醜偽淫
醜偽淫(しゅうぎいん)とは、日本の男女混成アイドルグループで、株式会社エルディーピー(本社 東京都千代田区永田町)やおふぃすえだまめ(本社 東京都千代田区平河町)などの芸能事務所が共同で運営している。
概要[編集]
醜偽淫は、「地域密着型アイドル」をスローガンに、これまで多くのミリオンヒットを出してきた。その数は2000曲を超え、1990年には世界で最もミリオンヒットを達成したアイドルグループとしてギネス世界記録に認定された(この記録は2015年6月にhydeに塗り替えられた)。
メンバー選考[編集]
定員は465人(2022年現在)。規則により、4年に1度騒銭虚と題してメンバーの総入れ替えを行うことになっている(ただし、続けて参加することも可能)が、多くの場合、所属事務所の都合により、入れ替えの時期が早まることになる(これを怪惨という)。怪惨が告げられると、メンバーたちは狂ったように万歳を叫び、稽古場を後にする。
騒銭虚は、満18才以上の全ての国民の投票によって、省銭虚苦・非礼台豹並立制で行われる。省銭虚苦制は、1都道府県を2〜3個のブロック(多いところでは10個以上のブロック)に分けて行われ、割と資金がある加入希望者が多く立候補する。非礼台豹は、全国を10のブロックに分けて行われる。この投票は所属事務所ごとに行われ、各芸能事務所の得票数に応じてメンバー枠が配分される。なお、過去には厨銭虚苦制(一つのブロックから2〜6人のメンバーが選出される方法)が導入されており、人気メンバー同士の対決になるブロックも多かった(特に1970〜80年代の群馬県ブロックは「上州戦争」と呼ばれるほど苛烈なブロックだった。)
当選者の傾向として、親や親戚が元メンバーである場合が多い(麻生太郎、鳩山由紀夫など)。稀に地方アイドルから加入したメンバーも見られ、センターになった例もあるが(ガースーなど)、多くの場合、マイナーメンバーのまま終わることが多い。
沿革[編集]
草創期[編集]
醜偽淫は、1890年にボーイズグループとして結成された。呼びかけたのは有限会社The freedom does not die社長の板垣退助で、多くの芸能事務所がこれに同調し、実現した。当初からメンバーの全国募集が行われ、300人が第1期メンバーとなった。
第1期メンバーとして最も有名なのは田中正造で、彼自ら作詞作曲を手がけた8thシングル「A・S・H・I・O!」は、アイドルらしからぬセンセーショナルな歌詞の内容が話題となり、グループ初のミリオンヒットをたたき出した。
なお、当初はセンターという役職はなく、代わりにソロのトップアイドルをミニスターとして招聘し、現在でいうセンターとしての役割を果たさせていた。
この頃は、現在ほど知名度は高くなく(ターゲットもセレブ層だった)、やがてライバルグループとなるArMysや水兵です!!!の方が、人気も知名度も高かった。
Say You!の台頭、そして黄金期へ[編集]
大正時代に入ると、新興事務所である Say You!が台頭。シンガーソングライターのSAKUZOやJポップの草分け的存在であるみのたつと協力して一大キャンペーン(TAISHOでもくらしぃ)を企画。ターゲットを一般市民層にまで拡大し、一気にトップアイドルグループの座につき、現在のグループイメージが形成された。この過程において、ミニスターからプロデューサーに転身したきんもち♂の果たした役割も大きかった。
センターの役職が作られたのもこの頃で(初代センター 原敬)、一時ミニスターの制度が復活したものの、大正後期には定着し、昭和初期まで10年ほど続いた。
そして1925(大正14)年、グループ最大のヒットとも言われる名シングル「普通に選んでいいじゃない?(通称 普選)」を発売。グループ初のビリオンヒットを記録した。一方で、「Dame Dame Socialism!」は、その過激な内容が物議を醸し、「普選」の売れ行きに悪影響をもたらしたとされる。
低迷期[編集]
第1次全盛期を迎えた醜偽淫も、昭和に入るとその活躍に陰りが見え始める。特に、田中義一がセンターを務めた時期はスキャンダルに巻き込まれ、挙句の果てに有力プロデューサーから嫌われてしまい、センターを辞任することになってしまった。犬養毅がセンターに就任し、盛り返しが起こるかと思われたが、水兵です!!!のシングル「問答無用!」の大ヒットにより、グループは大打撃を受けた。
その後、ミニスターの制度が復活し、細々と活動を続けていたが、近衛文麿の弱体化策略により、活動休止扱いになった[1]。
レボリューション時代[編集]
醜偽淫は、アイドルプロデュース団体である米米クラブの傘下に入り、名プロデューサーであるダグラス・マッカーサーを中心としてグループの再編をした。その過程には「Dame Dame Socialism!」が急遽発売禁止になったり、一部のメンバーが一斉に追放されるなどの事態もあったが、少しずつボロボロになったグループは建て直されていった。またこれまでボーイズグループとして活動していたのが、女性も参加できるようになった。
1946年11月3日には、日本全国で大ヒットを叩きだし、今でも教科書に載せられるほど多くの人に知られている「Constitution Japan!」が発表され、翌年5月3日に発売された。この歌はグループとそのファンたちの平和、主権、人権を歌ったものであるが、しばらくして歌詞の一部に疑問を抱く人たちも現れるようになり、現在も物議を釀している。その他にも、1947年前後には非常に多くの曲が発売されている。
そして、1952年には当時のセンター吉田茂などの活躍もあって、アメリカの傘下を離れ、独立してやっていくことになった。しかし、「今でもアメリカの言いなりではないのか」や「アメリカのライバル組織中国も手を伸ばしてきていないか」などの陰謀論的な意見もある。
55年体制[編集]
グループのある意味での最盛期。特に自由な人々が多く集まり、新会社株式会社エルディーピーを立ち上げたお陰で,お財布に嬉しく,更に「お金に困らない」という曲を披露したため,人民はみなお給料が上がったとか。また、佐藤栄作がセンターを務めた「非核三原則」は、グループ初のノーヘルメットアワードを受賞。文字通り、世界のアイドルとなった。
一方で,自由な人々である一方,趣向が傾き過ぎたことにより,独裁過ぎるのではないかという批判が相次ぎ,この体制は終焉を迎えた。
平成の混乱[編集]
55年体制が崩壊を迎えると、現在も抜け出せていない低迷期を迎えてしまった。
モザイクアーティスツの失敗[編集]
エルディーピーとレッドフラッグズに所属しているメンバーを除いたメンバーからなるグループ内ユニットモザイクアーティスツ は、当初一世を風靡したが、リーダーがかつてグループをめちゃくちゃにした人の孫で、やはり祖父と同じことをしそうになり、ユニットのリーダーとグループのセンターの座から追われた。
次のセンターになった羽田孜は、もっと大変な人だったので、ユニットは消滅した。
何はなくとも自由な人々[編集]
その後、眉毛の長いセンターを経て、結局エルディーピーにセンターが回ってきた。この時代は割と何もなくて、強いて言えば小渕恵三とゴルフ森が共同センターを務めた、「沖縄サミーット」のヒット、小泉純一郎がセンターだった「You Say Key Sun!」の爆発的ヒット、安倍晋三の「今年の漢字は責任です!」の天文学的大すべりぐらいである。
いらねぇことしやがって[編集]
麻生太郎が、ヘビメタグループ・リーマンブラザーズの新曲「Shock」の世界的ヒットでセンターの地位を追われると、ピジョンの社員だった鳩山由紀夫が突如センターとなった。しかし、シングル「必殺!事業仕分け人」が著作権侵害により中村主水から告訴されると、公式発表もなく、突然いなくなってしまった。
その後、菅直人(カンチョクト)が大陸から招聘されるが、シングルを1曲も出せずに辞任。次の野田佳彦については、シングル「近いうちに~」が批評家から批判され辞任。そうこうしているうちに、CDが1枚も売れなくなってしまっていた。
とにかく自由な人々[編集]
安倍晋三がセンターに復帰すると、どうかこうか人気が盛り返してくる。とくに、「アベノミクス」は斬新な内容が評価され、ひよこ陛下から記念メダルが贈られた。その一方で、メンバーのスキャンダルが相次ぎ、センター自身も、音楽スクールやダンススクールの建設費に、グループの予算を充てた疑惑が持ち上がった。
新型コロナウイルス流行のさなか、安倍晋三が持病でセンターをやめると、アクロバット担当だったガースーがセンターに就任。持ち前のアクロバットをふんだんに盛り込んだ「100万本のワクチン」や、「Digital in Japan.」を発売するも、他のメンバーの低すぎるアクロバット技術が裏目に出て低迷。辞任に追い込まれた(しかし、この2曲におけるガースーのアクロバットは高い評価を得ている)。
その次の岸田文雄は、長く広報部にいたので、歌も踊りもあまりうまくない。が、不祥事などの少なさなどから高い評価を得ている。
現状の問題[編集]
男女問題[編集]
女性が参加できるようになってかなりの時間がたち、活躍する女性メンバーも増加してきたが、「男女混成」であるにも関わらずいまだ全メンバー中の女性の割合は10%近くとかなり少ない上センターはすべて男性で、それがしばしば非難を浴びることもある。
ギャラ問題[編集]
たいしたヒットも出してないのに、ギャラが他のアイドルに比べて高すぎると指摘する声もある。というより、みんなそう言ってる。一方、メンバーは誰も気にしない。
特定の宗教との結びつき[編集]
醜偽淫のメンバーは、特定の宗教団体との結びつきが制限されている。しかし2022年、ひょんなことから、多くのメンバーがある宗教団体の組織的な支援を受けていたことが判明した。これを受けてセンターの岸田(別に外野手ではない)は、「とりあえず武道館ライブやって乗り切ろうぜ!」と発言したが、非主流派のスプリング泉などが反発。却って火に油を注ぐ結果となり、グループ人気は低迷した。
脚注[編集]
- ^ 一部は「チームむしょぐらし」としてどさ回りをしたが、誰も気にしなかった