菅原道真

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道真の怨霊

菅原 道真 (かん ハラドーマ) は平安時代の学者で、政治家

昌泰の変大宰府権帥左遷され現地で死去。その後、で大規模なテロを起こし陰陽師たちと壮絶なバトルを繰り広げた後、北野天満宮に封印される。本人も知らないうちに学問の神として奉られている。でも結構な女好きであり、子供が23人もいた。

生前[編集]

彼は学問に優れ、漢詩和歌を書いていた。矢の名手でもあった。また、六国史の最終巻である日本三代実録の編纂にも携わった。894年には「支那どもには用は無い。大日本帝国万歳」と言って遣唐使を廃止させた。政治家としては宇多天皇の信任を得て藤原氏の抑制の意味もあり、朝廷の重要ポストに就き最終的には右大臣になる。しかし、901年左大臣藤原時平が「調子乗んなよ。氏ねよ」と言って彼を大宰府権帥へと左遷した。彼は大宰府でなんとかやっていこうと思ったものもどうにもならず、2年後に「I'll be back!」と言い残して死亡した。その日が丑の月の丑の日だったということもあって、死体二頭の牛によって墓まで引きずられていった。

京都同時多発テロ[編集]

道真は死後、怨霊となって京都に戻ってきた。彼は自分を陥れた連中への復讐を決意し、時平や醍醐天皇の皇子達を病に罹らせ殺し、朝議中の清涼殿に「見せてあげよう、ラピュタの雷を!」と言って雷撃を食らわし、多くの要人を抹殺。その後も朝廷の役人達が次々と不審な死を遂げた。さらには京都市内にB-29天然痘ウイルスを大量散布し、市民にも大きな被害を与えた。道真は人々が悶え苦しむ様を見て「見ろ、人がゴミのようだ!!」と連呼していたという。

しかしこの状況を見かねた陰陽師達が立ち上がった。いろいろと策を練った結果、ある作戦が敢行されることとなる。先ず彼らは市内に「冷暖房完備、全面天然大理石張り、インターネット使い放題、機能的なシステムキッチン云々」といった住居を建てさせ、そこに道真を呼び寄せようとした。最初は無視を決め込んでいた彼も大々的な宣伝に段々と興味を引かれ、ちょっと部屋に入ったところで戸を閉められ、御札を貼られ閉じ込められてしまった。そこが現在の北野天満宮である。その後何故か彼は学問の神として奉られている。

霊能者が見た参拝客と道真のやりとり

灯台合格させてください」
「知らねぇよ、早く出せよ!」
KO入りたいです」
「うるせぇ!出したら入れてやるよ」

こんな割にはご利益が結構あるのだから不思議である。

正体[編集]

彼は生前、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」と詠んだ。そうしたら秋なのに梅が咲いたのである。彼は自分の願望を実現する能力を持っていたらしい。その為、涼宮ハルヒの先祖ではないかと推測されている。因みに藤原時平未来人藤原の先祖であるとされる。

また、彼はその人並み外れた頭の良さ故に、「彼は人間ではない、梅の木の股から生まれたのだ」と噂されたこともある。…キー坊か!

関連項目[編集]

Wikipedia
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菅原道真が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/歌人」へ収録されています。