薩摩隼人

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索

薩摩隼人(さつまはやと)とは昔の九州鹿児島に存在した恐るべき戦闘民族の総称である。殺魔隼人 とも呼ばれる。

薩摩隼人の歴史[編集]

元々薩摩・大隅の先住民族として存在していた隼人族の者達であるが、暴れん坊天皇こと景行天皇が下向した際、その暴れっぷりにシンクロし統制下に収まった戦闘民族であった。彼らは臭かベェ大クマなどと称して、朝廷支配に大人しく収まっていたが、景行天皇が去った後に赴任してくる公家という連中が、風速5mmの風でもキリモミしながら吹き飛ばされ、歩きながら壁にぶつかってもマンボウのように死んでしまう脆弱さであったため、日々フラストレーションをためていった。また、一部は海へ漕ぎだし、周辺をトレーニング場とばかりに暴れまくった(その一部が後に、中国の無法者や肥前国松浦党の下部組織らと結託し倭寇となるのである)。

鎌倉時代の御家人島津忠久はスカウターがぶっ壊れるほどの戦闘力を誇る強者として知られていた。その為、源頼朝から未開の地九州薩摩の守護職に命じられる。その後忠久は薩摩・大隅に巣食うモンスターを駆逐、または懐柔してその地を開拓した。忠久にシンクロした者達は、これで暴れまくれるとばかりその戦闘力を高めるべく桜島の火口に"精神と時の部屋"を造り、戦闘力を高めることに没頭、その結果、「人としての大切にしなければいけない感情ランキング」において連中は、2位の「仕事の後のだいやめ」とトリプルスコアの差をつけ、「戦場で死ぬこと」をダントツ1位にしてしまうほどの戦バカに仕上がっていった。しかもこれは、『人国記』という書物にほぼしっかりと書き残される始末であった。また、この頃より彼らの俗称を薩人マシーンというようなった。

連中は島津家の采配により、元寇の際には北条時宗の元で奮闘し、戦国時代には島津四兄弟と言う最強クラスの戦闘集団が現れあっという間に九州を駆逐していった。しかしいくら屈強な強者でも結局は蛮族であったため、ジェネシス社の実験用猿でアルツハイマー遺伝子治療薬を投与された羽シーザー秀吉(後の豊臣秀吉)の率いた物量で圧倒する群れには叶わず、やむなく降伏した。

しかし、その後も薩摩隼人は朝鮮出兵関ヶ原の合戦でその精強さを見せつけ、江戸時代には薩摩藩(またの名をおいどん幕府)として繁栄した。またこの頃から薩摩隼人は戦闘タイプと文官タイプの二種類に分かれていった。そして、かつては蛮族だった彼らは250年の時を経て財力と軍事力を蓄え、ついに徳川幕府を打倒し明治維新を成し遂げたのである。

薩摩隼人の文化[編集]

  • 薩摩隼人は非常食としても使えまた兵器としても流用できる薩摩芋と言う食物を生み出した。薩摩芋を食うことによって尻から出る毒ガスは火炎放射級の凶器となり、ゼロ距離で喰らえば即死は免れない。
  • 自分達の間でのみ通用する薩摩弁と言う暗号を作り上げこれを使うことによって敵の間者を探ったり極秘に情報を交換したりしていた。
  • 火縄銃を吊るし火をつけて回転させその下で酒を飲むサツマンルーレットが大流行。
  • 薩摩隼人のほとんどが日本酒よりも焼酎を好む。チューハイやカクテルなどを飲む生意気な輩には教育的指導として錦江湾(鹿児島湾)横断遠泳をさせることもある。

主な薩摩隼人[編集]

戦闘タイプ[編集]

文官タイプ[編集]

関連項目[編集]


軍隊の兵士による兵隊のための軍事スタブ この薩摩隼人は、敵軍によって占領されています!!
このページを開放するには、アンサイクロペディア軍の意地という物を証明してみてください!
健闘を祈っております!敬礼!! (Portal:スタブ)