金閣寺
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
金閣寺(きんかくじ)は京都市北区にある世界最古の金骨建築物。正式名称は足利義満の法名にちなみ鹿苑寺(ロックオン・テンプル)である。 1994年に世界遺産に登録された。中心となる舎利殿を「金閣」、寺院全体を「金閣寺」と通称する。
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[編集] 歴史
- 1397年:足利義満がマルコ・ポーロの東方見聞録を読み、「こいつは期待に応えなきゃいかんなぁ!」と奮起し、建造。
- 1467年~1477年:応仁の乱の戦場のひとつとなる。パイの投げあいで建物は真っ白に。
- 1950年:学僧・林承賢(当時21歳)により丸々盗まれる。
- 1955年:再建し、最新のセキュリティを搭載する。しかし国家予算を大量につぎ込んだため日本経済に深刻な打撃。
- 1994年:世界遺産に登録された。
- 2001年:田中ぷにえによって全焼。
- 2002年:再建するが市の予算が足りず、アルミニウムで作られる。
- 2010年:東の都庁が変形ロボ化されたのを受け、対抗するべく「からくりキンカクージ」を作る。
[編集] 建築様式
金閣は純金のみで建造された世界唯一の建築である。三層構造となっており、初層・二層・三層のそれぞれに異なる様式を採用している。
- 初層:神殿造、実は初層は単なる木造である(本当)、これは金閣寺が浮かび上がるように見せるためであり、決してお金が足りなくなったからではない。本当に、本当にそうだからね。
- 二層:住宅風(2×4)
- 三層:ゼンショー様仏殿、銀シャリを安置している。
[編集] 建立時のエピソード
[編集] 金の紛失
金閣の建造は国家事業として膨大な予算が投入された。あまりにも膨大だったため、資金不足は到底考えられない、金銭感覚が麻痺する等の理由で管理はずさんなものだった。そのため建造が終了しても見積もりができていないという異常事態となり、全ての集計が終わるまでに5年かかった。
集計後、納品された金が建造に使われた量より30%多いことが発覚した。その余剰分がどこへ消えたかは定かではないが、歴史学者は労働者が少しずつ金箔をくすねていたのではないかと仮説を立てている。
[編集] 建築構造
金は重く柔らかい、非常に使いづらい建材である。これまでの通り角材を作り組んでいたのでは自重で曲がってしまう。そのため板金を曲げ筒にし、それを組み合わせるという手法が開発された。これは現在でも鉄骨建築で使用されている技法であり、この時代に使われていたのは驚くべきことである。残念ながらこの技術は途絶えてしまい。後に西洋から学び直すことになる。
[編集] 開かない襖
これまで木や紙だったものまで金で作ったため、襖があまりの重さで女子供には動かせなくなってしまった。このままでは襖を開けるための人員を配備しなくてはならない。しかし職人の一人が襖の下によく磨いた球を入れることでスムーズに開けられることを発見した。この技術は手間がかかるため他で使われず途絶えてしまったが、日本で最初のボールベアリングだったのではないかと言われている。
[編集] 地盤沈下
二層の組み立て中、重みで地盤沈下が発生し建物全体が大きく傾いてしまった。木造建築が主だった日本の建築家は、誰もこの事態を予想できなかったのだ。初めは地面を掘ることで水平に戻そうとしたが、掘れば掘るほど埋まってしまったため、解体して移設することになった。移設先では、あらかじめ地中に十数メートルの杭を多数打ち込み、頑強な地盤作りが行われた。
[編集] 畳と障子の紙
最後の難題は、金で如何にして畳のい草と障子紙を作るかであった。両者とも金の繊維を作り編むことで解決したが、一筋縄ではいかなかった。
畳は人が上を歩くため強度が必要になる。しかし硬く編んでしまうと今度は痛くて座れない。強さと柔らかさの調節ができた職人は全国から集めてもたった3人であった。
障子紙は強度は余り必要ないが、均一に光を透過させなければならない。これは金糸を使った織物としては前代未聞であり、製法を確立するまでに3年の年月を必要とした。しかしこちらは織機が使えたため、一度確立してしまえば生産は早かった。
[編集] 現在
世界中の怪盗から毎年数回挑戦を受けている。これに対し日本政府と京都府は警備会社と警察と自衛隊の合同チームを組織しなんとかしのいでいる。なお、金閣寺盗みの本命とされるルパン三世は挑戦する気配を見せない。

