米長邦雄

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「思い出の一戦ですか。そうですね、やはり思い出すのは40手前の未亡人との一夜ですね」
「忘れられない一戦」について、米長邦雄
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米長邦雄(よねながくにお、1943年6月10日 - 2012年12月18日)は、日本の人妻ハンター。「将棋の指し手」と紹介されることが多いが、実際は日本でも有数の「床技」(しょうぎのやり手」(ベッドテクニックの名手)である。

経歴[編集]

君はまだ独身か。そうか、そりゃダメだ

一般に将棋指しは20代から30代にかけて活躍する者が多いが、人妻ハンターの米長は大人の男としての余裕が出てくる40代以降に大きく活躍した。

40歳を過ぎても研究熱心で、島朗が主宰する研究会でも若手とともに腕を磨いた。もっとシマロウ(締まろう)と験を担いだのだろう。彼自身も自宅で米長道場を主宰し、若手と長年にわたり精力的に研究に励んだ。こうした持続力には自信があったようだ。

1985年には四冠王になるが、4カン(死姦)のような性癖はないと、この称号はあっさり手放す。1993年には念願の名人の称号を得る。50歳になってなお精力的な米長への羨望から、「中高年の星」と持て囃される。さらに1998年に永世騎性棋聖に認定される。また、1994年には千人斬りを達成。

2003年に日本床技将棋連盟の会長に就任。日本女子プロ将棋協会の設立にあたっては女流棋士をいじめ抜いたことで批判がある。とくにターゲットとなったのは中井広恵であった。中井は米長と同じく佐瀬勇次の弟子であったが、同じ佐瀬の弟子である植山悦行と結婚してしまい、米長と一戦交えることはついになかった。米長の中井いびりには、こうした私怨が多分に含まれていたと考えられる。

もっとも、他の女性棋士に優しかったかというとそうでもなく、清水市代にも厳しく当たっている。これは、清水がいつまでも独身であったためとも(米長は人妻好きである)、愛人契約を断られたためとも言われている。二人をネタにしたこのコピペは、人名を米永・清氷と変えてはあるが、ほぼ事実である[1]

2012年にはコンピュータソフトボンクラーズと一戦交える。いきなりタマを使う奇策を見せたが、やはり無機物相手には本来の力が出せなかった。

同年12月、前立腺の病気により死去。前立腺の使い過ぎが祟っての早世であった。

指し手[編集]

多数の女流棋士も参加した、とちぎ将棋まつりでの一こま。いい女はいるかな~?

米長の挿し手指し手は「泥沼流」と言われる。人妻との付き合いに精を出せば、泥沼になるのは目に見えている。しかし米長に表立ったスキャンダルがあまり無かったのは、(訴訟や慰謝料交渉などをする場合に)敗勢となっていても局面を混沌とさせるのが上手かったからである。もっとも米長自身は「泥沼流」と呼ばれることを嫌い、「さわやか流」を自称していた。男はいつもさわやかでいることが、女性にモテる秘訣なのである。

米長はの使い方が上手かった。よりも銀を好んだのは、「金の切れ目は縁の切れ目」になることを避けるためだったと思われる。だが米長の最も得意としたのはタマ玉である。彼の玉の使い方には定評があり、米長玉と命名された。さらに最序盤に金の上に玉を出す(略して金玉)ことで相手を驚かせる新米長玉でも知られる。

最初から突いて激しくやり合うのも得意としたほか、殺しにも定評があった。一方で、簡単に振るのはあまり好きではなく、高飛車に出ることも稀であった。このあたりが、なんだかんだで人妻に好かれる理由である。

ヤグラはショウギの純文学」という有名な言葉を残した。これについて世間一般では「矢倉戦法は将棋の純文学(格調高い戦法)」と解釈されている。さらに、純文学は必ずしも格調高いものではないから迷言であると批判までされている。しかし当の米長によれば、ヤグラのネチネチと押したり引いたりする様を表現したものである。また、この言葉を正確に漢字に変換すれば「櫓は床技の純文学」であり、「後櫓(四十八手で立ちバックのこと)はベッドテクニックの中でも相手の動きに合わせてネチネチと挿入する体位だ」という意味になる。

思想[編集]

前?ははは、僕の名人をみて自信をなくされても困るからね。

米長は26歳のときに結婚したが、その際に妻に課したのが以下の5点(米長家の五箇条のご誓文)であった。

  1. 亭主関白を認めよ
    亭主は外で余所の女性の機嫌を取って優しくする。家の中まで妻のご機嫌取りをする余裕はない
  2. 外泊の自由を認めよ
    余所の女性と親しくなれば、当然外泊くらいする
  3. 仕事が第一
    「あなた、今日はずいぶん遅かったのね。どこへ行ってらしたの?」「どこへも何も、仕事に決まっておるではないか」……これに口答えするような女性は妻失格である
  4. 平凡な女房になれ、妻の収入は許さない
    夫の浮気が発覚しても離婚を切り出すような女性はダメ。無収入ならば離婚話は持ち出さないだろう
  5. 年寄りを大切に
    自分が年を取って人妻にも相手にされなくなったら、そのときは家にいるようになるから、邪険に扱わないように。なお米長は死ぬまで人妻ハントに忙しかったので、この一文が活かされることはなかった


2004年園遊会に招待されたとき、天皇陛下に「日本中の学校において日の丸を掲げさせることが、私の仕事でございます」と発言し、物議を醸した。なお「日の丸」とは月経の隠語である。人妻好きの米長がまさかのロリコン発言をしたことに天皇陛下も驚きを隠せなかったが、「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」とたしなめられた。

米長は「自分にとって消化試合でも、相手にとって重要な一戦では全力でぶつかる」という思想(いわゆる米長哲学)を広く浸透させたことでも知られる。人妻ハントを繰り返していればハズレを引くこともある。それでも相手の気持ちを思いやって、どんなときでも情事でマグロ状態は避ける。これがこの思想の真意である。しかし世間ではなぜか誤って解釈され、「この哲学があるおかげで、将棋界に八百長はない」と言われる。実際は「床技界に八百屋はない」、つまりベッドテクニック重視派には野菜果物はない(みんな肉食系)と解釈した方が正しい。

交友[編集]

大の将棋ファンだった山口瞳に「オランウータン」とあだ名をつけられたが、オランウータンは人間に比べて精子が少ないこともあり、米長自身はこのあだ名をあまり気に入っていなかった。どうせなら霊長類で断トツの精子生成能力を誇るチンパンジーとあだ名されるべきだったろう。米長は自分のことを「アラン・ドロン」と呼んだ。アラン・ドロンは甘いマスクもさることながら、女性遍歴が豊富なことでも知られる。

加藤一二三とは永遠のライバルであり、また二人の強烈な個性はよく対比される。

米長と加藤の違い
米長-加藤
猫撫で声で女を誘うこと趣味猫を撫でること
人妻主食うなぎ・板チョコ
騎乗位が得意騎士聖シルベストロ教皇騎士団員
中高年の星
(大人の余裕を持った人妻ハンター)
称号神武以来の天才・神童
(いつまでも少年の心を持っている)
性夜クリスマス神聖な日
(加藤は敬虔なクリスチャン)


中原誠との対比も面白い。中原は元女流棋士の林葉直子と長期にわたり不倫関係となり堕胎させたとして、週刊誌や一般の新聞などでも報じられた。人妻ハンターでありながらほとんどスキャンダルにならなかった米長とは対照的である。

大先輩にあたる升田幸三ともウマが合い、米長の縁談をまとめたのも升田であった[2]。升田は、まだ十代だった中井広恵に「女は将棋なんて強くなくても抱き心地さえ良ければいいんだ」と発言するほどの女好きであったが、女性には優しく、また女性からも受けが良かった。升田のライバルたちや後輩の中では、自分ほどの女好きは米長しかいなかったため、米長を特別可愛がったのである。

脚注[編集]

  1. ^ それが証拠に、コピペには「12:よく知らない人に解説すると、米長はこの通りの人物だよ。」「15:清水プロは、まったく別人だが米長会長はそのままのキャラだね。」といったコメントがついている
  2. ^ 結婚に際して嫁の実家は、将来を約束された新進気鋭の棋士である米長との縁談を当初は断ったとされる。おそらく米長の女好きを知っていたのだろう。


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