魚類
魚類(ぎょるい)とは、世界中の海や川や沼や湖など、水のある全ての場所を支配している生物群である。魚(さかな)とも呼ばれる。
概要[編集]
魚とは、海へのロマンを追い求めるクジラから進化した生物である。肺呼吸の代わりにエラ呼吸を採用し、息継ぎ無しで泳ぎ回れるようになった。このエラにはDHMOを分解する能力があり、分離した酸素を吸収して活動している。(なお、余った水素は何も考えずに垂れ流している。そのため、魚の多い川や湖、海岸の近くで火を使うのは、引火(水素爆発)のおそれがあり非常に危険である。)
専門家が警鐘を鳴らしているにも関わらず、着実に進行している地球温暖化の影響で、南極の氷が急速に溶け、海面上昇を引き起こしている。そのため、このまま海が広がり続ければ、近い将来には魚は地球の支配者となるだろう。
歴史[編集]
人間による支配[編集]
数多の歴史を通じて、魚は人類に弄ばれて来た。特に、“漁業都市”と呼ばれる地域(アレキサンドリア、コンスタンチノープル、ドーバー、銚子、焼津、など)ではそれが顕著である。タンパク質や放射性物質といった価値ある海洋資源を、本来の所有者である魚たちに何の断りもなく、人類は搾取し続けてきた。 カルタゴ人、ギリシア人と(近代の)英国人の文明は、世界の制海権を独占しようとするものであり、世界中の海で強欲な搾取を繰り返してきた。
人間の支配からの脱却[編集]
当然、魚類が人類の横暴に憤慨していることは明白である。実際、彼らが雪辱を果たそうと人類に猛然と抵抗していたことを示す証拠が、数多く存在している。
およそ6550万年前、地球に衝突した小惑星は地表の殆どの生命を一掃したが、その一方で全くと言ってよいほど魚類に被害を与えなかった。これは奇跡でも偶然の一致でもない。魚たちが集団で背ビレを駆動させることによって、詳しくは分からないがとにかくスゴイ波動とか音波を発生させ、小惑星の軌道を地球と衝突するようなコースに逸らせたのである。あるいは、その背びれの動きでもって地球の磁場を崩壊させることで、自転軸を傾けたのかもしれない。…でも、よく考えてみると、自転軸がずれたからといって公転軌道まで変化するかどうかは分からないし、そもそも6550万年前には復讐するべき人類が存在していなかうわなにをするやめr
魚類の生命力は凄まじく、人類が気付かないうちに、いつの間にか個体数が何兆にも増殖していることがある。従って、魚類は世界中の海に大量に存在しているものと考えられるが、しかし近年はなぜか捕獲が難しくなっている(このために、魚類が絶滅の危機に瀕しているという説が出されることもある)。
しかし、これは実際には間違いである。なぜなら、濱口優は素潜りでも余裕で魚を捕まえているからである。またドキュメンタリー映画『ファインディング・ニモ』は、閉じ込められた魚に驚くほど同情的で、あろうことか主人公・ニモを、ドキュメンタリーなのにドラマチックに救出した。どうみても、これは水生生物が行ったプロパガンダ以外のなにものでもない。またこのプロパガンダは、後述する性根の腐った者たちの利権につながっている。
世界規模の陰謀[編集]
世界には「魚」と呼ばれる水生生物についての伝説がある。そもそも、はじめに誰が、なんのためにそのような伝説を創造したのかは明らかでない。しかし、現代においてこの伝説は世界的な陰謀のために利用されている。その陰謀の裏にいる彼ら(黒幕)を、ここでは仮に「奴ら」と呼ぶこととしよう。
「奴ら」は製造会社、アウトドア商品の販売業者、釣り器材のメーカーだけでなく旅行会社、運送会社、娯楽産業、健康・食品会社などとも関係を持っている。これらの産業は我々すべての人生にかかわるものである。この、年間1兆円規模とも推測される大掛かりな産業は、”魚がいる”という単純な前提に支えられている。
では、もし、このような巨大市場の根底となる「魚」が存在しなかったとしたら? ――そう、その疑問こそがすべてを解き明かすカギなのである。
「釣り」という幻想[編集]
世の中には2種類の釣り人がいる。一方は、「魚」を決して捕られられず、そのことを潔く認める人々。もう一方は、「魚」を決して捕えることが出来ず、そのことを恥じており、自分は確かに「魚」を獲ったのだと嘘をつく人々。後者は絶えずみずからの経験を自慢する。そんな彼らが釣り人の大多数を占めているのである。つまり、実際に「魚」を獲ったものはいない。
私は、海岸で釣竿を持って一生懸命努力してみたが、ついに一匹の魚も捕まえることができなかった。実際には、“釣ることができる魚”など存在しないのだから、当然である。実はすべては壮大な幻想だったのだ。おとぎ話、伝説、ゴシップ、噂、神話、思い込み。幻想を維持するためには、このような優れた情報は重要なものだ。魚の存在を前提とする全ての産業は、雑誌、ラジオとテレビ番組からなる本、あるいはハウツーの講習会などで構成され、創造されている。
「魚料理」の実際[編集]
テクノロジーの進歩によって、最終的に「奴ら」は電気機械装置(浮いて、水中を推進することができる)を作り出し、空想上の生き物である「魚」(に似たもの)を具現化させることができるようになった。
レストランなどで魚料理を注文する際、私たちが自然に思い浮かべる疑問は、「料理の素材は本当は何なのか」ということではないだろうか。ここにこそ「奴ら」の陰謀がある。つまるところ、「魚料理」として出されるものは、実は、単に風味をつけた鶏の肉なのである。そうすることにより、その料理にはチキンの値段を大幅に上回る値が付けられる。こうして、より安く、低品質の鶏肉は市場に「魚」として持ち出され、「シーチキン」として私たちの口に入るようになったのである。もしそんなことはあり得ないと思うのならば、是非とももう一度じっくり考えていただきたい。本当にそうでないと断言することはできるのか、と。
日本では、「奴ら」はおいしい食物(フグ)という伝説を導入した。これによって鶏の肉は、日本料理というブランドの名のもとに高級品として販売することができる。伝えられるところでは、フグは球形体の「魚」とされている。そして、フグは全身をカバーする棘と粘着物質とに守られている。指が棘に刺さると、粘着物質によって激痛が走ることとなるという。
神話上のフグは致命的なテトロドトキシン系の毒を持ち、フグを食べた人々に痛みを伴う死を引き起こす場合がある。そのため、法律によって、フグは腕の確かな板前によってのみ調理されなければならないと規定されている。そして、日本の政財界では、彼ら板前は敵を排除する便利な道具として利用されている。
彼らは「フグ中毒」と見せかけて、完全冷徹に自分の「仕事」を完遂し、多くのものを葬っているのである。
科学技術の利用[編集]
電気の発明とテクノロジーの進歩の進展により、「奴ら」は魚の存在をより確からしいものとするためプラスチック製のロボットを開発した。その結果、人々はかつては神話上の存在でしかなかった魚を実際に動くものとして見ることができるようになった。彼らは動物園で展示され、ペットとして売られ、教科書に描かれ、映画産業で使われた。代表的な例としては『ジョーズ』、『老人と海』、『白鯨』などが挙げられる。しかし、究極的には、これらのロボットは魚の存在を証明するためだけに作り出されたのである。
初期のモデルであるコードネーム「デンキウナギ」と「シビレエイ」は非常に粗悪な出来であった。そのため、安全のためこれらのロボットを直に触られたり検査したりすることは禁止されている。これらのロボットの本体は非絶縁性のジェルで覆われていて、かつ動力として高圧コイルを装備しているため、不運な者あるいは好奇心旺盛な者は最高600Vの電気ショックを味わってしまうのである。
時代が進むにつれて、徐々により美しく、小さく、機敏な「魚」のロボットが作られていった。最新のモデルは定期的に光る発光ダイオード(LED)を装備した深海魚やアンコウであると言われている。LEDは、コードネーム「深海魚」と「アンコウ」という素晴らしい「魚」の新種を誕生させた。
食用として焼いて食べることが出来る「魚」を、現代の科学は製造出来るようになった。骨格は生分解性ポリマーからなり、消化することはできない。そして肉は非常に柔らかい。食用の「魚」はこれらを組み合わせて作られているのである。
スポーツとしての釣りのために使われるロボットは極めて高価である。魚についての秘密は厳しく保護されなければならないからだ。スポーツとしての目的のために捕まえ、家に持ち帰ることのできる「魚」の数は制限されている。そういうわけで、持って帰れる魚のサイズと数に関する制限が導入された。「魚」が制限より小さいならば、それはすぐに水の中に返さねばならない。
近年の日本においては、「自然保護」のためと称して、「在来魚」とされる魚を持ち帰ることは禁止されている。もしあなたが、それらの魚を持ち帰ろうとするならば、すぐさま公園管理官または都道府県の担当者(「魚」を没収して、罰金を払わせる権利を持つ)に拘束され、罰金を支払わされてしまうだろう。彼らは、カスラックにも匹敵するほどの凶悪かつ貪欲な本性を持った、巨大な利権集団である。「魚」を捕えたと主張する人物は、皆その利権団体に所属するプロモーション担当の役員なのである。
疑い、そして…[編集]
しかし、古来より人々は、無意識のうちに、「魚」についての陰謀に気が付いていた。現代では、情報化の進展により、人々の持つ「魚」に対する疑惑はより強くなっている。その証拠に、某巨大掲示板や某動画サイトに精通し、情報分析力に長けた者たちは、よく自分が騙されている(あるいは騙されるのではないかと思う)時には「釣り」という言葉を用いる。
本来は「魚」を入手する手段を指すとされている「釣り」という単語が、そのような状況下で使われるということ自体、人々の「魚」に対する不信感、そして「魚」を巡る巨大な利権、陰謀の根の深さを示しているとは言えないだろうか?
関連項目[編集]
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この項目「魚類」は、先人によって冒頭部が作られ、代々伝えられてきた物語のほんの序章に過ぎない、始まったばかりの項目です。これからの本当の物語の綴り手は、あなた自身です。 (Portal:スタブ) |