箕面市

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

箕面市(みのおし)は、大阪民国摂津人自治区の一部であり、との内戦が続いている都市である。その英語表記は、MinoとかMinohとかMinooとかMino-oとか一致しない(なんとかしろ)。

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「箕面市」の項目を執筆しています。

目次

[編集] 地理

大阪平野北部に位置する。

山には異様に紅葉が生えていて、滝が流れていたりするが、那智のような大きな滝ではない。箕面市街の向こうは猿が支配する山中であり、さらにその向こうは止々呂美(とどろみ)と呼ばれる片田舎が広がる。

止々呂美とは太古から宮崎アニメの怪獣のような奴を見かけることが出来るほど田舎であるためといわれている。(田舎というより山中に道が走っているだけ)箕面からより池田市から行ったほうが早い、というか行く必要がない。

近隣都市は獣っ子&姉妹丼萌え池田市、大阪の忠実な手下豊中市、母ちゃんおなかが吹田市、「茨城じゃねえ!」こと茨木市、能勢の影武者こと豊能町、源氏だらけの川西市である。

[編集] 歴史

古くから猿が暴れている地として有名であった。

関西で「猿」といえば「箕面」と同義語と考えられている。

大阪で古くから愛されている古典的な文学作品『じゃりン子チエ』にも記述があり、作中で大阪市西成区周辺まで猿の軍団が攻め込み、おせち料理などの被害を出し、討伐軍として二匹が編成されている。

時の帝は猿に対抗するため屈強な修行僧を派遣するに至ったと言われる(勝尾寺の由来)。

1956年の市制発足以来も戦いは続いており、現在も激しい攻防が続いている。

[編集] 猿との戦い

19XX年突如猿が人間に牙を向いたとされており、宣戦布告はなされていない。

猿が攻め込んだ理由は「彩都」や「箕面森町」に代表される人間の開発が進んだからとも、山に餌がなくなったからとも言われているが、この電撃的な侵攻において市の中心部は陥落。支配地域の人間は猿に支配され、奴隷の身分に落とされ、略奪・暴行を受けた。

生き残った人間はレジスタンスとして地下に潜伏するか、南部の牧落周辺に立てこもり交戦を続けた。すぐさま近隣に軍の派遣を求めたが、猿の脅威を知る近隣の都市は報復を恐れ、これを拒否。

正規軍は派遣できないので仕方なく義勇軍として猟友会・イカリスーパーの店員・阪急タクシーの運転手・陸上自衛隊などが派遣された。

戦況は硬直し一進一退となり、人間側は国道171号線を阻止限界線として攻防を行った。

特に萱野立体交差付近での戦闘は猿側・人間側にも多くの被害を出す激戦となった。

戦局が変わったのは箕面川西岸、桜ヶ丘での戦いであった。

偶然ローソンに買い物に来ていた自衛隊の74式戦車が猿の中でも精鋭部隊とされるサルモネラ一家(高額の賞金がかかっている)と会敵。

そのまま戦闘になり、激闘の末サルモネラ一家を壊滅に追い込むことに成功した。 自衛隊は賞金1000Gで装備を買ってもらえると思ったが、国庫に取り上げられ、最終的にF-15を買うのに使われてしまう。 後に猿側はこの敗北について「キー!戦車とかズルイ!」と述べている。

この件で人間側の士気が高まり、勢いづいて箕面市役所・箕面駅・箕面スパーガーデンと立て続けに拠点を奪取、 猿側はいったん撤退し、現在でも箕面展望台周辺に布陣を続ける。

[編集] 現在

猿との戦争による被害は大きいが、町は着実に復興されている。

激戦区として名高い萱野では戦勝記念として箕面マーケットパークvisolaをつくり、戦闘で散った幾多の英霊を忍びながら夕食の買出しに来る人々で渋滞を作っている。

しかし現在でも猿とは交戦状態であり、箕面公園内の猿に餌付けすると文化財保護法、動物愛護法及び鳥獣保護法違反となり、外患誘致罪として死刑に処せられる。

ここは今でも「箕面山ニホンザル生息地」が国指定の天然危険物として指定されている事を忘れてはならない。

かように戦闘地域であるため、勿論人間もあの手この手で抵抗を続けている。市外の勢力に取り込まれることにより猿を駆逐するというねらいのため市長自ら無防備都市宣言を提案したり、猿がシステムをクラックして人間になりすますおそれがあることから住基ネットを頑なに反対していることは記憶に新しい。

[編集] 関連項目