クリリスク・シャナ

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クリリスク・シャナとは、緋色の噴煙たぎるエトロフ島にいる不老不死の17歳風美少女アイヌのことだ。現在の夫であるこの俺サルガイ・ユージーが彼女との出会いからの話を語ってやろう。

日本側が主張する紗那(しゃな)。アイヌたるシャナには何の関係もない

出会い[編集]

俺はある年の8月15日以降、紅世の王たる鋼鉄の将軍様孫子的神策により発動されたクリル奪還作戦に従い、赤軍燐子として、エトロフという最も大きな島に上陸した。そして、紗那という名の最も大きなムラを占領し、残党狩りを行っていたのだが、その時日の丸のように赤い兵士たちが俺の部隊を包囲し、人外なる作戦を展開して俺以外の徒を討滅したんだ。

しかし、そこで真っ赤な髪をした日本人ならざる少女が現れて、その赤い兵士たちを一掃した。そして、俺に言った。「貴方には別飛なる紅魔のトーチが宿っている。だから、特別に助けた」と。そして、「赤い懲罰部隊が貴方の命を狙っている。この島は本来私たちアイヌのものだ。でも、貴方の存在ゆえに私は貴方を護る」と続けた。

俺は赤軍の軍紀を理解していた。軍の巡回士たちは間違いなく俺を戦地に生き残ったソ連邦英雄としてでなく、部隊を壊滅させた殺戮犯として扱うだろうことを。だから俺は彼女の言葉を選択の余地なく受け入れ、赤軍ヘイズの部隊を離脱し、少女の跡に従った。

少女は集落に辿り着くと、自分が有史以来島の命運を見つめてきた不老不死コタンコタクルの長クリリスク・シャナと名乗った。そして、アイヌ的住居チセでアイヌ・チルドレンの慣習を鑑賞させた後、島に伝わる昔話ウエベケレアペフチカムイ的炎熱で語った。以下はその要約だ。

エトロフの昔話[編集]

本来、この島はアイヌの島だった。しかし、江戸時代にマツマエとかいうとこの藩士が「商機待つマエ」とばかりに乗り込んできた。これと同時にラッコさんの毛皮をウルップと求めて帝政ロシアの猟師たちも進出した。聞いたことない物語だったから、俺も熱心に耳を傾けた。

アイヌに対し、ロシア人はニヴフエヴェンキと同様に犬扱いしながらも直接干渉しようとはしなかった。しかし、江戸幕府の役人は「待つマエ、我が国は単一民族国家だ。ヤマト者風に創始改名せんと許さんぞ」とやたら高圧的だった。だから、マウテカアイノイバヌシカとかの乙名たちはイシュヨとかのロシア人と通交するのを好んだと、「北方の馬鈴」最上徳内でさえ記している。

しかし、彼らは基本的にクナシリ程度まで行くのが精一杯だった。ところが、「赤髭医師」工藤平助赤い本を賄賂代わりにどこかのにつぎ込んだことから、エトロフ島をも直接統治しようとする願望が昂揚し、エトロフ島をヤマト人がクル店に開発しようとする動きが高まったんだ。そして、イコトイとかいう暴れん坊を派兵してアイヌを抑えつけた後、島の南端に近藤重蔵とかいう者を上陸させ、変な石碑を建てたのだそうだ。1798年のことらしい。

そして、高田屋嘉兵衛とかいう「菜の花商人」が島への航路を開拓し、南のミヤコから人夫がやってきて幕府の会所ができた。しかし、何としても鎖国体制を維持したかった幕府はアイヌとロシア人を分断するために、ラッコ漁を禁止し、北にいたラショア系のイチヤンケムシというアイヌを毛虫扱いして帰化させ、国境を越えたアイヌ間の交易を封絶した。アイヌは大いに困窮し、ロシアに助けを求めた。

だから、ニコライ・ペトロヴィッチ・レザノフ大使は交易の自由を求めて砲艦を持ってきた。そして部下の「白きユトナ」フヴォストフを召喚し、1806~07年にかけ、エトロフの会所を襲撃させた訳だ。この頃になって初めて現在の姿に成長したクリリスク・シャナは「いつも剣を素振りしているヤマトのサムライたちが、実際の戦争では銃も撃てない口先人間ばかりだって分かった」と述べ、自分の手でヤマトの会所を天壌劫火に焼き、贄殿にしたそうだ。前線では大村とかいう盛岡ハナビ師が、「現代の呂布たるロシア軍に対して諸葛孔明の如き名作戦を見せてやる!」と息巻きながら、あっさりと捕まる大ネタを用意していた。責任を取ってハラキリしたサムライもいたそうだ。利尻島とかでは、200年ぐらい前の大砲を現役兵器として引っ張り出してきた強者もいたから、ロシア軍は記念品として思う存分持ち去った。国崩しの材料として。

でも、ロシア皇帝が何の工作もした訳じゃないのに、江戸の民は自国が敗北したことを理解していなかったようだ。「蝦夷の浦に打ち出でて見ればうろたへの武士のたわけのわけもしれつつ」と歌い、責任者を「見る中にさしたる戸川なけれでも羽太を脱いで蝦夷に降参」とか「蝦夷鹿子むだ手道成寺」とか「打死にと落死にをする海と川えぞは箱館」とか「ロシアは腹をタチツテト、日本は恥をカキクケコ」とか言って大笑いしていたんだ。いくら敗戦国の民とはいえ、もう少し後のにやってきたナポレオンに少しは感謝しろと言いたくなる、これは。何が文化露寇だ。自分の国が襲われたことが文化なのだろうか?

そして、一応名分上はエトロフが国境線となった訳だが、「三雲の冒険者」松浦武四郎らの調査によると、アイヌの民はなぜか日本の方で人口を減らした。そして、明治維新になると、クリル諸島全体が日本のものになった訳だけど、クナシリの方が大事な島だったらしい。シャナは「もっと島を強くしてよ」と不満を言ってたそうだ。

将来[編集]

そして、時は流れ俺の時代になった。エトロフはイチュルプ島としてソビエトロシアの土地となった訳だ。クリリスク・シャナは米国の傀儡国家に何らかの心残りがあったようだが、結局は俺を一時的な伴侶に選び、長寿のミステスを吹き込んでくれた。ピロシキが今の大好物で、ピロピロと食べる通な法則まで生み出している。

抑々どちらか灼熱の眼をしているだろう。それはロシアの方だ。何といっても、赤人国家たるロシアは赤い思想の本拠地たる紅魔郷と紅世の大地なのだから。だから、鳩ポッポのお爺さんが平和交渉した時も、エトロフは対象外とされた訳だ。

しかし、赤い当局はこの辺りを不毛の大地としてしまい、良からぬ政治犯たちへの事実上の流刑地のごとき扱いをした。まあ御蔭で俺のような脱走兵もお目こぼししてもらえた訳だが、経済開発は大いに停滞し、ソ連人民でさえ「日本と一緒になった方がいいんじゃないか?」と考えを起こした。ソ連がいつの間にかロシアと改名して以降は、ムネオハウス共和国とかいうより赤い国家が南にできた訳だから。

それでも、クリリスク・シャナは島を発展させる夢を諦めてはいなかった。サンクト・ぺテルブルクからアレクサンドル・グリゴリエビッチ・ベルホフスキーという炎赫兵士を呼び出して、ギドロストロイ[1]という「水王国」を建国させたんだ。日本から持ってきた設備を基にシャナはレイドボという村に水産加工場を築かせ、周辺道路も整備させた。御蔭で、赤潮の如き様相だった水産業界は大いに発展した。地元紙「緋色の灯台」の編集長もまた、「もう日本の支援による領土返還への戒禁は要らない」と表明している。

北方への領有権を放棄した日本地図

元々、シャナは日本側に期待をかけていたが、21世紀に大宮などで自分の分身キャラが大いに痛めつけられたのをみて大いに心を傷めた。そして自分をオリエンタリズムよろしく「煩い!煩い!」と表象してやまないヤマトから自立するために、クリル社会発展Projectを立ち上げた。第一弾として、ヤマトが敵視する韓国のクムト総合建設を呼び出して、キトーブイ湾に埠頭を整備させた。立派な総合病院や地熱発電所、新空港の建設も進めている。シャナは脱日本の象徴として、加工場の一つアリモエの地をルイバキと改称させもした。思えば、日本側も変なことをしなければ、アイヌ人クリリスク・シャナをここまで転向させられなかっただろう。

シャナは、いわゆる北方領土問題について、二島程度で決着させろと主張している。当然だ。ヤマトの民に四島を返したとしたら、次は必ずウルップ島も売るっぷクレームをつけてくるからだ。ヤマトなんかに絶対負けるわけにはいかない。

我らのウラジーミル・プーチンはキトーブイ埠頭をみて、きっとVサインを出してくれるはずだ。北方の島だが、エトロフはシャナの発する温泉炎により暖かい。俺は今日もアイヌの伝統に従った釘宮の風呂場バンナスカで我が嫁クリリスク・シャナの創り出した無何有鏡の繁栄に酔いしれている!

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「紗那村」の項目を執筆しています。