関羽
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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~ 関羽 について、曹孟徳
関羽(かんう、160年? - 219年)は、中国蜀漢を代表する美髯公(決してカンヌではない)武将。河東郡解県解良村の人(山西省運城市常平郷常平村)の人。字は雲長(「関羽」と字の「雲長」は出世してからの改名と字で、もとの姓名は「関長生」あるいは「関寿生」で字はなかった)。妻は胡氏(胡華の娘、胡班の姉)、子は関平(字:坦之、178年か179年?~187年? - 219年)、関興(字:安国、199年? - 224年か225年?)ら。爵位は漢寿亭侯。諡は壮穆侯。
若いころは極度の恥ずかしがり屋で人見知りが激しく、いつも顔を真っ赤にしている。決して酒を飲んでいるわけではない。美髯公と気さくに声をかけられる時期があった。
劉備より年長だったが、義兄弟では次兄となる。しかし、当時は年少の張飛よりも、遠慮がちで極度のシャイボーイのため、序列では最下位に甘んじたあどけない時期もあった。
しかし、関羽が年老いると徐々に傲慢になった。彼は今までの功績で、五虎将軍に数えられた。しかし、序列が最下位だった同僚の黄忠をバカにし、劉備が派遣された費詩に諭されたことがあった。
劉備の嗣子劉封と仲が険悪だったため、破滅な末路を迎えた。さらに名門出の馬超に対しては「俺とあの小僧とどっちが強いか勝負しろ!!」と睥睨した態度を取り、諸葛孔明に宥められる始末だった。
そのため、プライドが高く傲慢で人を馬鹿にしたAB型だったという説もあるそうですよ。
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[編集] 人物・来歴
[編集] 関羽の生涯
河東郡の郷士の子として生まれる。士分ながら家業は塩販売を営んでいた。しかし、当時の塩は大変貴重だったので、後漢によって販売は制限されていた。そのため、若き関羽は闇塩による裏ルートで販売して何とか生計を立てていた。だが正規販売ではないので、当然利害をめぐるトラブルもあり、関羽はうっかり敵対した商人を殺害し、妻の胡氏とともに出奔した。
彼は生来、異常に身長が高く(190㎝くらい)、棗のような赤顔だった。そのため関羽は目立つおたずね者となり、昼は身を隠し夜に逃亡生活を繰り返していた。
こんな時に涿郡付近に通りかかった。地元では後漢の宗族(広義の皇族系)の侠風の頭目格の劉備が、弟の劉叔郎をはじめ、いとこの劉徳然と簡雍(耿雍)、同輩の張飛と趙雲、年少の田豫と傅士仁(「士仁」は別人)らを率いて、ブイブイしていた。通りがかりの関羽を見た劉備は彼を用心棒としてスカウトした。関羽は次第に筆頭格の存在となり、やがて張飛とともに義兄弟となる。
劉備の黄巾党討伐の挙兵に従い従軍中した。やがて劉備が中山国安喜県の尉になり、州郡の監察官督郵をフルボッコする時も一緒に袋叩きにした。
後に劉備が徐州刺史のときに呂布との戦いで破れ、妻子放置プレイした時に関羽はあまりのひどさに、呂布と利害による話し合いで、これを取り返した。しかし、その関羽も「闇」の面を持っていた。それは劉備の嫁の芙蓉姫(寇氏)と確執を繰り返していたからである。同時に芙蓉姫に不快感を持った劉琰と意気投合し、密談を重ねて劉備に讒言して、彼女を容赦なく斬り捨ててしまったのである。そのために劉琰ととどもに芙蓉姫の遺児の劉封の恨みを買う結果となってしまったのである(関羽の無惨な最期はそれが最大の要因だという)。
歳月は流れ、劉備が曹操腹心の車胄殺害の際に命じられた関羽は張飛とともに車胄をヌッ殺した。これが原因で激怒した曹操の大軍に捕まった際には劉備に放置プレイされ、劉備は袁紹のもとに逃げた。取り残された関羽は、劉備の妻子とともに、ホモ達でもあり曹操の武将張遼(もと呂布の武将)に降伏し、曹操に優遇された。しかし、マフィア的用心棒武将の関羽は「曹公(曹操)との義理を果たせば、殿(劉備)のもとに戻れる」と決め、曹操が袁紹との対峙で、その猛将の顔良を討ち取り「義理は果たした」としてさっさと袁紹陣営にいる劉備のもとに劉備の妻子とともに馳せ戻った。これを見た曹操は「仕方ない、関羽の好きなようにさせよ」と言って、これを追わなかった。
歳月は流れ、赤壁の戦い(烏林の戦い)を経て、益州強奪に動き出した劉備一世一代のひのき舞台で、関羽は諸葛亮とともに江陵に留守を預かった。この間に劉備の嗣子劉封と対決した事情もあったので、劉備はわが子を従軍させたともいわれる。劉備が益州を奪うと、諸葛亮は益州に呼ばれ、関羽ひとりが残った。数年後に呉の孫権が温厚な武闘派の魯粛を派遣し「劉備どのは益州を占領したのだから、荊州を返還して欲しい」と願い出た。関羽はずっと沈黙していたが、武将の周倉が「お前らが勝手に決めるな。それは将軍が決めることだ!」と叫んだ。これを聞いた魯粛は激怒したが、それ以上に呉将の甘寧、呂蒙らが「ヒゲ野郎、呉をなめんなや!!」と憤激したので、魯粛はしかたなくこれを宥め、荊州を東西に分割することで妥協したのである。後日に孫権は諸葛謹(諸葛孔明の兄)を派遣し、荊州の公安で諸葛謹は実弟の諸葛亮と荊州の東西分割の盟約を結んだ。この時に孫権は自分の息子を関羽の娘と婚姻させる構想を持ったが、図に乗った関羽が「ワシの虎娘を、あの小僧の犬コロ息子にやれるか!!」と一蹴し、孫権を激怒させ、こうして孫権は曹操と盟約し、打倒関羽を誓ったのである(間もなく魯粛は亡くなり、呂蒙が受け継いだ)。
219年秋8月に、魏将の龐徳を討ち取り、于禁を捕虜にした得意満面の関羽は曹仁が籠る樊城を包囲した。そのため、曹操は関羽を畏れて北方の遷都を建議したほどであった。
だが、旧知で江陵の傅士仁と公安の麋芳(劉備の妻の弟)とトラブルを起こし、挙句に両人が「ヒゲ野郎は殿(劉備)の威光を笠に来て傲慢だから、食糧を輸送するのをやめよう」と言い出した。すると関羽は「この野郎!!上司のワシに逆らうとは何事だ。このことを殿に報告し、貴様らを処刑したるからな!!」と物騒なことを言った。そのため、傅士仁と麋芳はさっさと呉将の呂蒙、陸遜に降った(もと荊州牧劉表配下の潘濬も関羽嫌いのために降った)。
こんな時に、もう一息で荊州全域を制覇する直前に、密約を結んだ南陽宛の豪族の侯音と衛開が密かに曹仁によって撃破されて、斬り捨てられた。さらにもうひとりの密約者魏諷は曹丕によって鎮圧され、張泉(張繍の長男)とともに斬首された。
郟県の摩陂に駐屯した魏王曹操が討伐させた徐晃(関羽の同郷でホモ達のひとり)、趙儼らの十万の魏軍と城から討って出た曹仁の軍勢に挟撃され大敗した。こうして構想が崩壊した関羽は麦城に籠もった。間もなく家臣の廖化を呼び、上庸にいる劉封に援軍要請の使者として派遣した。しかし、劉封はかつて生母を殺害した義理の伯父を嫌悪していた。そのため、犬猿の仲で、かつて関羽に罵倒された孟達と組んで「あんな柄が悪いヒゲ野郎はさっさとくたばっちまえ!」と言って、あっさりと無視し援軍を出さなかった。
傲慢かつ人望のなさで自業自得として追い込まれた関羽は、仕方なく麦城を脱出した。しかし当陽県南部の漳郷で、魏と盟約した呉の孫権の武将潘璋、朱然とその配下の馬忠 (呉)ら呉の軍勢によって、子の関平をはじめ、呂布 (蜀)、趙累とともに捕獲されてしまった。こうして関羽らは219年10月14日に臨沮で呂蒙、孫皎(孫権のいとこ)らによって、哀れにも処刑された。齢60前後という(その首級は曹操に送られた)。
関羽の訃報を聞いた劉備は、当然のように顔を赤くして目を充血しながら涙を流し、血管を浮き出して「関羽の仇討ち!」と叫んで、諸葛亮と趙雲の諫言を強引に退けて、張飛とともに呉遠征の準備をして十万の軍勢を集めた。
この時の諸葛亮は「あぁ…法正さえ、生きておればこんなことにはならなかったのに…」と自分自身の軍事能力の欠如を自虐して、思わず溜息した。
[編集] 関羽の(恥)逸話
- 若い頃から身長が高く、また顔が赤いことから、ボーと立っているだけでなぜか道が渋滞になったことがあるほどだった。
- 出世した時、あまりの顔の赤さに両親は関羽を病院に連れて行った。しかし、「顔が赤いのは生まれつき、仕様です」と医者に一蹴され、仕方なく両親は引き下がった。
- その頃のエピソードを持ち出されるとまた恥ずかしがり、さらに顔が赤くなったという。
- 成人するとサラサラした白い粉末で、長期的に摂取しないと禁断症状を発して昏睡状態に陥る物質を裏ルートで販売して何とか生計を立てていた。
- ある日ヤクザの劉備に「ワレ、誰に断ってコナ売っとるんじゃ?!アアン?」と因縁をつけられ、義兄弟になることを強要される。そこで、仕方なく関羽は張飛とともに義兄弟となった。
- 放浪癖のある劉備にいやいやながらも従軍させられ、あちこちで戦うことを運命付けられた。
- そのため、関羽の中では自己否定の念が強く存在し、結果的に「戦場で鬼神のごとく振舞う関羽」と「シャイボーイな関羽」の二つの人格が形成されてしまった。
- 関羽女性説(後述)はこうした後者の性格を強く強調した結果であり、明代に発掘されたエロゲはここを拡大解釈したものと思われる。
- ちなみに、赤い肌が子孫に遺伝するのを好まなかった関羽は、なるべく肌の白い女性を嫁に選んだ。しかしどういうわけか、娘の関銀屏の肌は黒い。
- (ボクっ娘)かぉかぉ☆の電波を右から左へ受け流しつつ、しぶしぶ顔良を斬った。
- 劉備がいろいろ手を回して魏・呉をあわせた過激なSMプレイ(別名:樊城芋煮会)を主催させられるに至った。
- 劉備のあまりに過激なSMプレイに耐えかねた関羽はいずこかへ消えてしまい、以後行方不明となったという。
- 関羽が殺されたと勘違いした劉備が「おまえが関羽を殺したんだろが!!ええ?!」とひきつった笑顔で言いがかりをつけ、夷陵に攻め込むが、新進気鋭の魔法少女(しかもボクっ娘)りっくんの火魔法でフルボッコとなった。
- 劉備が皇帝の子孫であるということを聞いた時、それまでタメ口で話していたことを深く恥じて失神。
- 曹操と初めて会った時に、「こここ、こんな大物が目の前に~!」と言って脳内出血で意識不明に。
- 織田信長と話す時は、いつもうつむいている(徳川家康の前だと、安心感からタメ口をいう)。
- ひよこ陛下と話す時は、いつもろれつが回らない。
- 恥ずかしすぎてマクドナルドで注文できない。
- 恥ずかしすぎてテレビに映った芸能人を見るだけで緊張する。
- 娘の前では…(お察しください)
- ジャーンジャーンジャーン!!「げえっ関羽!→伏兵」に成功しても、恥ずかしがってすぐ逃げる。
- 関羽雲長(ホントは関雲長)と言われると、怒りのあまり顔を真っ赤にする。
- 浣腸とか言われると憤死してしまう。だが、漢朝だとうれしさのあまりにニタニタする。
- 恥ずかしがり屋だがピュアな一面もあるため、筋斗雲に乗れる。
- 実は、ひげを伸ばすときすっごく恥ずかしかった(本人談)。
- ひげはイメチェンのつもりだったが、付けひげの疑惑も絶えない。
- 合戦の時は恥ずかしさのあまり、裏の性格が出てしまう。
- 義弟の張飛に対しても、つねに遠慮しがち。
[編集] 関羽女性説
一部のオタクの間では関羽は実は女であるという説を熱狂的に支持している。もっとも熱心にこの説を支持している筆頭オタクと呼べる人物はいうまでもなく越前国太守朝倉義景卿であろう。
彼を中心として関羽女性説支持者は今や1200万人に上る。これは創価学会を超える勢力であり、政府もこれを無視できなくなってきている。 とはいえどっかの誰か同様、その手の話題は飽和状態である。察しろ、ていうかお察しください。
[編集] 関羽ビルドアップ伝説
死後の関羽は大忙しである。 急造で設けられたパワーアップパーツがいつのまにか定着し、次々に神話時代の猛者共を撃沈。 冥界の官吏に留まってるかつての無能上司(劉備)やヤリチン大王(曹操)を尻目に神格が留まることなく上昇、サイヤ人やVガンダムも真っ青な速度でパワーアップを遂げた。 現在では、最高神の右腕とも呼ばれるほどになり天界のオプティマス・プライムとして君臨中。 近年はブルース・リーとの新旧ヒーロー共演も果たし(実話)、仮面ライダーも裸足で逃げ出すなコラボが完成していた。 ちなみにマトリクスは髯に埋め込んである模様。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『関羽女性説~劉備お義兄ちゃんが好きでたまらない~』(ミンミン書房)ISBN 1375656611
| い、いかん「関羽」が書きかけのままだ!え、援軍を呼ぶのだ!アワワ……いかん、これは孔明の罠だ! (Portal:スタブ) |

