豊臣秀吉 (太閤殿下)
〜 豊臣秀吉 について、千利休
豊臣 秀吉(とよとみ ひできち ひでよし、1537年1月1日 - 1598年8月18日)は、主君織田信長と同じくらいの時に登場していた指が6本ある女色原理主義者にして高根の花コン、ロリコン亡者のハゲ猿。尊称は太閤殿下。豊臣氏(羽柴氏とは無関係)の開祖。ちなみに、あの羽柴秀吉とはまったくの別人物である。
三ええケツの1人に数えられているが、様々な逸話から疑問視されている。特に生粋の女好きで、男色を全く好まなかった事から「全然ええケツじゃないじゃん」と突っ込まれている。
江戸時代以降、「秀吉はいい奴だったが晩年におかしくなった」というのが多くの日本人の評価だったが、最近は黒い実話がちゃんと紹介され、また功績も見直されてきている。これに腹を立てた秀吉儲(学者含む)たちが必死の秀吉age工作を行っているが、誰も気にしていない。
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[編集] 人物・略要
元々氏素性もさだかではない田畑を荒らす野人の子であったが、サルの分際でありながら人間を猿回しのサルとして扱き使うという荒業が信長の目に留まり、家臣として抜擢されることとなる。とある真冬に信長の草鞋を暖めるため、自らのケフィアを草鞋にぶっ掛けたというとんでもない逸話(どうも実話だったらしい)で知られている。このエピソードは「真冬の昼の淫夢」として「信長公記」の一節に収録されている。秀吉の機転に大いに感心した信長は「よくやった、褒美にお前のアナルを掘ってやろう」といい、その場で布団を敷いてホモセックスを始めたという。
出身地についてだが、尾張というのが主流であるが、商人としての才覚にも長けており、また石田三成らをやたら重用したことから近江の出身ではないかという見解もある。どっちにせよ下賤の出身であったことだけは確かだ。また信長に仕える前は六角義賢や浅井久政に仕官していたなんて話もあり、後に信長が六角や浅井を鎧袖一触で蹴散らせたのは秀吉を経由して内部情報が筒抜けだったからだと言われている。
指が六本あったことで有名であり、しかも六本目の指は触手のように細長かったという。この六本目の指を使って、ピッキングをしたり、ハッキングをしたり、色々いやらしいことをやったようだ。一部のリベラリストは秀吉の指が六本あったのは公害あるいは核兵器による放射能感染の弊害であると指摘しており、500年も昔から人間に害を為してきたと核兵器を弾劾している。
かなりのエロジジイで、手紙で妻に女を呼んでもらったこともある。
清洲城の修築、墨俣城の戦いなど数々の合戦で猿知恵を発揮した。これを見た下賎出の羽柴秀吉(念のために別人!)に妬まれ、憎悪されたという。
腹が立った秀吉は、明智光秀に嘘の手紙を送って織田信長を暗殺させた。(これは秀吉が絶対に教えるなと言っていたので、今でもそれは秘密です♪)
秀吉はスッキリしたが、その後柴田勝家ら織田家の家老たちに可愛がられた為に、擁立され後継者に祭り上げられた(これは、本能寺の変の黒幕である羽柴秀吉が、藤吉郎を傀儡の主に立てる策だったのである)。
やがて、愛嬌がありひょうきんな藤吉郎は、羽柴秀吉の工作によって朝廷から「豊臣姓&豊臣秀吉」と「太閤殿下」の称号を賜り(藤吉郎元吉の名は放棄した)、完全に羽柴秀吉の傀儡と化したのである。
そして北条の悪口を書いた手紙を全国の大名に送って説得し、北条を滅ぼした。
晩年は、妄想に取り付かれた羽柴秀吉の影武者として、明と朝鮮など東アジア全域を支配下に入れようとする恐るべき独裁者の姿を「ウッキー!」と叫んで、涙を流して演じなければならなかった。しかし、羽柴秀吉が信長の怨霊に殺されると、夫を嫌っていた羽柴秀吉未亡人の高台院(寧々)と組んだ徳川家康に毒殺されたとも、命からがらに北朝鮮に逃れた説もありさだかではない(ただ、現在の金正日は豊臣秀吉の生まれ変わりだと言われる)。
子の豊臣秀勝(石松丸)は、真田幸村の仕立てた影武者と入れ替わり、山野に逃れて猿となったが、どっかのばかに止めを刺されて死亡した。
[編集] 続々と現る偽者たち
しかし後世になって自分は秀吉だと自称する、もしくはそれをイメージにした人物がたくさん現れた。主な人物は次の通りである。
- 羽柴誠三秀吉(三上誠三)
- 自身は戦国時代の武将の生まれ変わりだとご近所の住職は言いつつも本人は秀吉の生まれ変わりだと自称する。しかし本当は豊臣秀頼、もしくは豊臣秀次の生まれ変わりという説がある。性格上から見ると、後者の可能性が高い。
- 竹中直人
- 見事なまでに秀吉になった人物。下半身を露出するなど役者魂も大いに見せ付けた。体格も性格も殆ど一致することから彼のほうが秀吉の生まれ変わりなのかもしれない。
- 間寛平
- イメージが一致するも、知能としてはどちらかと言うとこちらのほうが下であるといわれる。ただ筋肉質であることには意外なところで一致する。
- 仲村トオル
- 格好のいい秀吉を演じたが、イメージがかけ離れていたため、秀吉らしくない。
- 香川照之
- 名演技を披露したが、前田利家の妻にたたかれて吹き飛んでしまった。その後あっという間にに憔悴し絶命した弥太郎先生。
- 柄本明&武田鉄矢
- 微妙なところで一致する。漏らしてしまったため、唐沢寿明が掃除をさせられる羽目になった。
- 草彅剛
- ヘタレ秀吉を演じた。まったく話にならない(ただし、信長に蹴られたのは羽柴秀吉の史実をみごとに踏まえている)。
- 中村勘三郎(勘九郎)&中村橋之助
- 電波系ともいえる美化された秀吉を演じた。
- 福田康夫
- 秀吉と同じく、猿でありながら天下人にまで登りつめた。
- サル
- イメージも性格も一致する。ただ多数いるため、どれが秀吉と自称したのかは不明。
[編集] 逸話
- その代わり相手が女でさえあれば、下は0歳から上は60歳まで何でもアリの淫獣だった。
- しかし、人間一歩手前の秀吉はなかなか妊娠させることができなかった。
- 彼の子は貧弱な息子豊臣秀勝(幼名は石松丸、羽柴秀勝とは別人)がたった一人だったというなんとも泣ける話である。
- その一人息子も本当の子か怪しいもんだけど、妖怪である可能性が極めて高く、早く亡くなったという。
- 近年では「もう一人娘が生まれていた」という説もあり、その説を基にした小説「プリンセス・トヨトミ」なる伝記が発表され、映画化されるに至っている。あるいは西田敏行の祖先ではないかという説も。
- ガリレオ=ガリレイの息子である南蛮人、カタナ=ガリレイを重用し、農民の武装解除を進めた。
- ごく希に夜中寝ている最中に巨大化するらしい。
- 模型の城に内装工事を施して住んでいた。
[編集] 系譜を改竄した江源武鑑の件について
ウィキペディアでは、近江国雄琴村の百姓(農民)の喜右衛門(仁左衛門とも)次男坊で、詐欺師&チンピラでもある沢田源内郷重(1590年? - 1160年)の『江源武鑑』20巻に記されている秀吉の養父(木下弥右衛門昌吉)は浅井氏一族の「浅井弥助昌盛」という名もあり、六角義賢と織田信秀の武将として仕えていたと記されている。さらに源内崇拝者で、ここまでの改竄を正当化を極めた学者の佐々木哲(沢田源内の末裔という)も、ある意味かえってすごい印象をあたえた人物である。
ともかく、この改竄説は佐々木哲を崇拝するウィキペディアンには、絶大の支持が高いという(その他に源内は『大系図』30巻、『倭論語』、『足利治乱記』、『異本関ケ原軍記』などなど…という胡散臭い書物を著し、70余歳までしぶとく生きた悪運の強い人物である)。
もっともひどいのものは、羽柴秀吉が少年時代に仕えた松下嘉兵衛(加兵衛)の系譜が宇多源氏西條氏流とされ、本家の六角氏綱(承禎入道の叔父)の勘気に触れて、近江国を出奔し遠江国松下村で「松下氏」と称し、駿河国守護今川氏親(義元の父)に仕えたと書かれていることである。
ちなみに遠江松下氏の出目はそれぞれ諸説がある。実際には猿楽者の棟梁の卜部氏か、あるいは漢の高祖の末裔と仮冒した西突厥系(ようするに日本人じゃないよね…)の弓月部の末裔の秦氏あるいは東漢氏の流れである。松下氏の分家の花井氏(忠輝の姉婿の三九郎吉成などが出る)、同族の大蔵氏(大蔵藤十郎(大久保長安)など)があり、松下電器の創始者の松下幸之助は嘉兵衛の末裔である。…決して、沢田源内と佐々木哲の記述を信用してはならない。
[編集] 関連項目
- 所縁の地
- その他
| この項目「豊臣秀吉」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ) |