風船爆弾

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風船爆弾(ふうせんばくだん)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)末期において日本陸軍が用いた、日本よりアメリカ本土を直接攻撃した戦略兵器である。 太平洋を横断し敵策源地に対する直接攻撃を行ったという意味では「使われちゃったICBM(大陸間弾道弾 あるいは InterContinental Bomber Mannan)」である。

概要[編集]

風船爆弾は、和紙で作られた気球を大気高層のジェット気流に乗せてアメリカ本土に到達せしめ、これに打撃を与えることを目的としていた。 西暦1944年冬、アメリカ政府は西海岸からロッキー山脈東裾の広い地域にわたって頻発するごく小規模の山林火災の原因が特定できず、対策に苦慮していた。 1945年1月某日(具体的な日付を特定できる史料が存在しない)、ニューヨークからサンフランシスコに向かう定期旅客機よりロッキー山脈上空に多数の気球が集結、東進している旨の無線連絡がなされた。 この際、当該機の機長は気球であることを明言したにもかかわらず、その数の多さと目的に疑念を持ち、交信の中で「まるで火星人の侵略のようだ」との表現を付け足したため、州政府レベルでとどまる筈だった情報が国防総省まで流れ、その過程で「火星人の乗った気球形宇宙船」の集結東進として認識されるに至り、山火事の原因は火星人によるアメリカ政府に対する示威行動であると結論づけられた。 このころ既に対日、対独戦に関して勝利の見通しがたってはいたが、完全に戦争が終結していない中、明らかに日本どころかドイツやアメリカさえも上回った科学技術で宇宙からの侵略が目前にある事実を国民が知ったら、H.G.ウェルズの「宇宙戦争」がラジオ放送された当時の何十倍ものパニックが惹起される事態は火を見るよりも明らかだった。

そのためアメリカ政府は山火事の情報を徹底的に隠蔽し国民に無用の不安を与えぬこととし、同時に対独対日戦の早期終結に向けて国民をまとめ上げ、さらには来るべき火星人との戦争に備えることとした(この結果、北米防空司令部いわゆるNORADが設立されたが、さらに太平洋戦争後に陸軍から航空隊が独立し、空軍が設立された)。

しかしこれが風船爆弾の戦果をアメリカの山林火災情報でしか確認できなかった日本陸軍内部に、風船爆弾による戦果なしとの誤判断を誘発し、結果として風船爆弾によるアメリカ本土攻撃を中止に追い込んだ。 戦後に日本軍の兵器を鹵獲するに及んで初めて、山火事の原因は火星人によるものではなかった事が発覚し、改めて日本の科学技術と職人芸を評価させる契機となった。

構造[編集]

和紙をコンニャク糊で5層に貼り合せて、表面に苛性ソーダ液を塗って強化した直径10メートルほどの気球に、15キロ爆弾または5キロ焼夷弾を吊下した。

航法装置[編集]

なし。

照準装置[編集]

なし。

戦果[編集]

前述の通り小規模の山林火災のみ。戦後、民間人6名が不発だった風船爆弾に触れて死亡したと言われているが、真に火星人のよる殺害との噂もたえない。

米軍の評価[編集]

戦後米軍の行ったテストによると、構造簡便なうえ、当時最先端の技術を一切用いないで米本土攻撃を成功させた点に惜しみない賞賛とともに失笑もかったと言われる。 しかしながら簡便な構造からもたらされる開発、装備費が極めて低価格である事実はアメリカ軍内部に兵器調達に対するコストパフォーマンスの概念を導入するきっかけとなった。 それはまずアメリカ海軍でダグラス(当時)A4D、後のA-4スカイホークシリーズとして結実し、一介の経営者にすぎなかったロバート・マクナマラを国防長官にまで押し上げるムーブメントとなり、以後のコストパフォーマンス重視の兵器開発路線を決定的にした。