11千年紀以降
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
11千年紀以降(11せんねんきいこう)とは、スペクタクル長編映画である。
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[編集] 概要
この映画は、ノストラダムスの大予言で人類が滅びるとされた1999年に刊行されたSF、「11th millennium and beyond」を映画化したものである。小説は当時、人類の未来、そして予言のようなものに関心があった人々の心をつかんで、ミリオンセラーを達成した。そのような大作を、映画会社が指をくわえて見ているわけがなく、映画化される運びになった。その際にタイトルは和訳されたが、そのままでもよかったのではという意見が絶えない。
[編集] あらすじ
僕こと佐藤祐樹は、幼馴染の渡辺春香とともに、趣味の天体観測のために、小さなころから通っている、古びた灯台へ来ていた。いつものように望遠鏡を取り出して、星を観察していると、奇妙な緑色の光を見つけた。そしてそれはどんどん灯台のほうへ迫っていき……。
祐樹と春香は緑の光を見た後、数時間意識不明となり、目を覚ましたら西暦9999年にタイムスリップしていた。近くの人に聞くなどして、遠い未来へタイムスリップしたという状況を悟った祐樹はただただ呆然とし、春香はその場で泣いていた。しかし、冷静になってくると春香は、この時代ならたぶんタイムマシンが開発されているはずだ、と未来人に掛け合い、タイムマシンの存在を突き止めた。しかし、この時代でさえタイムマシンに乗るためには、多額の未来の通貨が必要であり、また、順番待ちをしなければならなかった。そこで、タイムマシンに乗るために管理者に状況を懇切丁寧に説明したところ、自分たちが生きていた時代の説明と、長々とした身体検査等を受けることを条件に、ただで乗せてくれることになった。ただし、順番抜かしはできないため、9999年12月31日まで待つこととなった。この日になった理由は西暦10000年を迎えられるときに、わざわざこの時代を離れる人がいないからである。
そして、当日に祐樹と春香は元の時代へ帰ることができるようになった。故郷や両親を思い浮かべながら帰路へ着く気でいた。他にタイムマシンに乗っているのは、操縦役のロボット、ミレニアムだけである。西暦10000年へのカウントダウンのために準備がされている中、二人は現代へと帰って行った。現代へ帰るには一千年紀につき一時間ほど必要で、8時間は元の時代へ帰るのに必要であった。そして悲劇は発生する。時間遡行の途中に西暦10000年になってしまったのだ。このタイムマシンは旧型であったため、当時騒がれていた西暦10000年問題への対処がなされていなかったのだ。その結果、タイムマシンはバグを起こし、再び未来へと進み始めたのだ。バグのため、緊急脱出装置も無効になり降りられず、時代の進みを変えることもできなかった。幸いにして長時間の時間遡行のため、様々な物資が詰め込まれており、生活は何不自由なくできるのだが、外部との通信は一切できなかった。このタイムマシンが行き着く先は、このままでは宇宙の終焉である。
祐樹と春香、そしてミレニアムは人類絶滅後へと歩みを進めるこの絶望的な時間の中で、天体の生誕、そして終焉、人類の功罪、自分たちの過去、そして未来、自分とかかわった全ての人の将来など様々なことを知り、深く考えていく。彼らは無事に元の時代に還ることができるのかは、この三人の叡智にかかっている。
[編集] 小説版と映画版の違い
この小説が映画化されるにあたり、良くも悪くもいくつか変更がなされている。
まず小説版では、祐樹と春香が西暦9999年に滞在している時期の描写が多いのに対し、映画版はあっさりしている。これは小説自体が分厚いので省略せざるを得なかったことが挙げられる。
また、小説版では祐樹と春香の関係は幼馴染の域を超えなかったが、映画版ではなんと告白シーンや未来でのデートシーン、そしてラブシーンが追加されている。それに反比例するように、原作では重要な位置を占めるミレニアムが空気である。これはスイーツ (笑)の好感度を上げる作戦だったのだろうが、原作の雰囲気ぶち壊しのため、改悪だとして不評を買っている。