野球拳
こういう具合にしやさんせ
〜 野球拳 について、SSK
野球拳(やきゅうけん)とは、屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツを中国がパクった格闘技、もしくは男同志(原文ママ)で玉と棒を用いるスポーツである。
歴史[編集]
野球拳の歴史は、19世紀に、屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツが中国大陸に伝来したことに始まる。当時、中国拳法における集団戦闘はあまり考慮されておらず、1対1での戦いを重視した格闘法が各流派に伝授されていたが、9人で戦う西洋流格闘技の導入は中国格闘界に大きな衝撃を与えた。
その後、アロー戦争で清国が敗北し、集団戦での戦技に対する需要はさらに高まり、現在の野球拳にかなり近い形の格闘術が考案された。
ことに1900年には、中国で初めて、屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツの国際試合が行われ、9カ国が参加し、中国代表は惨敗する。この義和団事件を契機に、近代野球拳の素地が築かれていった。
日本への野球拳の伝来は、幕末のペリー来航後、ハリスらによる通商交渉のなかで、下田で初めての野球試合が行われたことに始まる。この試合は、中村主水など幕府代表と、米国の要人が参加し大いに賑わったが、何者かに会場を爆破され試合中断の憂き目をみる。その後、中村主水が香港で野球拳を習得し、以来米国との野球試合において日本の戦闘能力を大いに高める結果となる。
日本では、愛媛県松山市の道後温泉で行われた試合が、野球拳としての開催の嚆矢となり、以後、主にリゾート地や料亭などで野球拳の試合が繰り広げられた。この際は、女子選手が活躍したが、負けた選手のユニフォームはぴー
なお、対戦は伊予鉄道と高商クラブの間で行われ、伊予鉄道野球部は、電鉄運営球団の第一号でもある。
野球の選手であった正岡子規の幼名である升(のぼる)が、野球(のぼーる)の名前の前身だと思っている奴は馬鹿である。
競技[編集]
野球拳では、基本的に、素手もしくは手袋をつけた状態で殴りあう攻撃が行われる。上半身への蹴りによる攻撃はほとんど行わず、足を狙うのが通例とされる。しかし、金属板がついた靴を履いて攻撃するため、しばしば骨折などの重傷者が出る場合がある。
通常は、まず先攻側が棍棒を持ち、後攻側が玉を持ち頭などを狙って投げる。先攻側は後攻側の選手めがけて棍棒を振るうが、玉が体に命中した場合は、後攻側の選手に向けて突撃し素手での格闘戦を行ってよい。通常は、この時点で団体戦となり、その後、先攻側の先鋒は控え選手と交代する。
先攻側選手が突撃を選ばなかった場合は、後攻側選手を取り巻く3つある席の1つに移動し、対戦相手を包囲する体制をとる。包囲には3人まで参加でき、団体戦になった際には全員が反時計回りに走って後攻側選手に突撃する。この過程では先攻側選手による蹴りによる攻撃がしばしば行われ、一方で後攻側選手は巨大な皮手袋をつけて応戦する。
先攻側選手は、投げつけられた玉を棍棒で殴ってもよい。この場合、玉が選手の左右90度以内の地面に落下した場合は、ただちに選手全員が走り出すことになる。
競技場[編集]
競技場は、屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツと同様に、直径100m弱の扇形が通例である。最近は屋根つきの競技場が増えており、屋根を突き破って天高く吹き飛ぶ選手の姿が見られるようになった。
通常は緑の天然芝もしくは人工芝、一部は闘牛場と同様に砂地になっており、流れた赤い血の色が映える。
日本におけるアマチュアの競技では、ハラキリに使われるのと同じような、日本庭園や畳の大座敷がしばしば用いられ、温泉地の大規模な旅館・ホテルでは野球拳の試合を室内で行うこともできる。
ただし、バトル後の、大広間に設置された畳や襖や天井の和風な灯具の運命は、客室で行われる代表的な格闘技である枕投げが行われた客室内のそれと同様である。
装備[編集]
武器[編集]
主に鉛製の直径15センチ程度の玉と、太さ1m程度、直径15センチ程度の棍棒(バット)がよく使用される。棍棒は主に木製で、攻撃力を増すために鉄釘を打つ例もあるが、耐久性や折れなどのトラブル防止から、プロ競技では釘バットの使用は禁止されている。また、コルクやスーパーボールの粉をバット内に仕込む行為も禁止されている。
ジュニア競技では金属製の棍棒を使用する例もある。しばしば家庭内トラブルを武力解決するためにも使用される。こちらは棘やスパイクを植える例は少ないが、エスカリボルグなど例外も多い。また、両足の間にある生身のバットを振り回す例もしばしばみられ、「両校エースが、ちんこ対決」と報じられた。
投げ武器としては、上記の鉛玉が一般的だが、反則技として金の玉を使用したり、スタンドからプラスチックのメガホン、コンドーム、ラジカセ、日本酒の一升瓶を投げ入れる例があり、多くの競技場ではガラス瓶およびペットボトルの持ち込みが禁止された。
刃物のついた武器は、靴や釘バット以外は禁止されており使用されない。しかし、フィールド上ではしばしば「刺す」という表現が使われる。当然、股間のアレを使うのである。
ぴーを飛ばして殺される選手もあとを絶たない。痴情のもつれから「この泥棒猫!」といいあう選手の声もしばしば聞かれる。
防具[編集]
近代野球拳の試合では、ヘルメットをかぶり、手と下腿を守る防具のみを装着した状態で競技が行われる。ギターの胴に似た巨大な防具を胴に、また粗い金網状のフェイスマスクを顔面につける場合もある。
股間部は、女性選手が装着する鉄ビキニによく似た、キンカップと呼ばれる防具を装着する例が多いが、時速100マイル近いスピードの打撃を受けとめるには不十分であり、しばしば悶絶する選手の姿がテレビ中継される。
攻撃はしばしば音速を超え、防御側の衣類が脱げたり破けたりすることが多い。どちらかの選手が全裸になったら、その選手の負けである。そのためか、現在、プロおよびジュニアの全国大会では女子選手の参加が厳禁されている。
ビデオゲーム[編集]
野球拳は、パソコンの登場当時からしばしばビデオゲーム化されている。多くのゲームソフトでは野球拳のルールは簡略化されており、選手が全裸になるまで攻撃と防御を繰り返す。対戦相手は、大人と息子の事情により、ほぼ全て女子選手である。
日本球界では女子選手の出場が禁じられており、リアルさを求める一部ファンのため「ガキ大将野球拳」という男性版も発売されたことがある。
コンシューマー[編集]
家庭用テレビゲーム機では、大人の事情から、野球拳のゲームソフトが発売される例は、まれである。
ジャレコは、燃えろプロ野球という屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツのゲームにおいて、野球拳をミニゲームとして導入した。同社は、大相撲のゲーム化においても、アフガン航空相撲の競技を行ったり、まわしが脱げたり、土俵に選手が刺さったりと、大胆なルール改変を行っている。
業務用[編集]
アーケードゲームにおいては、野球拳のゲーム化はしばしばみられ、カードや景品を出す賭博ゲーム機として、また、画面を実写化したり、Hボタンを連打するといたずらができるなどグラフィックの過激化が進んでいる。賭博ゲーム機においても、ゲームで1回負けるたびに「ずこ」と、穴に異物が挿入されるときの効果音が鳴り、プレイヤーが犯されたという設定になっている。
しかし実写の野球拳ゲームにおいて、名古屋のゲームセンター店主が、脱ぎ画面のビデオテープを無修正裏ビデオにすりかえ逮捕される不祥事があり、現在では成人向けはほとんどゲームセンターでみられない。温泉地のホテルなどでは、野球拳の設置店がいまだに多く、特に野球拳の語源といわれる[要出典]、愛媛県松山市の道後温泉では、未だに多くのホテルで野球拳のゲームが宴会場などに設置されている。
ドラマCD[編集]
1996 年にパイオニアLDC株式会社からリリースされたドラマ CD 『TV 「神秘の世界エルハザード」 CDシリーズ-2 ~勝負の世界エルハザード~』 PICA-1100 のトラック 10 に 『エピソード5 「プロ野球」』 という題名で、全国 1,200 万のプロ野球拳ファンに向けて、エルハドームから、王女さま (ルーン・ヴェーナス、声 井上 喜久子) 対イフリータ (声 天野 由梨) 第四回戦の中継が収録されている。 それによると、プロ野球拳の歴史は 1936 年ころから始まったものとされている。
MZ-700に不可能はない[編集]
GVRAMを持たずCGを画面表示できない、シャープのMZ-700など一部のパソコンでは、アスキーアートで画面表示を行うという暴挙がハドソンソフトにより行われ、多くのエロゲーファンの怒りと失笑をかった。
なお、PCGという拡張グラフィックアダプタを装備するMZ-700では、他機種同様のフルグラフィックで野球拳をプレイすることができた。さらに、アスキーアートの技術向上に伴い、ビットマップグラフィックでなくとも選手の絵を正常に表示できるようになった。また、CRTCを特殊操作することにより、無改造のMZ-700でもフルグラフィックの(ただし、モノクロ)表示ができるようになり、それを利用した同人ソフトも発表され、無改造MZ-700実機での野球拳が楽しめる(下記外部リンク参照)。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
![]() 本項は下ネタ記事執筆コンテスト2010 (第17回執筆コンテスト)に出品されました。
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