青森県

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青森県(あおもりけん)は、日本東北地方にあるというユートピア。県庁所在地は八戸市、公用語は津軽弁南部弁

青森県旗

「人の頭にを振りかざした形」というキャッチーな県の形をしているため、「本州で覚えやすい県TOP3」に入る。また、イエス・キリストの墓や、大釈迦という地名がある。青妄の出身地であり、松坂大輔の真の生まれ故郷である。県民性は「フェラガモ」と聞いてニヤつく。(秋田県境付近のみ)

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左から、白神くん・津軽くん・夏泊くんだ。

南部vs津軽[編集]

対立の要因[編集]

廃藩置県当初は、弘前県として弘前藩単独の県であったのが、まもなく旧南部藩領も与えられ非常に武威を振るった。どのくらいの武威だったかというと津軽の領民がガツガツ南部に押し寄せて、一時に治安が悪化したばかりでなく、南部地方の公務員や警察などの要職・顕職を軒並み分捕ってしまうくらいであって、南部市民は泣きながら津軽の泥棒とこの悪行を罵った。いいたかないが戦後の朝鮮人跋扈を思わせる状況であり、それよりさらに悪質である。ちなみに津軽人はこの怨嗟の声に応えて南部の人殺しと返したが津軽人による南部人への殺人行為のほうが事件件数としてずっと多い。

現状[編集]

実際的には津軽人による南部人奴隷支配体制であった青森県は、その県庁所在地を思いっきり青森の懐に置くなど、他郷の者がみると引くくらい露骨なものであり、太平洋戦争を越えて現代に至ってもなお状況は改善されておらず、相変わらず県全体の公職上位人事は津軽人が占めまくり、さらに南部側の中枢権力も津軽によって握られっぱなしである。戦後、南部側が工業振興によって大きな財力を持つようになってからも、そこから得られる県税は主に津軽人がいい暮らしをするため使われ、いうと津軽人の中でも一握りの階層が得するように青森市に無意味な箱物をガンガン建築することに使われ(無論受注業者は津軽の地元企業である)、もっというと南部人の生活には涙金程度しか使われないので、南部人は市単位の財政でちょっとでも楽に生きられるよう努力するほかないのであった。

当然このような動きには県内外から定期的に批判の声があがったが、カモフラージュ的に3期勤めた秋田県出身知事はものすごく空気を読んで津軽優遇路線を継承し、挙句の果てに青森県成立から100年近くたってやっと出現した南部人宰相は津軽的政治権力におもねってそれまでにも類例が少ないほど派手に津軽の地へいらないインフラを増やしたので南部人はガックリきてもうこの県のことはどうでもよくなった。

歴史[編集]

1880年くらいに弘前藩最後の王である十二代津軽承昭が他の東北諸藩を裏切って明治維新を日和見したことでなんとなく誕生した。

原子力施設[編集]

アップル インコーポレイテッドが7割出資。

  • 東通原子力発電所
  • 大間原子力発電所
  • 原子燃料再処理施設(六ヶ所村
    • 再処理工場
    • ウラン濃縮工場
    • MOX燃料加工工場
原子力安全・保安院からのお知らせ
原子力は二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーで、地球温暖化問題の解決につながります。県民のみなさまの健康には直ちに影響はございません。みなさまのご理解とご協力の共用(強要?)をお願い致します。


領土問題[編集]

県南にある十和田湖は、廃藩置県以降137年間秋田県との間で帰属が決まっていなかった。青森県は1:1に分割し半分を秋田県に明け渡すとしたが、これを秋田県は一蹴した。そこで青森県は3:7に分割し7割を秋田県に明け渡すとしたが、それもまた秋田県は一蹴した。そのため、十和田湖の地方交付税交付金は宙に浮いたままとなっていた。この件により、秋田県は日本で特に浮いた県とされ、地方民からも蔑まれていた。しかし、実はこれらが「明日の秋田をダメにする」にすることを目論んだだじゃく組合の陰謀であったことが超神ネイガーによって暴露され、ようやく2008年に県境(青森県6:秋田県4)が決定した。ただ、ネイガーはあくまで「秋田の平和」しか守らないため、青森県はネイガーに対して謝礼を払うつもりはないらしい。

また、秋田県は「白神は秋田県固有の領土」と主張しており、青森県に対し深浦町鯵ヶ沢町西目屋村の返還を求めている。これに対し青森県は激しく反発し、その後秋田県が対抗措置として宣戦布告したのを機に、西津軽郡の秋田県境付近における領土紛争が勃発した。紛争は年々激化しているが、現在は秋田県が青森県の深浦町の一部(ウェスパ椿山付近より以南=旧岩崎村に該当)、鯵ヶ沢町の一部(世界遺産登録地域)、西目屋村の一部(世界遺産登録地域)を実効支配している。これに対し、青森県は秋田県による不法占拠に対し激しく抗議の上、即時返還を求める。

なお、領土問題は隣県だけでなく内部にも存在する。青森県民性から隣同士の仲が悪いため、平成の大合併の際に隣の隣の自治体と合併する五所川原市中泊町外ヶ浜町平川市など飛地の合併が多数見られる。これらは十和田湖同様、国からの交付金ほしさに合併にこぎ着けたが火種は未だにくすぶっている。

防衛組織[編集]

過去に県立戦隊アオモレンジャーが存在したが、東映にみかじめ料を払わなかったため解散させられた。その代わり、ネブタミダラーが毎年発進する事になった。
弘前では亜種(実は本家なんだけど)のネプタミダラーも発進したり、お城の「さくらちゃん」祭りで大きなお友達の本性がレリーズするみたいだ。
津軽海峡を空間湾曲した勇者王達もいるらしいが、彼らの犠牲は大きかった・・・悲しいお話である。

青函府構想[編集]

青函府構想(せいかんふ-こうそう)は、東北三大ミステリーの一つである。

暫定青函府庁による地図

概要[編集]

青函交流の一環として、青森県渡島支庁檜山支庁を合併して青函府とする構想。なお、青森県から分立する見通しの八戸県は含まれておらず、青函府の設置に伴い完全に分立する予定。近年、実現に向け最終段階に入った。ちなみに、大阪都構想とは全く関係ない。

歴史[編集]

青函連絡船が廃止された翌年の1989年に青森県・渡島支庁・檜山支庁の住民が提唱したのが始まりとされる。当初は青函都構想と呼ばれていたが、「こんな人のいないユートピアが都の訳がない」と八戸県民はもとより東北一の大国の主小沢一郎からも批判を浴び、いつの間にか青函県構想に修正されていた。その後、青函地区は江戸時代より北海道本州を結ぶ重要な地域だった経緯から県ではなく府とするのが妥当であるという苦し紛れな釈明により、結局は青函府構想と呼ぶことで妥協した。

内外の反応[編集]

北海道の渡島半島北部、青森県の秋田県境付近では反対運動が起きている。また、八戸県は「青函不幸そう」と揶揄しているが、もちろん全く気にしていない訳ではない。

懸念[編集]

青森県は独裁勢力である土着のアップル インコーポレイテッドが牛耳っており、青函府構想実現への最大の障壁である。このため近年中にアラブの春ならぬツガルの春を巻き起こさなくてはならない。ただし実行した場合はあまりにも副作用が大きいため、リンゴの収穫量日本一の座を長野県へ明け渡さなければならない。

青函の関[編集]

概要[編集]

歌枕の一種である。実はおくのほそ道の序文に登場するほど有名である。

予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひてやゝ年も暮、春立る霞の空に青函の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。

通過駅化対策[編集]

2012年に北海道新幹線と言う名のレールガンもどきが新函館~札幌間の着工が決まったため、青函地区ではますます通過駅化が懸念されている。これを阻止しようと、青函府構想と連動して青函の関建設計画が長年噂されていたが、どうやら現実のことらしい。青函の関は青函トンネルの青森側(奥津軽駅)と函館側(木古内駅)に建設され、ここを通過するには青函府が発行する通過許可証が必要になる。これにより多くの人員を一時的に足止めすることが可能になり、通過駅化対策の解決につながるそうだ。前述の勇者王達が築いた結果がこれだから。

通過許可証[編集]

青函の関通過審査局で発行となる一般許可証と、スマートフォンで発行となるデジタル許可証(アップル インコーポレイテッドが全面出資)があるが、いずれも発行は無料である。青森側、函館側の両方で提示が必要。また、青函トンネル記念館の入館料が2割引きになる特典がついている。

交通網再編[編集]

現在、青函の関建設予定地には津軽海峡連絡道路(通称 青函自動車道)が供用されている。青函の関建設に伴い、津軽浜名IC・JCTと竜飛ICの間の本線上に通過審査所が設置される予定で、近年事業化された。

関連項目[編集]