落語

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

落語(らくご)とは、主に一人の人間が座布団に座って長々とくっちゃべるだけでじぇにがいただけるという、大変あつかましい商売の一つである。類似する職業に、2人で動いてくっちゃべるだけの漫才、座っていた落語家が立ち上がっただけの漫談などがある。

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目次

[編集] 概要

この世には、落語専門にして活動している「」はいない。なぜなら、落語を職業にした瞬間、そいつらは全員「鹿」に化けるからである。併せて、お笑い芸人といわれる存在は、基本的には“河原乞食”と呼ばれる存在であって、人間とみなすこと自体おこがましい。

落語と呼ばれるものの9割9分9厘は、ただの言葉と動作である。残りの1厘がやっている本人である。つまり、本人がいなければ、落語ではなく、ただの物語でしかない。併せて、演者の顔も分からない落語の速記本なんぞ買ったところで、ただの子供向けの話の羅列でしかないため、まず、聴くこと。できれば見ることこそが、昔のシカを楽しむ手段である。

[編集] 特徴

  • 基本的に大勢を前にして一人でしゃべっているだけであるため、公開恥さらしの刑と言っても過言ではない。へたくそな野郎はそのまま死刑にしたって悪くない。
  • 日頃の不満を呪詛のようにつぶやいたり、どうでもいい昔のしきたりや小話などを最初にマクラと称して話す。多分、何かの呪いだろう。実際、素晴らしい腕前のシカにかかるとマクラの段階で聞いてるほうが眠たくなる。
  • 独り言をつぶやく。それも右を向いたり左を向いたりしながらつぶやく。精神的に追い詰められた人によく見られる光景であるが、何が彼らをそこまで追い詰めたのだろう。
  • 何かに憑依されることもしばしばである。目の前の60過ぎのジジイがいきなり花魁になったりクソガキになったりボンクラになったりする様子は、見ているだけで楽しい。中には、ロウソクを吹き消す仕草をしたら部屋が暗くなったといった逸話も存在するが、多分、夕方だった可能性が高い。または、メガネが曇ったかのどっちかだ。

[編集] 落語をネタとしているお笑い芸人

立川談志
いまだ存命つかまつりまする。元参議院議員にして、沖縄開発庁長官。そして、会見に泥酔して現れた誰かの大先輩。現在、河原乞食の親玉として絶賛活躍中。世が世なら、車善七として裏の世界を牛耳っていた可能性が高い。最近、ようやくにくたばるかと思ったら、しぶとくまた復活しちまった。しょうがない、次に期待しよう。
古今亭志ん生
存在そのものがお笑い。すでに芸人である必要がなくなった存在。そこにいるだけでいいやって、客に思わせることができた数少ない存在。分かりやすく言うと長嶋茂雄みたいな存在。座布団の上でいきなり眠りだし、それを見ていた客が全員笑いながら見ていたというんだからケタが違う。だいたい、死んでから40年近くたっているってのに、いまだに落語といえば筆頭に語られるんだから、その後の世代が報われない
桂文楽
存在そのものが芸人。すでにお笑いである必要がなくなった存在。笑いとかというよりも、芸というものをつきつめた結果、甘納豆を食べてるフリをしただけで、客を満足させたってんだから、しゃれにならない。しかも、死に様もこれがまた芸人としてのハクをつけまくった形であって、79歳にしてようやく話に蹴躓いたら、そのまんま勉強しなおすといって、客をほっぽらかしたままそでにはけると、結局、そのまんま、二度と。
三遊亭円生
職人。芸人という以上に職人。晩節は談志とのからみで汚れまくりだが、満州時代の志ん生とのからみは、芸か死か。もしくは、笑いか死かを体現した壮絶なものだった。それまで売れなかったけれど、帰国してからは爆発的に売れたのは、色々と経験したくもないことを経験しちまったからだろうと思われる。この人も、死んでから30年がたとうとしているってのに、いまだに落語関連の書籍、CDの常連。下の世代はいったい何をやってるんだ。
柳家小さん
その下の世代。とりあえず何かをやったことは間違いない。その何かってのが、いわゆるクーデターで、本人、まごうことなく反☆乱☆兵ってのはしゃれになってないかもしれない。天皇に弓を引いた立場ながら、後でその天皇から文化勲章をもらっているんだから、本人の努力、いかんぱかりか。もっとも、育てたのが立川談志だっていうんだから、確実に、その悪い意味での教えが引き継がれている。
三遊亭円朝

[編集] 関連項目