諸葛亮

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諸葛亮の近影。「牛二頭」について述べている所
死ねばいいのに」も使う。
『三国無双』の諸葛亮
「待て あわてるな これは孔明の罠だ」
諸葛亮 について、司馬懿
「げーっ 孔明!」
諸葛亮 について、司馬懿
「罠だ!これは罠だ!孔明が僕を陥れるために仕組んだ罠だ!」
諸葛孔明 について、夜神月

諸葛亮(もろくず すけ)は、中国で人気のあった建築士発明家、たまに軍師。あだ名は「孔明」はわわ軍師和菓子等。

諸葛孔明」と呼ばれると喜ぶ。「諸葛亮孔明」と呼ばれると嫌な顔をする。「公明党」と呼んだり、「"所轄"」と呼んだりするとすごく怒る。

最近の活躍といえば、ウンシュウミカンを倒したことで有名だが、当の本人は復活した。

諸葛孔明の業績[編集]

設計士[編集]

本業である設計・建築業においては、あまり大きなエピソードは無い。

  • 三国志という覇権争いにおいて、曹操が簡単に握れそうなところを挫いてしまい、中国人の戦争犠牲者を増やした。これは諸葛亮の建造した「季節外れの風通しの良さを実現する祭壇プラン」建築が、近隣に造成されたウォーターフロントリゾート「連環」の火災の遠因になったとされているからである。
  • 魚腹浦に建造した集団住宅「石兵八陣」は諸葛亮中期の傑作として名高い。一方で、利用者から「似たような風景ばかりで迷う」という苦情も相次いでいる。現在では諸葛亮の親族が案内役を行っている。
  • 今では某配管工を苦しめている。

発明家[編集]

一方で、町の発明おじさんとしての評判もある。特許の出願数では、1980年代にドクター中松に抜かれるまではギネス記録を誇っていた。

  • 人の生首をヒントに、饅頭を開発。今でこそ点心として有名であるが、当時は川に投げるために作ったらしい。庶民にとっては戦乱で困窮しているところなのに、良くもそんな無駄遣いをすることができたもんだといわれている。諸葛亮本人も「どっちかというと、餃子のほうが好き」と語っていたとされる。
  • 風船おじさんに先駆けること1700年、気球を開発。実際にはそんなことがあったとは思われないが、インカ帝国にあったというから嘘であるとも限らない。さる勇者一行にお貸ししたものの、まだ帰ってこないとか。
  • ゴールドクロスの特許を最初に取ったのも諸葛亮である。現在は車田正美が所有しているが、元はと言えば、友人である某老師のボケ防止のため、ボランティアのつもりで完成させたものである。自己修復機能がついたのは、某老師が「金は柔らかくて重い」とのたまい、しょっちゅう車にはねられて壊していたから。
  • 「虎戦車」という車輪付きの動物模型を作り、東南アジアの子供たちへ向けて贈った実績がある。これは現在のトミカに通じていると言われている。その一方、大人向けに大型の虎戦車を贈ったところ圧死事故が相次ぎ、回収騒ぎを起こしたこともある。
  • 世界でもいち早く、車椅子の開発なども行っていた。車椅子の普及を目指し、戦場などへ車椅子を使って出勤するなどと精力的な宣伝活動を行っていたが、相手を怒らせるばかりだったという苦い経験談もある。
  • 全国高等学校クイズ選手権』の北海道予選の小道具として、リヤカーを開発した。当初「木牛」という名称で特許を取得したものの、期限が切れた後に「ねこ車」という名称で同じものが登録されてひと悶着したことも、今やいい思い出です。みんな、には敵わない。
  • 地雷も孔明の発明であり、世界中の対人地雷の6割は孔明が開発したもので占められている。
  • 「木牛」とならび「流馬」を開発したがこちらは特許をとる前に今となっては実質司馬仲達率いている「曹魏」のスパイウェアにより奪われた。しかし司馬仲達に奪われる前に高密度なハンドパワーを掛けそれにより仲達は破棄せざるを得なくなり歴史から名を消した。
  • 発明ではないが、書籍版アンサイクロペディアとして名高い民明書房の執筆も行っていた。
  • 「連弩」という連射型ボウガンを発案したが制作前に死去。設計図を元に姜維が作ったらしいが、ひみつボックスを再現できなかったため使い物にならなかった。
  • 行く必要ないという周囲の声を無視して南の蛮族討伐に出陣。目的は「火を吐くゴジラの着ぐるみ」で蛮族を驚かせるため。上手く行ったので調子にのって、蜀に帰って来た際に赤い装飾を施した台の上に乗せて見せびらかしたが、誰も興味を持たなかった。

その他[編集]

恋姫†無双』の「はわわ軍師」こと諸葛亮の肖像
  • 馬産家としても有名。代表的な生産馬に、合肥サマージャンプ(GI)孫権騎手騎乗のもと制した諸葛瑾がいる。馬主として所有したものには、平場戦で堅実に活躍したバタイなどがいる。
  • 副業として軍師を務めたこともある。始めたきっかけは「友達がオーディションに行くから付いてきてって言われて、しょうがなく受けたら私が受かっちゃって」とのこと。(月刊KEISHU 210年6月号のインタビューより)
  • これ以外にも副業がごまんとあった。吟遊詩人国家錬金術師パリィ大きいお姉さんの餌食など多岐に広がっている。本業が政治家だったことなど、本人も忘れていたという。
  • 罠を仕掛ける才能にも恵まれている。その罠で多数の人間(主にマリオ)を殺害してきた。未だに公式に謝罪はしていない。
  • 本来は普通の政治家だったようですが、三国志演義のおかげで、別人28号になりました。理由は飽和状態です。お察しください
  • BF団に参加している。義はどこへ行った?→BF団にこそ真の義はあるのです、ウフフフフ。
  • 最近、諸葛凛なるおにゃのこが現れ、天才工兵(バカスパナ)を苦しめているそうな。因みに諸葛凛は腹ペコ王の属性を反転させるという快挙を成し遂げた。
  • 無理をどうにかするのがボクたちの役目でしょ

エピソード[編集]

我々の頭脳ですら無理であることは明白である。
馬謖の処遇について、諸葛亮が参考にしたマニュアル。
  • 成人してからも親の遺産を食い潰すニートだったが、友人には事あるごとに「お前らはリーマンにでもなってな。俺は裏の仕事で忙しいんだ」と吹聴していたという。恐らく中二病が発症していたものと思われる。
  • 偉い人の娘と結婚しヒモに就職する。
  • 副業の軍師としては割と優れていたが、人材を見る目がどこまであったかは疑わしい。劉備が漢王家の子孫であると言うのも、現在では眉唾ものになっているが、目利き違いを認めたくない諸葛亮は断固として正統を主張し、以後5度に亘る宣伝キャンペーンを展開していた。
  • 名義貸しを頻繁に行っていたとされる。「諸葛菜」「諸葛ラーメン」「諸葛金融」「諸葛たん」など、本人と無関係に諸葛名義が増えていることに対して「想定の範囲内です」と答えている。ほか、「今孔明」や「孔明堂の葛餅」などの未承諾と見られる名義借用もあり、次第にその価値が疑問視されている。
  • 登山家として当時著名であった馬謖とかなり親密な仲であり、彼に手を出していたいけないお兄さんのひとりでもあった。馬謖のプロモーターを務めたこともあったが、張郃禁則事項ですされて以来は関係を絶っている。
  • 諸葛亮夫人に関する話は……おっと、これ以上語るわけにはいかない。まだ機関に消されたくないからね。
  • なんかWikipediaの項目にキモい人たちがいっぱい貼りついてて、ちょっとした編集ですぐ合戦になる。
  • 策士という割には結構場当たり的な部分もあり、自身と相手の武力の差を見極めず一騎打ちを起こしてコテンパンにやられたことがある。本人曰く、「急に武将が来たので戦った」。策士なら来さすなよ。
  • 五丈原では声が届くギリギリの位置から司馬懿を罵倒し続けた。司馬懿が「じゃあ潰してやんよ」と息巻いたところ、邪気眼が暴れだした為陣没した。
  • 諸葛亮を祀る成都の「武侯祠」内の建物に三国時代の蜀の桟道をイメージした坑道のような暗い道があるがその奥にコンピュータールームがあり15分1元で三国無双がプレイできる(実話)。声優は日本人のままだが文字は中国語。(2007年夏時点では「三国無双4」だった)
  • 某ゲームでは小野坂昌也の声で諸葛亮のいろんな所からビームが発射される。何か勘違いしていると思うのは俺だけか?
  • 彼は実際8尺、だいたい184~193cmと長身を誇る。彼はhydeの横に並び「ホレホレ」と陰湿な死刑公開処刑をしょっちゅう行っている。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「諸葛亮」の項目を執筆しています。