UnBooks:なぜ全員が馬鹿なのか?

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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本稿は、全員が馬鹿であるという事実を究明するために書かれた。したがって、「本当に全員が馬鹿なのか?」「少しぐらいは賢い人間もいるのではないか?」という反論に対しては耳を貸さないものとする。

本稿は独りよがりな筆者が「なぜ私以外の人間はみな馬鹿なのか」と考え、他者を卑下する目的で書かれたものではない。筆者も「全員」に含まれる、ひとりの馬鹿である。しかし筆者は自分が馬鹿であること、また自分以外の全員が馬鹿であることに腹を立てている。

本稿は私とおなじように腹を立てている個人にたいして書かれたものである。

そもそも馬鹿とはなにか[編集]

馬鹿を言葉から定義するために、まずは辞書を引いてみよう。

ばか【馬鹿/莫迦】 [名・形動]《(梵)mohaの音写。無知の意》

  1. 知能が劣り愚かなこと。また、その人や、そのさま。人をののしっていうときにも用いる。あほう。「―なやつ」⇔利口。
  2. 社会的な常識にひどく欠けていること。また、その人。「役者―」「親―」
  3. つまらないこと。無益なこと。また、そのさま。「―を言う」「―なまねはよせ」
  4. 度が過ぎること。程度が並はずれていること。また、そのさま。「―に風が強い」「―騒ぎ」「―正直」
  5. 用をなさないこと。機能が失われること。また、そのさま。「蛇口が―で水が漏れる」→馬鹿になる

筆者が本稿で取り上げるのは、おもに1と2の意味における馬鹿である。ただし、3に挙げられたことをさかんに行っているものを1や2と見なすこともある。  

なぜ他人を馬鹿だと感じるのか[編集]

前項の1の意味で他人を馬鹿だと感じるのは、他人となんらかのコミュニケーションを取り、彼あるいは彼女の発言が利口でないときである。ある発言が利口であるかどうかは、対話者が決定する。

つまり、馬鹿を規定する絶対的な基準というものは存在せず、つねに個別の組み合わせによって、いわば馬鹿の境界線のようなものが随意に策定されていることになる。

前項の2の意味で他人を馬鹿だと感じるのは、社会的常識から逸脱した行為を行っている者を、見たり聞いたりしたときである。社会的常識はつねに個別の集団において形成されるため、馬鹿を規定する絶対的な基準は存在せず、その集団が随意に決定することになる。

また、集団に属する個人も明確に条文化された社会的常識を共有しているとは限らず、馬鹿の境界線はさらに随意に策定されることとなる。

以上の二点から、全員が全員に対して、どこかしら馬鹿であると考えていることがわかる。

自分が馬鹿であることに気付くとき[編集]

自分が馬鹿であることを気付くのは、つねに他者との会話による。自分の意識の流れは自分がいちばんよくわかっているから、そこに論理的整合性や説得力がなくとも、個人はそこに全幅の信頼を置くことができる。しかし他者との会話のなかで、たとえば対話者に鋭い質問をされ、うまく答えられないときなど、自分の考えが甘かったことを理解することになる。

上記の例に加えて、たとえば専門技術を伝達するためのコミュニケーションにおいて、うまく言語化されていない作業工程を伝達するとき、自身のなかにある語彙があまりにも貧弱であり、またそれをうまく文章のかたちにできないことに唖然とする。

上記の二例から、自分が馬鹿であることに気付くのはつねに他者との対話においてであることが了解された。

馬鹿入門[編集]

自分が馬鹿であることが了解されたいま、取るべき方策はふたつある。

  1. 自分が馬鹿であることを受け入れ、楽しむこと
  2. 少しでも利口になるように努め、その過程を楽しむこと

ところで、このふたつの方策はほとんど同義であることがお分かりいただけるだろう。自分が馬鹿であることを受け入れ、また同程度に他人も馬鹿であることを受け入れれば、肩肘を張ることもなくなり、かえって会話はスムーズに流れ、馬鹿であることを感じる機会は減少するだろう。

また少しでも利口になるように努めれば、たとえば書物を紐解いたり、映画を見たりして、教養を高めるように努めるだろう。個人は他者との関わりのなかにおいてのみ自分が馬鹿であることを了解するのだから、他者と関わらずに自己鍛錬に励むことで、馬鹿であることを感じる機会は減少するだろう。

以上の二点によって、全員が馬鹿であることを楽しむことができると了解された。


馬鹿礼讃[編集]

全員が馬鹿であることを前向きに、明るく楽しむことができるようになったいま、我々はクラブディスコパーラーサロンナイトクラブに出かけ、お互いの肉体をむさぼりあい、を浪費し、ガソリンを吸いつくし、ウラニウムで発電し、奴隷を駆使し、労働環境を改善したり改悪したり、をしたり殺人をしたり浜辺でサーフィンをしたり、あまりにも丁寧な応対をするので逆にかしこまってしまうような銀行の窓口のおねえちゃんに手引きをされながら口座を開いたり、そこまでかわいくないけど気の合う嫁さんをもらって幸せに暮らしたり、子供を産んだり産まなかったり保育所が見つからなかったり、太陽が照っていて気分がよかったり、を読んで思索にふけったりすることができるようになった。

こうして世の中におけるすべての善行と悪行は許容され、善行も悪行もエネルギーを消費することにほかならず、悪行は地球環境を破壊するものであるから、全員が馬鹿であるこの星はいつかあとかたもなく消滅するのだが、誰も気にしない

はるか彼方に存在する「天才」たる存在について[編集]

馬鹿に属さない「天才」があらわれることもあるが、ほとんどの場合、周囲の馬鹿が彼もまた馬鹿のひとりであると認定するため、彼の能力が発揮されることはない。