西日暮里駅

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

西日暮里駅(にしにっぽりえき)とは、東京地下鉄千代田線JR山手線が交差する駅。JR常磐線との直通運転で千代田線に怒涛の勢いで迫るチバラギの民が、綾瀬/北千住という国境を強行突破する衝撃を、更に緩和するために作られた。

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目次

[編集] チバラギの民が山手線内に来る

古くは千葉北部と茨城を含めた地域を「下総」と呼んだ。平安時代以来、平将門を筆頭に猛者の集まる地域として知られている。豪胆で、気が強く、臆することのない「下総の民」は、いつしか「チバラギの民」と呼ばれるようになったが、荒々しい気性は、明治維新この方ほとんど変わらなかった。

それでも常磐線が伸びてからチバラギの地域の住民は、根づくとそこらじゅうで繁茂するあの京成族と競合するように、都心に向けて縄張りを広げていったのである。綾瀬・北千住の駅設置はこれらの民を鎮撫する目的であったが、逆にチバラギの民と交雑した連中もいて、綾瀬・北千住をチバラギ民が強行突破し、山の手線内に侵攻することを、密かに黙認する動きさえあったのである。

チバラギの民を押さえつける「東北の守り」としての北千住は、もはや当てにならなくなったのである。そこで昭和44年の千代田線の西日暮里駅開業、昭和46年の山手線の西日暮里駅の開業とともに、「絶対山手線圏内」を守る北の砦として西日暮里はその姿を現したのである。

[編集] 日暮里と西日暮里

そもそも従来から山手線にあった日暮里駅がピンチに陥っていた。そこであえて無茶して造ったのが西日暮里と言えようか。というのは新設された西日暮里駅と日暮里駅の間はたった500メートルしかなかったからである。徒歩で10分、スキップで15分、匍匐前進(ほふくぜんしん)したとしても1時間はかからない距離である。

どうしてこんなに近い距離に新駅を増設したのであろうか。それは日暮里駅における京成族のコントロールがうまくいっていなかったからである。京成族は敵に回すと厄介な種族である。トラブル回避のため京成族専用の「京成日暮里」駅とか造ると、「また「京成高砂」の二番煎じかよ、隔離してんじゃねえよ」と絡まれるのも面倒である。しかし京成族と常磐チバラギの民をいっぺんに相手するのは難しい。そのため常磐線・千代田線連絡によってチバラギの民を西日暮里でひきつけ、他方、京成族を日暮里で処理するという分割統治が考え出されたのである。言うまでもなく分割統治はローマ帝国以来の統治の大原則である。もし常磐チバラギ民と京成族が手を組んで突入したら、絶対山手線圏は崩壊し、日本の歴史は終っていたことであろう。

[編集] 開成高校というチバラギ封じ

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チバラギの民を押さえつけることがこの西日暮里の任務だとして、ではその任務をどの機関がどのように行っているのか。チバラギの民を封印する最強兵器、それは「開成高校の学生たち」なのである。

開成高校の歴史は古い。西日暮里駅の西側の道灌山で1924年、学び舎(まなびや)を営んでから80年近く経つ。西日暮里駅が作られる以前から、この学校は無敵の東大進学数を誇っている。他の追随を許さぬ偏差値や成績表・IQテスト、そして学識に支えられたエリート意識は、西日暮里周辺の人々をして、「開成さま、開成さま」と呼び習わせるようになったのである。

果敢さと獰猛さで知られる常磐チバラギの民も、「開成さま」を目の前にすると狼狽するようである。「開成さま」の持つギラギラとした「高偏差値色のオーラ」は、そうしたオーラを見たことのないチバラギの民に、途方もない驚きと恐怖を与えるようなのである。チバラギ民のすがる「筑波大学」や「筑波研究学園都市」による攻撃など、東大本郷キャンパスを目指す「開成さま」には全く効果がない。却ってバカにされ「開成さま」にねじ伏せられてしまうようである。「開成さま」は、「ペンと剣」の旗の下一致団結して徒党を組むと、情け容赦なく、常磐チバラギの民に「東大進学ビーム」を浴びせかけて追っ払い、この地域の安全を守ったといわれる。

しかし近年、多くのチバラギの民自身がこの「開成さま」になっていることが指摘されている。既に「開成さま」に占める割合も2割とも3割とも言われている。このため開成高校がチバラギの民を封印する効果は、生徒の威光にあるというよりもむしろ学校自体がもつ吸着作用による、チバラギの民の都心側流入の防止にあるとも目されている。

ちなみに日暮里駅と西日暮里駅との距離が500mしかないのは、山手線と千代田線との乗り換えの至便をはかると言う大義名分のもと「開成さま」の至便を図るためであったと言うのは有名な話である。

[編集] 開成OBナベツネ

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この開成高校生によるチバラギ封じを発案したのは、大手町に本社のある読売新聞ナベツネ氏であると言われている。大手町が千代田線で西日暮里でつながっている以上、チバラギ民の西日暮里通過を最小限に押しとどめ、加えて大手町までの侵略を防止することは絶対条件であり、死んでも読売新聞を守りたい彼の考えが反映しているようである。

ちなみにナベツネが開成のOBであって、東大に入学してからは哲学科に在籍していたことはよく知られている。千代田線が大手町駅-(東大本郷キャンパスに近い)湯島駅・根津駅-西日暮里駅のルートをたどって敷設されているのもナベツネの開成と東大への一方ならぬ愛情を読み取ることができるであろう。その意味で西日暮里の治安維持はナベツネの老いの杞憂だけにはとどまるまい。2006年4月に日本国籍を持たぬ武装スリ団(強盗)が、JR西日暮里駅にて一般市民めがけてスプレー噴射したことも併せて考えると、西日暮里の治安保持は急務と考えねばならぬだろう。

[編集] 餃子の王将

西日暮里駅、開成高校と、チバラギ封じのためにありとあらゆる方法を試みた政府であったが、それでもなお、チバラキ民の勢力は治まらなかった。また、チバラキ民は自分より立場の低い人を差別する傾向が日本人の中でも特に強く、西日暮里周辺の朝鮮街・中国街の人達を威張り散らし半ば迫害していたため、人権問題に発展していた。「このままでは民主主義国家・日本のメンツが潰れる!」と考えた政府は、西日暮里駅前に中華料理チェーン餃子の王将を投入することにした。餃子の王将を西日暮里駅に作ることで少しでも西日暮里駅で下車してもらってチバラキ民の都心への流入を抑え、また、中国の伝統料理餃子を餃子の店の中でも最も美味とされる餃子の王将で食べてもらうことで、中国に対する理解を深めてもらい、在日の人達への差別を解消する効果を期待した。餃子の王将は美味い。おいしい料理を食べてお腹がふくれれば、人は誰かを差別しようとしたり、山手線内に進入しようなどという愚かな行為をしたりしないのである。餃子の王将西日暮里店はチバラキ民の流出防止に一役買っているといえよう。

[編集] 関連項目

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