク南部から上陸しイラン軍との交戦を開始、5月5日には中国への爆撃が始まった。中国側はこれに対抗して朝鮮半島北部への侵攻を行い全面的に日米と対決することになった。

ロシアの東欧侵略[編集]

ロシアはこの世界大戦のさなか国連と同盟の何れにも属さず独自の行動を行った。ロシアは2076年8月9日に東欧に対する侵攻を開始、国連はこれを非難したがロシアは黙殺した。国連側にはロシアを叩くだけの余力はなく結果的に侵略を黙認せざるを得なかった。東欧各地でロシア軍は抵抗勢力を粉砕、11月上旬には西はドイツ国境から南はボスニアまでの領域を支配下におさめた。

和平交渉[編集]

2077年1月7日にアメリカのブッシュ元大統領は演説で、国連が停戦を求めるのなら応じる用意があるとの姿勢を示した。演説でブッシュはこれ以上の戦争は核攻撃を招きかねないとし、人類の滅亡を防ぐためには和平しかないとの認識を示した。これに対し国連側は日本の植民地放棄とパレスチナの独立が最低条件だと回答、続いてロシアも交渉に前向きな姿勢を見せ、遂に2月5日にスイスのジュネーブで和平会談が行われた。激論の末纏められた和平の条件は以下のようなものだった。

  • 日本は朝鮮半島から全面的に撤退すること。朝鮮半島は統合された上で永世中立地域とならねばならない。
  • イスラエルは直ちに全ての占領地(領土)をパレスチナへ返還し、全世界における国家主権を完全に放棄すること。また、全てのユダヤ系イスラエル人は直ちに中東地域より撤退することを命じる。ユダヤ人が自らの国家並びにいかなる種類・規模の団体組織を建国・発足させることや運営することは以後全面的に禁止する。
  • 中国、日本は共に台湾から撤退し、台湾は独立すべきこと。
  • ロシアのベラルーシ併合を承認するがその他の地域からは撤兵すべきこと。
  • ロシアは千島全島と南樺太を日本に割譲(返還)し、オホーツク海における優先的漁業権を保有すべきこと。
  • 竹島、尖閣諸島に関しては全ての関係国が主権を放棄すること。
  • 日米同盟はこれを破棄する。
  • トルコはクルド人への自治を付与すること。
  • 中国はチベット、ウイグルの独立を認めそのほかの民族を独立させ中国から漢国に国名を変更すること。
  • フィンランドのカレリア領有を認める。
  • ロシアはチェチェンの独立を承認すること。
  • 国際同盟諸国は国際連合へ復帰すべきこと。
  • 交戦国は全ての国家間賠償、個人の補償請求を放棄し、互いに道義的責任を免責されるべきこと。

これらの条項は全交戦国によって承認され、3月9日に和平条約が調印され第三次世界大戦は終結した。

その後[編集]

第三次世界大戦後の世界(最悪の場合)

皆また仲良くお弁当を食べるようになりましたとさ。おしまい。 というわけにはいかんのです。

開戦になりかけた事例[編集]

  • 1948年 ベルリンの封鎖
  • 1950年 朝鮮戦争
  • 1956年 スエズ動乱
  • 1958年 ソ連がアメリカに西ドイツの占領終了を要求
  • 1960年-1975年 ソビエト戦争
  • 1960年 U-2撃墜
  • 1961年 アメリカとソ連の会談
  • 1962年 キューバ危機
  • 1968年 プエブロ号事件
  • 1973年 中東戦争
  • 1976年 ベレンコ亡命事件
  • 1983年 大韓航空撃墜事件
  • 2001年 9.11同時多発テロ
  • マイケルベイ作品パールハーバーがオリジナル公開

関連項目[編集]