1960年

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世紀  19世紀 - 20世紀 - 21世紀
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  1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年
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1960年(1960ねん)は、アフリカに多数の雇用促進機構が誕生したことで知られている西暦の年の一。金曜日から始まる閏年

  • 皇紀2620年
  • 戦後15年
  • 仏暦2503年
  • 民国49年

概要[編集]

世界的にはアフリカの年であり、日本においては安保闘争の年である。

ここでは、アフリカの年についての説明を行っている。安保闘争については該当記事を参照。

アフリカの年[編集]

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アフリカの年という呼び名は、アフリカ諸国が次々と独立したことに由来するものである。

これ以前から独立は始まっていたため、別に1960年をアフリカの年と定める必要はないはずである。だが、イギリス連邦という尊称にいつまでもしがみつくケチなイギリスとは違い、フランスは気前よく植民地を手放した。その年が1960年だったため、アフリカの年と呼ばれるようになったのである。

詳しい経緯を説明すると、フランス、もっと言えば第二次世界大戦の手柄だけで大統領の座に居座っていたシャルル・ド・ゴールは、いい加減植民地運営に飽きてしまった。そのため、アフリカの植民地に対し独立するか否かの住民投票を行ったのである。結果、住民投票が行われた植民地全てが独立を選んだ。

これにより、アフリカには国家という多数の巨大雇用促進機構が生まれたのである。

なお、フランスはアルジェリア(1962年独立)のサハラ砂漠で原爆実験を行っていたかもしれないが、それはアフリカ諸国の独立とはこれっぽっちも関係ない。別に、何かと反発的なアルジェリアなら何をやっても良いという考えは小指の先ほどにも持っていなかった。

また、フランスは稀少金属が多く産出するギアナニューカレドニアを手放す気は、今のところ全くない。金の卵を産む鶏を手放す国は、地球上に存在しないのである。

結局、1960年に独立したアフリカ諸国は、フランスからが14ヶ国、イギリスからが2ヶ国、イタリア・ベルギーからが1ヶ国となった。その後、色々とややこしいことになった国もあったのだが、宗主国の知ったことではない。

年表[編集]

一般[編集]

アフリカ諸国の独立ラッシュについては、#独立を参照。
  • 1月19日 - 日米新安保条約調印。昭和の妖怪こと岸信介が首相でなければ、締結できていたかは不明。
  • 1月27日 - ソ連が新安保条約を非難し、歯舞・色丹を盾にとって外国軍隊の撤退を要求。資本主義国家が共産圏の言うことを聞くはずがないのは自明のため、形式的な脅しとなった。
  • 2月13日 - フランスがサハラ砂漠で初の原爆実験。世界で4番目の核保有に。
  • 5月1日 - U-2撃墜事件発生。ソ連の領空侵犯と国土偵察をしていた米国のU-2が撃墜され、米ソ首脳会談がおじゃんに。
  • 5月22日 - チリ地震発生。津波が観光目的で来日。
  • 6月15日 - 改定安保条約批准阻止を目的とし、全学連7000人が国会に突入。死者が出る騒ぎとなった。彼らがバーゲンセールに群がる主婦ほどの強さを有していれば、結果は違ったかもしれない。
  • 6月19日 - 安保闘争の甲斐なく、新安保条約が自然成立。
  • 7月14日 - 岸首相が暴漢の襲撃を受け重傷を負う。防波堤は危険な任務である。
  • 7月15日 - 岸信介内閣が総辞職。元々一仕事終わったらさっさと辞めるつもりだったらしい。
  • 7月19日 - 池田勇人内閣成立。スローガンは所得倍増
  • 8月25日 - ローマオリンピック開催。エチオピアアベベが有名に。
  • 9月14日 - 石油輸出国機構(OPEC)結成。別名、石油依存経済国組合。
山口一矢が浅沼稲次郎を刺す瞬間。

独立[編集]

コンゴ共和国が2つある理由や、セネガルマリ共和国が構成していたマリ連邦についての説明、1960年以降に起こった各国の政情不安についての説明を省いてあることを、君は気にしない