麻生周一

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

麻生 周一あそう しゅういち1985年12月26日 - )はDA☆さいたま県入間市出身の、某社奴隷人形である。

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[編集] 人物

麻生周一(下)と担当アフロマン(上)のモサモサコンビ
麻生周一(下)と担当アフロマン(上)のモサモサコンビ

父はかの有名なローゼン麻生閣下である(父が45歳の時に本人が生まれた)とされているが、実は小沢一郎の隠し子だということは意外に知られていない。ローゼン閣下の出身地はDA☆さいたまじゃなかったような気がするが、まぁいいや。あ、そういえば「麻生周一」ってのもペンネームだったような錯覚を一瞬起こしかけたが、それもまぁいいや。「本名は小沢」だって発言も嘘かホントか区別がつかないからまぁいいや。とりあえず、DA☆さいたまの山奥から出て来た漫画家である。

身長1.12hydeメートル法で換算すると175cm)。血液型はA型。趣味はTVゲームダーツ、たき火。モサモサの茶髪に眼鏡姿を目撃されている。更に、勇者学6巻にて遂に素顔を晒す。やはりモサモサ頭の眼鏡だった。

元々はストーリー物の漫画家を目指し日夜投稿に励んでいたが、新人賞締切直前のある日、ふと「ストーリー漫画の登竜門・手塚賞と、ギャグ漫画の登竜門・赤塚賞を同時受賞すればカッコいいかもしれない」と思い立ち、赤塚賞締切までの1週間の間に『勇者パーティ現る』を描き上げる。
結果的にこの作品で2006年上期赤塚賞の準入選を受賞し、赤マルジャンプを経ずいきなり週刊少年ジャンプに掲載され「ギャグ漫画家」として本格的にデビューすることになる。

・・・え? 手塚賞に本気で投稿した作品? シラネ( ゚д゚)、ペッ

※噂によると、趣味であるたき火の燃料になったとかならなかったとか・・・

2007年には、『ぼくのわたしの勇者学』の連載を開始する。「こんな漫画、絶対突き抜けるぜ」という大方の予想に反し、1年以上も続いてしまった。
その秘密は・・・実は麻生はイバちゃん(現在はササキ)にとある弱みを握られている為、ジャンプ連載陣の誰か(特にあの人とかあの人とかあの人とか)が原稿を落とした際『代原枠』として1号につき2話載せなければならない契約を交わしている為である。その為彼はジャンプ誌上初の「最速30話突破」の偉業を成し遂げ、その話数はネズミ算式に増えている。週11ページの癖に勇者以下の糞漫画しか描けないは彼を見習うべきである。

因みに彼が原稿を仕上げる速度は「1話につき6日かかる」そうである。それほど速筆なわけでもない。

更には、赤マルジャンプ2008年WINTER号に掲載予定の某作品がXXXXXの事態に陥った為、本誌連載を続けながら赤マルジャンプにも2話掲載をする事態や、イバちゃんが現在編集長を務めるジャンプスクエアに番外編を描く事態に陥った。まさに集英社のいいように扱われている、操り人形のような人生を送る男である。

しかしそんな彼にも短いながら交友関係を築く時間はとれるらしい。年齢が近く、同じ「若手連載漫画家」である藍本松からはサインをリクエストされ、お互いのサインを交換した。しかし元腐女子でイタイ経歴を持つ藍本に毒されないかちょっと心配である。

また『魔人探偵脳噛ネウロ』の作者・松井優征と同郷であることが発覚し、これまたその後交流を深めている。しかし基本キチガイである松井にぴーされたりしないか結構心配である。

ジャンプスクエアに出張した際には、余りの心細さに「手塚・赤塚両賞同期」だという半ばこじつけの理由で、キユばりのテンションで勝手に「友達ですよね?」と貧乳神助野嘉昭(手塚賞入選)に声を掛けた。心優しい助野は翌月に返事を返してくれたが、そのままスルーされていたら、もうカワイソスなんてもんじゃない悲劇になっていたかと思うと、涙が出てくる。

何回も2話連載という過酷な労働を強いられながら結局奴隷主にあっさり捨てられてしまった。そのことへの恨みからか、最後は自身の趣味であるたき火で連載を炎上させてGAME OVERという画期的な手法で連載を〆た。因みにこの終わり方は打ち切りと呼ばれるカテゴライズの何処にも属さない。巻末のコメントは非常に爽やかだったが、余程あの人たちへの恨みが深かったとみえる。

余談ではあるが、かつてのジャンプはメガネ犬のせいで連載枠がしょっちゅう空く為、新人作家による代原がハイペースで掲載されていた。しかし、その大半はくXXXXXな内容な上に漫画評論家からは赤マルジャンプの存在意義に関しても疑問の声も上がるようになった為、事態を重く見た編集部が少しでも読者の怒りを抑えようとして発案されたのがこの2話掲載のそもそもの理由である。にも拘らず五流ギャグ作家の投入でポイ捨てされた事から、麻生の功績を称える声や同情論などが一部では上がっている。

この影響からか勇者学の終了からわずか3ヶ月で読みきり『劇団!インプロビゼーション』でWJに帰ってくることが決定。しかし、これはまたも(第8話にてフライング打ち切りされた某漫画や、打ち切りのショックで作者が失踪した某漫画の)穴埋め代原である可能性もある為、今後連載化されるかどうかは不明。大事な事だから二度言ったバイバイ宣言も、てんで聞く耳を持たれていないと言うのだから益々同情を禁じ得ない。

そもそも麻生に、RPG以外のものが描けるのか!?・・・と思っていたら案の定、某漫画と盛大にネタ被りした読切になってしまった。しかし勇者学の6巻で麻生は某漫画の空気主人公(の帽子だけ)を描いていたのでまぁいいや。そもそも急に来た代原依頼に、代原作家よりもよほど面白い読切を載せて要望に見事に応えたんだから、これは許さざるを得ない。

こんな麻生に、誰か救いの手を!!

[編集] 経歴

  • 2006年 - 『勇者パーティ現る』で、赤塚賞準入選受賞。そのままデビュー。
  • 2007年 - 『ぼくのわたしの勇者学』の連載を開始。
  • 2008年 - 大方の予想に反し、全66回(2話掲載の回もカウントしてる)にて『ぼくのわたしの勇者学』を終了させる。しかも単行本最終巻発売とほぼ同時(約3ヶ月)で光速復帰。

[編集] 作風

「ぼくのわたしの勇者学」までに2本の読切と1本の連載を発表しているが、すべてRPGをモチーフにしたギャグ漫画である。ぶっちゃけ引き出しが無い。RPGと日常を融合した不条理なギャグが、一部のファンの心を掴んでいる。

その後「劇団!インプロビゼーション」にてRPG以外のものも描けるようになった成長ぶりを見せつけたが、しかし何と言っても一番の魅力は、咄嗟の際の2話同時掲載(ry

この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
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[編集] 作品リスト

  • 勇者パーティー現る(第64回赤塚賞準入選作品、週刊少年ジャンプ2006年34号掲載)
  • LEGEND TOWER(週刊少年ジャンプ2006年49号掲載)
  • ぼくのわたしの勇者学(週刊少年ジャンプ2007年24号 - 2008年35号)
  • 劇団!インプロビゼーション(週刊少年ジャンプ2008年50号掲載) - 麻生にとって初の「RPGが一切出て来ない漫画」。麻生周一の桃太郎、略してソーローである。


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