Googleの歴史

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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創成期のGoogle本社ビル(1900年撮影)。現在では記念館として一般公開されている。

世界で最も人気のある検索エンジンといえばGoogleである。老若男女問わず若々しいベンチャー企業の代表格のようにお考えのことだろう。しかし、国際的な知名度を手に入れたのはつい最近のことである。Googleが商標として登録されたのは1894年であり、実は長い歴史を持つ老舗企業なのだ。

Googleは地元の農民に借りた掘っ立て小屋において創業したが、数年後には広大な建物へ移転する必要性が生じた。当時、検索に用いるデータを保存できる唯一の手段はであり、業務拡大により増え続けた本は小屋だけでは保管が不可能になったためである。そして1897年、現在の本社所在地Googleplexにおいて新社屋の建設が始まった。

目次

[編集] 創成期

初期の検索申請書。この申請書が現在のGoogleウェブサイトのデザインにまで引き継がれている。
貴重な1905年当時のGoogleEarthの使用例。検索結果はインドから船便で送られていたと記されている。

共同創業者であるページとブリンが事業のアイディアを思いついたのは、1893年のことである。この年カリフォルニアでは前例の無い寒波の来襲があった。森へ遊びに出かけて道に迷っていた二人は、たまたま見つけた山猫軒というレストランにて防寒のために用意されているというガチョウ油クリームを全身に塗っていた。はっきり言ってマヌケな姿であり、直後、騙されたことに気がついた。この逸話は後に宮沢賢治によって童話化されている[要出典]

この時二人は情報の重要性を痛感したのである。「地図さえあれば」ということだ。当時、ふと思いついた疑問の答えを知りたい時は、図書館で本を調べるしか方法は無かった。必要な本を揃えることが出来ない人々は、わざわざ図書館のある街まで長く困難な旅行をしなければならなかった。

当時の記録によると、アメリカ合衆国の開拓者たちは、たとえビーバー狩りをしている最中であっても、狩りに関する情報が足りないと思った時は百科事典で調べるためにわざわざ最寄の都市の図書館まで旅したという。移動手段はもちろん車ではなく徒歩である。何千マイルもの距離を移動するのは危険な旅である。ポートランドやオレゴンからニューヨークへ行き、戻るのには少なくとも2年はかかった。図書館でようやくビーバーに関する情報を手に入れても、残念なことに狩は振り出しに戻らなければならない。つまり毛皮を手に入れるために、わざわざ都会まで出掛けて動物図鑑を買わなければならないというようなマンガのような状況であったのだ。

二人は郵便を使えば、自宅にいながら必要な情報を入手出来ることに気がついた。そして、郵送されてきた疑問を、百科事典などの書籍で社員が検索して回答するGoogleが設立された。今で言う人力検索である。

回答作業の効率化のため、サービス開始直後からGoogleは検索申請書の配布を行っていた。右上の写真は初期の申請書の一例である。この申請書に切手を貼り付け住所氏名を記し、枠の中に質問を記入するだけで30日以内に検索結果の回答が自宅に届いたという。30日以内は遅すぎる? 当時は誰も気にしなかった

Googleの検索事業はサービス開始直後から大評判となり、検索申請はたちまち人の手だけでは処理できない量にまで増加した。当時の地方紙によると、1900年10月1日には全米から一日で1450万通もの検索申請書が届き、わずか200人の従業員だけで検索業務を行っていたという。

1905年には植民地に派遣された兵士が暇潰しに兵舎の屋根やグラウンドに書いていたビーバーなどの落書きを監視するため、現在ではGoogleEarthとして知られているサービスを開始した。もちろん写真はモノクロであり、熱気球で撮影されたものであったが、貴重な情報源として第一次世界大戦前から各国のスパイに愛用されるようになった。

[編集] 世界恐慌

仕事に忙殺されていた共同創業者のラリー(1930年頃撮影)

第一次世界大戦後もGoogleは増収増益で発展していき、独自開発の高性能コンピュータの使用で検索精度は日々向上していった。1920年までには、従業者数10000人を誇り解析エンジン15台を保有していた。なおGoogleは当初16台保有していたのだが、1台はThe Computing-Tabulating-Recording Company(のちのIBM)のワトソン卿に売却された。彼は解析エンジンを簡略化した計算機を大量生産し安価で販売しようとしていたのである。

しかし1929年に世界恐慌が訪れた。Googleも他企業と同様に株価が暴落し、従業員を解雇しなければならなくなった。1930年には100万ドルの赤字に転落した。もはや倒産一歩手前の状態だったという。だが社員の一人は気がついた。「好景気でも不景気でも情報は必要不可欠である」「検索代金を無料にしても儲かる」と。

果たして恐慌の間、人々の検索申請は減少するどころか激増していた。日々の食費代にも事欠く失業者たち、つまりアメリカ人の大半は燃料として本を燃やしてしまったため、情報を得るには検索代金を無料としたGoogleに頼るほか無かったからである。

その結果、Googleは検索代金を無料にしたにもかかわらず、利益を得ることに成功した。検索結果の余白スペースに適切な広告を載せるという斬新なビジネスモデルを考案したためである。たとえばビーバーについて検索すれば、検索結果にはビーバーに関する情報やイラストに加えて、ビーバー捕獲に役立つ製品の広告も載せられたのだった。新たなビジネスモデルによって翌年には業績が急回復し、90万ドルの利益が計上された。

[編集] 第二次世界大戦

暗殺未遂事件の元凶となったチャーチルのつぶやき

第二次世界大戦中にはヒトラー率いるナチスも機密情報収集のためにGoogleを頻繁に使用していたことが明らかになっている。1941年にはイギリス首相チャーチル暗殺未遂事件が発生したが、この際Googleの検索結果で彼の居場所が突き止められたと近年公開された公文書に記されていた。現在ではTwitter[1]でのチャーチルの迂闊なつぶやきが検索結果に表示されたことが事件の発端になったと歴史家の間で認識されている。

事件後、Googleは枢軸国のスパイに対抗するため新たな検索アルゴリズムの開発に着手した。開発には惜しみなく資金が投入され数ヵ月後には完成した。とはいっても仕組みは極めて単純であり、依頼書の文面がEngrishであるかどうかだけで検索結果を変化させるというものだったが効果は抜群だったという。このアルゴリズムは後に文章翻訳機能にも応用された。

[編集] 1960年代

1960年代のGoogleの検索申請書。LSDを連想させるサイケデリックなデザインだった

1950年代から1960年代にかけては検索のオートメーション化が更に進行し検索精度が極めて向上した一方、検索申請書のデザインがサイケデリックだったために、当時最先端の麻薬としてヒッピーに好評だったLSDの包み紙と誤解されることが少なくなかった。

この風評被害で売り上げが激減したGoogleは1968年には開き直ってスイスのホフマン博士からLSDを大量購入し、検索申請書に1滴ずつしみ込ませて大量販売したと伝えられている。だが誰も気にしなかった

[編集] 1980年代

1983年ごろのコンピュータでの検索申請の様子。

1970年代の終わりに到来したマイコンブームにGoogleは注目し、新入社員にBASICを用いた検索プログラムの開発を始めた。この頃にはGoogleが所有する検索用書籍は2億冊に達しており、その全てをデジタル化して磁気テープに記録するという気の遠くなる作業が数年にわたって続けられた。

磁気テープ導入後には検索申請にコンピュータと電話回線が利用され始めた。申請内容が映されたディスプレイの内容をオペレータがメモして、アルファベット順に格納された数百万本ものカセット中から必要なものを選び出してコンピュータに挿入すると、自動的に申請者のコンピュータに検索結果が表示されるようになった。一連のデジタル化により申請から検索結果が表示されるまでわずか30分に短縮された。

[編集] 1990年代以降

1991年には検索事業は自動化オンライン化がほぼ完了した。この結果1992年に、創業時から百年近く続いていた郵便による検索申請受付が終了した。人の目に見られることなく検索が可能となったため、ロリ画像などポルノ画像の検索回数が急激に増加した。この時ようやくイメージ検索機能が追加され、現在に至る。ちなみにGoogle(英語版)で最も検索された言葉はビーバーであり、米国民のビーバーに対する関心の高さが伺える。

[編集] 脚注

  1. ^ なおTwitterは1927年にサービスを開始している。つぶやきの発信には携帯電話やスマートフォンではなく、もっぱらモールス信号と伝書鳩が用いられていた。

[編集] 関連項目

阿部ちゃん
流行記事大賞 銅賞受賞記事

この記事は2010年流行記事大賞にて銅賞 を受賞しました。
この受賞に阿部ちゃんも思わず興奮。

この記事は、en:History of Googleから翻訳されたものです。

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