藤堂高虎
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 藤堂高虎 について、土井八郎
~ 藤堂高虎 について、織田信長
藤堂 高虎(とうどう たかとら、弘治2年1月6日(1556年2月16日) - 寛永7年10月5日(1630年11月9日))は戦国時代のサムライ、一級建築士である。何度も主君を代えたことから裏切り者の代名詞のように扱われ言われ無き誹謗中傷を受けているが、これは世渡り下手なブルジョワジーの奴隷たる一般人、凡人共が彼の鮮やかな処世術に嫉妬しているからに過ぎない。世渡り下手な馬鹿の象徴であるサラリーマンからは特に憎悪と嫉妬を向けられており、サラリーマンの嫌いな戦国武将ランキングでは10年連続で一位の座に輝いている。
[編集] 生涯
近江の土豪藤堂虎高の嫡男として誕生する。藤堂家は元々有力な土豪であったが、先代や先々代がローン地獄やサラ金、賭博などを重ねた挙句に没落し、高虎の父の代には一農民にまで落魄れていた。高虎の父、藤堂虎高は家名復興を夢見ていたようだが、虎高はその勇ましい名前に反して風体は痩せこけた野武士であり、また頭の回転もよろしくなかったため、藤堂家の再興など夢のまた夢であった。
そんな藤堂家に生を受けた高虎は父親とは180度異なる筋骨隆々の逞しい巨漢であり、背が高すぎて匍匐前進しないと家屋に入れないほどであり、父虎高は名前負け自分とは似ても似つかぬ雄々しいこの息子に嘱望し、自分のようなマダオにならないようにという願いを込めて、自らの諱の二文字を反転させた高虎と言う文字を与えた。この当時の男性の平均身長は1hydeであり、対して高虎の背丈は190cmを軽く凌駕していたという。父親とは似ても似つかぬ屈強な体格を持つゆえ、高虎は虎高の実の息子ではなく、三途の川のほとりから拾ってきた鬼の子ではないか、あるいは幼少期にショッカーに拉致されて悪の秘密結社の下、人体改造を施されたのではないかなどの説が浮上している。
後世にこそ知恵者の印象が浸透している高虎だが、若年の頃は老獪さなど微塵も持ち合わせておらず、武辺一辺倒の猪武者であった。15歳の時姉川の戦いで華々しい初陣を飾るが、デカブツの高虎は一際目立ってしまい、頭の足りない織田の雑兵達は高虎を目にするや、あの巨人のような威容はまさしく総大将浅井長政に違いないと勘違いし、弓矢の的ともなり易いため敵兵達からこぞって狙われることとなる。高虎は死に物狂いで奮戦し赫々たる武功を重ね、総大将浅井長政か礼賛されたが、高虎は初めて見る長政の小柄で小太りな容貌(史実)を目にし、こんな子豚のような男と見間違われるとはと憤慨したという。
1573年、浅井氏が信長によって滅ぼされると、高虎は旧臣である阿閉貞征、磯野員昌に仕えるが、世渡りの下手糞な阿閉と磯野は相次いで没落、高虎は相次ぐ主の没落を見て世渡りの大事さを学ぶ。その後信長の家臣筋の津田信澄に仕えるが、信澄は高虎の高すぎる身長に嫉妬し高虎を冷遇、また、仕えた家が次々に滅亡するジンクスを持つ高虎に不吉なものを感じ彼を冷遇する。そしてある日高虎を背が高いだけが取り得の木偶の坊の貶し、高虎が「何だとこのチビ助が」と我慢しきれずに激怒したことで喧嘩別れとなる。
ここまで既に高虎は4度主を変えている。高虎に落ち度は全く無く、全ては無能な上司共の不徳ゆえなのだが、既に高虎はこの頃4度も主を変えた変節漢という色眼鏡で見られており、いくら下剋上や裏切りが跋扈する乱世とはいえ、いや斯様な乱世であればこそ、何度も主を変えた(変えざる終えなかった)高虎に不信感が集まり、武将として優れた才覚を持ちながら彼は再就職先を探すのに難を要した。
しかしそんな彼を何の偏見も無く受け入れてくれるものがいた。豊臣秀吉の弟、豊臣秀長である。秀長は思慮深い人格者でなおかつ武将としての器量に優れており、良き上司に巡りあえた高虎は秀長傘下の武将として活躍する。九州征伐では孤立した宮部継潤を救うべく敵陣に遮二無二突撃し精強な島津軍を打ち破り敵中突破、見事宮部を救い出した。
| この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。 あとは適当に頑張ってください。(Portal:スタブ) |
[編集] 人物・逸話
- 身長190~230cm(伸縮自在・1.2~1.5hyde)。かなりの長身でありジャイアント馬場やスタン・ハンセンと見間違えられた。
- 元服したての高虎は、高虎と言う名前を虎より高い=虎より強い漢と評価されたと思い込み、ならば虎を易々といなす勇姿を見せて周囲に我が勇名をさらに轟かせんとして日本一周虎探しの旅に出た。しかし虎を見つけることは叶わず、腹いせに高虎は小谷城にある虎の屏風を正拳突きでぶち抜いてしまい、損害賠償を払わされる羽目になってしまった。しかし1573年に浅井氏が滅亡したため結局は払わずに済んだ。
- 彼が移封された伊賀上野は伊賀忍者の里として有名だが、前の領主であった筒井定次は曲者の伊賀忍者達を統治することに失敗し、弾圧と言う強硬手段に頼ったため一揆などの反発を招き結果改易されている。しかし高虎は見事伊賀忍者達を手懐け、自らの与力として使いこなすまでに至った。利に聡いと言われる伊賀忍者だが、おそらく高虎はエロ本などを餌に彼らを顎で使ったと思われる。
- レゴブロックやペーパークラフトで一夜城を作ったり盆栽からイカダを作った事もある。
- 身長が高かった上ロッククライミングの達人であったためクレーンを使わず自分で石垣を積み上げることが出来た。またロッククライミングの才能を生かされてリポビタンDのCMに出た事がある。
- 武勇に優れていただけでなく多才であった為高虎は4つ脳味噌を持っていると言われた。
- 兜にはウサミミを付け、敵陣の戦意を失わせていた。
| この項目「藤堂高虎」は、執筆者がクラックをキメていた可能性もありますが、今はまだクソの山です。より愉快にしてくださる協力者を求めています。さぁ、これを見ている貴方(貴女)も、恥ずかしがらずに書き込んでみよう! (Portal:スタブ) |


