第二次朝鮮戦争
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
第二次朝鮮戦争(だいにじちょうせんせんそう)とは、美しい国日本と、韓国・旧北朝鮮からなる朝鮮半島同盟との間に勃発した戦争。リアル第二次世界大戦以降、日本が初めて経験した対外戦争である。なお、第二次朝鮮戦争の名称は終戦後に普及したもので、当時は日韓戦争、日本海戦争などと呼ばれた。
目次 |
[編集] 開戦
2011年の美しい国日本国憲法施行によって正式に旧北朝鮮を植民地化した日本であったが、依然として植民地内部での武装勢力による活動は続いていた。また、北朝鮮と日本の間には韓国が存在し、地理的条件からも日韓の衝突は避けられないものとなりつつあった。アメリカ、イギリスを中心とする国際同盟の後押しを受けた安部首相は2015年8月3日韓国に宣戦布告。ここに第二次朝鮮戦争が勃発した。
[編集] 戦争の経過
[編集] 開戦前
開戦前の時点で、日韓の軍事バランスは日本の有利であった。しかし、日本領北朝鮮は日本の間に韓国を挟むという地理的条件から、本土からの孤立が予想された。そのため、美しい国日本政府は事前に在北朝鮮邦人に対して帰国勧告を発令。多くの日本人が戦争での日本勝利を確信していたこともあり、各種企業との連携のもと帰国事業は順調に進むかに見えた。
が、この日本人帰国事業は日韓の開戦を多くの北朝鮮市民に確信させる結果となった。これを期に、北朝鮮植民地化以来続いていた朝鮮人武装勢力の活動が活発化。特に、旧北朝鮮人民軍の残党と一部の中国人民解放軍内有志により構成される「朝鮮解放戦線」等の大規模武装勢力は、海上保安庁北朝鮮特別管区に所属する巡視艇と交戦するに至った。
[編集] 開戦直後
開戦と同時に、日本海上防衛軍(旧海上自衛隊)は竹島、済州島を攻撃。日本航空防衛軍(旧航空自衛隊)の支援もあり、両島は数日後に陥落した。一方の韓国軍は、海兵隊を中心とした対馬攻略を試みるも、海上保安庁と日本海上防衛軍の集中防御により失敗した。これにより日本海の制海権は日本側に傾き、一ヵ月後には日本海上防衛軍の揚陸艦によって日本防衛軍(旧陸上自衛隊)の戦車隊が韓国本土に一部上陸するに至った。
日本本土からの韓国侵攻が順調に進む中、日本領北朝鮮と韓国との緒戦は日韓の戦力が拮抗した。前述のとおり北朝鮮では多くの武装勢力が活動しており、当時最大の北朝鮮内武装組織である「朝鮮解放戦線」は2000人を超える構成員と少数ながら戦車と、ミサイル艇を保有していた。これは国境警備隊や海上保安庁北朝鮮巡視艇団にとっては脅威であり、開戦から一ヵ月を待っても、南北朝鮮の軍事境界線は38度線を動かなかった。
[編集] 国連軍の対日参戦
国連での日本非難決議の採択に基づき、フランス軍とイタリア軍を中心とする国連軍が9月1日に仁川に上陸。これによって当初の日本有利の展開は逆転し、韓国軍の有利となった。この時点で韓国軍は実質国連軍に編入され、国連軍は緒戦で自衛隊を相手に善戦。9月5日には韓国本土の日本防衛軍全部隊が撤退。ついで9月12日には済州島が陥落した。
南北の軍事境界線をはさむ戦いも国連軍有利に進んだ。板門店陥落後、日本防衛軍北朝鮮方面隊は北上を続けながら国連軍と交戦し続けたが、9月13日のヘジュ陥落、9月14日のサリウォン陥落によって防衛軍は一気に北上。ナムポ郊外(ソンニム)、コクサン、ウォンサンを拠点として国連軍の侵攻を一時停滞させるに至る。
[編集] 国際同盟の参戦
戦況の悪化に伴い、美しい国日本はアメリカとイギリスを中心とする国際同盟に軍事支援を要請。アメリカ合衆国大統領ブッシュ氏はこれを快諾。国連を邪悪な侵略者として国連軍に宣戦布告。陸海空の大部隊を派遣した。在日、在台湾米軍は先立って国連軍の海路である東シナ海を封鎖し、韓国に上陸した国連軍を孤立させた。数日後の9月25日には釜山に同盟軍が上陸。国連軍の勢力範囲をソウル近郊と全羅道、済州島に押し留めた。
[編集] 第三次世界大戦への道
日韓の戦いから国連とアメリカの戦いに発展した第二次朝鮮戦争であるが、同盟軍上陸以降は長らく両者の硬直状態が続いた。その間に中東での戦争勃発や、中国の台湾侵攻によって後の第三次世界大戦へと発展していく。
[編集] 当時の国際情勢
日本の韓国侵攻と同時に、韓国は国連に日本による不当な侵略を訴えた。国連加盟国の大半は日本に対して即時撤退を求めたが、日本はこれを無視。安保理においてもアメリカの拒否権行使によって、日本への本格的制裁には時間を要した。一方で、国連加盟国のなかには日本支持に回る国家も少なからず存在した。アメリカ、イギリスを中心とするこれらの国家は国連を非難、これを脱退した。

