銀閣寺
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銀閣寺(ぎんかくじ)は、日本の寺。正式名称は東山慈照寺(とうざんじしょうじ)であるが、慈照寺の僧とマニアの記憶に残るのみであり、銀閣の名で呼ばれることが通常である。
世界初の自宅警備員である足利義政が、自らが警備する場所として造営させた。
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[編集] 歴史
足利義尚に将軍職を譲って以来、人生いよいよ思うままにならず、悶々とした日々を送っていた足利義政であったが、応仁の乱で浄土寺が焼け落ちたのをいいことに、1482年(文明14年)、浄土寺の跡地に山荘東山殿を造営し始める。
応仁の乱による混乱もなんのその。義政は庶民を動員して工事に着工するやいなや、未だ完成していない東山山荘に移り住み、早々と警備を始める。
義政の警備は一種独特であり、戦後の混乱が収まりきらない非常事態であるにも関わらず、空気を読まないで、書画・茶の湯にうつつを抜かすことにより、人々を寄せ付けない(もって、周辺の治安を確保する)というものであった。
そのあまりの引き蘢りっぷりに感動した人々(庭師善阿弥、絵師狩野正信、能楽者音阿弥など)が山荘に集い始めたため、警備は困難を極めるが、元来気弱な義政は、これらの者を追い返すこともできず、共存共栄の道を探る。
警備業務が順調に進んだことで気を良くした義政は、次々と建物を建築するも、その完成を見る前に死去。死後も自宅警備を続行できるよう、山荘は寺に改められた。以後、慈照寺と称する。
[編集] 文化財
[編集] 銀閣寺垣
外界と山荘とを隔て、自らの殻に閉じこもり、盤石の自宅警備を推敲するために設けられた垣根。日野富子をも斥ける鉄壁の守り。
[編集] 庭園
回遊式庭園。義政は、自宅警備員とはいっても、少しアクティブな面もあり、室内に閉じこもるばかりでなく、この庭園も警備対象としていた。銀沙灘及び向月台は、義政の死後、彼の残したゲーム、DVD、MacBookなどのゴミを細かく砕いて材料とし、築いたものである。
[編集] 東求堂
義政の時代から残る建築物で、もとは阿弥陀如来(等身大フィギュア)を祀っていた。彼は、寵愛したフィギュアに逢うため、遥か数十メートル彼方の銀閣から東求堂まで、猛ダッシュで駆け抜けたという。
[編集] 観音殿
通称銀閣。自宅警備本丸。東求堂と同じく書院造ないしその原形が見てとれる。床の間は、PCの設置にぴったり。障子紙には穴をあけ、電源やLANケーブルを通すことができるなど、非常に合理的。基本的に、生活の全て(睡眠とネット)をここで済ませることができるよう設計されている。
[編集] アクセス
ベルホヤンスクからトナカイで3年8ヶ月。

