UnBooks:アメリカの歴史!

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「教科書は一気に読むと疲れるし、飽きる。」
編者

この歴史教科書中学生を対象として、非営利団体アメリカ合衆国中学校研究所で開発された。本文は革新的な記述と読解方法を用いている。これは著者一同の目標が、丸暗記の追求や想像力を劣化させるだけの教育をしないことで先生方の負担を軽減することだからである。なお〆切に間に合わなかったため、この教科書はアメリカの歴史を全ては網羅していない。

目次

[編集] 初期のアメリカ

ネイティブアメリカンは尖った武器を持ち、現代でも生物兵器に使われる天然痘に罹りやすく、雨乞いダンスを踊ることで知られている。

キミはアメリカの歴史がほぼ一万年前から実際に始まっていることを知って驚いたはずだ。「アメリカ史の大部分がこの話ばかりとか鬱陶しい」などと思いながら。私たちは数行の文章で一万年にも渡って続く退屈なネイティブアメリカン史を適当にまとめて、本当に重要かつ刺激的な独立宣言とか独立戦争とか国立銀行を巡るスリルに富んだ論争とかを学べるようにするつもりだ。

世界最初のアメリカ人は、シベリアアラスカの間に出来た氷の橋を向こうからマンモスを追って数千年も前に北米にやってきた。そして氷の橋が溶けて渡れなくなり、マンモスが絶滅した後にようやく彼らは気がついた。氷の橋と違って役に立たない砂漠が広がり、マンモスと違って食用には適さない金で溢れている不毛な大陸から逃げられなくなっていることを。しかし彼らは何千年もかけて、この見知らぬ新しい土地に適応した。そして自然を愛し、畏怖とか敬意を持って扱った。偉い! もちろん彼らは、中世において最も好戦的で、野蛮なある種族に出会うとは想像もしていなかった。ヨーロッパ人という種族に。

アメリカ先住民の章はここまで。思っていたより退屈では無かったでしょう? 違う? さてこの先からは刺激的な章。お楽しみに。

[編集] 新世界発見前夜

新世界を発見したことでアメリカ先住民の大量虐殺に貢献したコロンブス

長い間、ヨーロッパ人は東の果てのアジアとかインドへ冒険することに関してはどこまでも臆病だった。あれだけ好戦的なのに。まぁこれは地球は球体ではなく平面であると信じていたからで、あんまり遠くへ旅立つことはあの世へ行くことと同じ意味だった。この地球平面理論とかいうのはまだ生まれもしていない子孫も信じていただけでなく、冒険することさえ「冒涜」と主張して邪魔していたという。

最近になって歴史家たちはこんなことを言っている。「誰一人として地球が平面であると信じていなかった!」とか「平面理論は19世紀にでっち上げられたのだ!」などと。そういうことで探検家がその頃、最も恐れていたのは七つの海を支配していた海の怪物クラーケンらしい。念のため書いておくが海賊でなく、怪物だ。

しかしヨーロッパからインドへ冒険するという大胆なイタリア野郎かスペイン野郎が一人いた。こう書くとイタリアンかスパニッシュかはっきりしろという諸君がいるだろうが、調べてもはっきりせんから困る。この男こそ、あの有名なクリストファー・コロンブスその人だった。我らがコロンブスはこう考えた。「みんなが航海している方向と反対方向へ航海すればインドに楽々と行けるはずだ!」と。実際、反対方向から行くとインドまではとんでもなく遠い。しかし今なら分かることだが、彼の考え方自体は間違っていなかったのだ。

我らがコロンブスは世紀の愚行と当時噂されたこの航海の資金集めに苦労した。当然のことだろう。ポルトガルに頼もうとしたら、イギリスが裸一貫にされてしまう。やっとのことで、ユダヤ人とイスラム教徒をスペインから追放した豪傑イザベラ女王を通じて資金集めに成功したのだった。現代人から見れば、資金を提供したのは愚行扱いに等しいが。

そしてコロンブスは北アメリカを発見した。といっても彼はこの地をインドだと思っていたし、死ぬまでそう勘違いしていた。ああ無情。

[編集] 新世界発見直後

ある日の午後、通しか知らない地図製作者アメリゴ・ベスプッチが、コロンブスが到達した土地の形態がインドではないことに気がついてしまった。すっかり呼び名として定着したインディアンも、インド人でなかったのだ。そう、新たに発見された大陸だったのだ!!!!!! アメリカというのはベスプッチの名前から採用されている。つまり二分の一の可能性で、アメリカ合衆国は「ベスプッチ合衆国」と呼ばれていたのかもしれないのだ。それにしても言いにくい。

「新世界」発見のニュースがたちまちヨーロッパ中に広まった。新聞テレビも無かった時代なのに凄い。探検家達は国益の為に土地を要求し始めた。新大陸で彼らが見つけたのは、新しく、美しく、自然のままで、金儲けの材料が一杯詰まった世界だった。金儲けの邪魔者になったのはもちろん通称インディアンと破壊兵器トマホークだった。

フランス人は珍しいことに通称インディアンの意思を理解しようとした。極悪人コルテスは銃の手助けでいとも簡単に南米の神となった。ラッキーな野郎だ、まったく。オランダは猫の額ほど小さい植民地を手に入れることが出来た。つかの間だったけど。しかし植民地で最も知られているのはイギリスのそれだろう。ここからアメリカ合衆国という大きく丈夫で好戦的な赤ちゃんが生まれたのだ。もちろんこの頃はデブではなかった。

[編集] 独立戦争前夜

コスプレをしたアメリカ建国の父たち。ヒーローそのものである。

15世紀から16世紀中頃まで、アメリカに住むということは愉快なことだった。たぶん、信教の自由とかタダ同然で手に入る土地とかがあったからだろう。しかし、アメリカへの船旅は基本的に不愉快そのものだった。束縛されて、息苦しい空気が船内に充満していて、空調などまったく働いてなかった。

キミは最新鋭の豪華客船と比べるかもしれない。それは無茶だ。けれどこの地獄の船での大西洋横断航海は、自由と寛容、希望の土地で生きるという夢があるからある意味でプライスレスだろう。もっとも、衝撃プライス11ドル99セントの船賃が必要だったが。

1770年代までにはアメリカには13の植民地が出来て、農業、商業、手工業が風変わりで面白いこの社会の経済を何とか支えていた。入植者は世界中の人間が経験しなかった程の富を手に入れた。しかし、もちろんそれで満足するわけが無い。入植者の特権だけではなく、イギリス国民と同じ権利と特権も持っていると思い込んでいた。特に政治運営力は抜群だと思い込んでいた。もちろん、英国王ジョージ3世は傲慢な彼らの要求に我慢できるはずが無い。

その後植民地に対するバカでマヌケな方針をイギリスが次々と発表したことによって、アメリカ人が革命的に激怒したのは言うまでも無い。当然のことだろう。筆者でも怒る。これらの方針の中で最も古いものは1763年に出された。アパラチア山脈の西側には誰もいないという宣言だ。理論上、これは入植者とインディアンの対立を防ぐから良いと考えられた。あくまでも理論上の話。実際には、アメリカ人はイギリスにうんざりしてしまった。「自由を奪われた!」と。

次は悪名高い印紙法だ。あらゆる紙にメイド・イン・イギリスの印紙を貼り付けなければならないというアホくさい内容だ。当然イギリス政府はぼろ儲け。印紙の地下取引を行っていた組織だけでなく、入植者までもが被害を被った。

抗議をしたアメリカ人は、あるスローガンの下で団結した。「俺たちはアメリカ在住のイギリス国民だ。俺達のリーダーの同意無しにイギリス専制政府が差別的課税を実施するな。政府の謝罪を求める!」もっともこのスローガンは長すぎる。そのうち省略されて「代表なくして課税なし」などと叫ばれるようになった。これならまだ分かりやすい。

もちろん革命の決定打は茶法だ。その通り。当時のアメリカ人はイギリス人と同様に紅茶が大好きなのだった。キミは信じられないと思うかもしれないが、当時はコカ・コーラが無かったんだ。そこでイギリスが紅茶に課税すればどうなるか。ご想像の通り。アメリカ人は狂気に駆り立てられた。まずはボストンから紅茶を海にばら撒いた。いわゆるボストン茶会と事件だ。彼らは非暴力による抗議のつもりだった。しかしこれが戦争勃発のきっかけになってしまう。まったく戦争なんていつ始まるか分からないから怖い。

[編集] 独立戦争

星だらけのアメリカ国旗。棺のカバーに使われることも多い。

茶会事件から独立戦争が勃発するまでは、アメリカとイギリスの関係は悪くなるだけだった。最初に打たれたマスケット銃の弾丸は全世界を一周したという。こりゃ凄い。どう考えてもイギリスの方に勝ち目があったのだ。50万人の常備兵を持っていただけでなく、ドイツの傭兵、逃亡奴隷、インディアンなどまでいたのだ。ところでアメリカ人は誰に頼ったのだろう? フランス人か?

――その通り。 正解だ。結局アメリカ人は滑稽な程頑固な愛国心だけで戦争に勝ってしまったようなものだ。

もっとも勝利の道のりは遠い。最初に行われたバンカーヒルの戦いでは戦略の大失敗で人がゴミのように死んでしまった。火薬が足りなかったので、イギリス兵が倒れたのを確認するまで使わせようとしなかったのだ。こりゃ負ける。イギリスは勝利するだろうと誰もが思った。軍隊の士気も当然下がっていた。兵隊はほとんど全裸で、当時、全裸はニューイングランドにおいては犯罪扱いだったからだろう。絶体絶命。

しかし、偉大なるジョージ・ワシントン将軍が奇襲計画を立てた。合言葉は「勝利出来なければ死、できれば勝利したいなあ」もちろん将軍の作戦は大成功。NYを占領し、ボストンの制圧にまで成功してしまう。そしてイギリスは降伏した。

アメリカとイギリスのリーダーはパリに集まった。平和条約を調印して戦争が終わったと宣言するために。まずアメリカとイギリスは素晴らしい条約に同意した。もっともこの条約は瞬く間に破られたが。次にイギリスは13の植民地が独立することを認めた。13という数が不幸な数だとは誰もが気がついていたが。最後にアメリカはイギリスにいくらか土地を返すことにも渋々同意している。

[編集] 独立宣言

建国の父がコーヒーのシミで汚してしまった独立宣言原本

遂に、アメリカ人は今こそ独立するべきだと考えた。そしてこう考えた。「独立宣言無しに独立するとか阿呆そのもの」などと。もちろん草案作りは大混乱。以下の冒頭文草案はまったく貧弱な文だった。読めばキミもナットクするはず。

Quote1.png 時々、人間は友達ではない他人を必要としていることもある気がする。僕たちは以下のことを真実であると信じていたい。出来れば。きっと人間は平等であるはず。おそらく神さまは僕らに権利を与えられたはず。いつかは分からないけれども。そして自由に、幸福を追求する生き方があってもいいと思う。 Quote2.png

ジョン・ハンコックがクレヨンを使って下手くそなアルファベットで署名したことを遂に誰も指摘しなかった。よほど彼のことが怖かったのだろうか。そうこうしているうちに、有望なタバコ売りであった若きトマス・ジェファーソンが全て書き直してしまった。何という奴。そうして独立宣言は7月2日に署名されることになる。しかしインクが足りなかったために署名が全て済んだのは7月4日だった。そう、7月4日の独立記念日に。

[編集] 合衆国憲法

暗闇の中、顔だけライトアップされてどこか不気味なジョージ・ワシントン

独立宣言は署名された。しかしこれではまだ中途半端だった。そこで憲法でも作ろうかとなった。最初の憲法は「合衆国憲法Ver.1.0」とも呼ばれ、使った紙は粗悪でありながらも、それなりに国内を団結させた。ジョージアやニューハンプシャーでは熱狂的だった。もっとも彼らが、この憲法を頭の鈍い奴が作成したことに気がつくまでのことだが。

そういう訳で独立宣言が署名されて11年経った後にようやく憲法制定会議がペンシルバニア州で開かれたのだった。制定会議といっても実際にはジョン・ロックのファンクラブ総会みたいであり、議長はもちろんジョージ・ワシントンが就任した。12州からの代表が出席したが、ロードアイランド州の代表は会議をボイコットしやがった。そこで誰もが激怒してロードアイランド州を仲間はずれにすることに決めた。それから1845年になってようやくロードアイランド州は仲間に入れてもらえた。恨みって恐ろしい。

さて代表たちは「会議は秘密主義」と決めた。しかしこの原則は守られなかった。ある日一枚の最重要機密文書が落ちているのをジョージ・ワシントンが見つけ、厳しい口調で秘密の重要性を抗議した。手に持って振っていた新聞を机の上において、他のメンバーの主張を待った。しかし誰も黙ったままだった。ワシントンは更に激怒、ライフルでそこらじゅうを撃ち始めた。残念なことW・デービーと、J・F・マーサーに弾が当たってしまった。これぞ我らが誇るアメリカ銃社会の源流だろう。ワシントンが謝罪したのは2週間後だった。憲法はようやく9月16日に出来た。しかし欠陥だらけであった。黒人の価値は白人の60%とかあれな記述ばかりだった。署名されたのは9月17日だった。


[編集] 西部開拓

歴史は美化されるものである

キミも知っての通り、アメリカはメキシコキューバ、そしてチリまでを奪おうとしていた。しかし止めた。一方でアメリカ人はどこまでもロマンチックな夢も持っていた。太平洋を望む大陸の果てまでを征服し、アメリカンドリームを叶え、愛国心を世界中に誇示するという自己中心的な夢である。そして、暴走した夢はもう止まらない。1848年の狂気のゴールドラッシュが始まってしまったのだ。

アメリカ人は狂気だと思わなかった。金に目がくらんでしまったのだ。今も昔も、ぼろ儲けしようと焦ると何も分からなくなるのだ。一攫千金を狙う彼らの合言葉は「マニフェスト・ディスティニー」、つまり「俺たちが金持ちになり、ハッピーエンドを迎えるのは当然の筋書き!」ということである。どこまで図々しいのかと著者も呆れるばかりである。

ゴールドラッシュの噂を聞いた東側に住んでいた人々は一斉に西部へ行った。裸一貫、つまり全裸同然で。しかし肝心の金はほとんど無かった。もっともこのゴールドラッシュの影響は計り知れない。例えばインディアンは土地と信仰を奪われ、脅迫され、追放された。まったく不当だ。

もちろんメキシコ人も差別された。もともとメキシコ人は市民権が与えられると約束されていた。しかし狡賢なアメリカ野郎は市民権を与えることを拒否しているのだ。この差別は今も続いている。キミが気がついていないだけで。

[編集] 南北戦争

奴隷廃止運動家に抗議する当時の民衆

アメリカは常に世界最高の国家だし、キミだけでなく誰もがそれを知っている。だけど1800年代になると過激な自由主義者がこんなことを言い始めた。「何で黒人は自由を楽しめないんだ」などと。そう、彼らがあの有名な奴隷廃止運動家である。

その頃、黒人の人々は黒ん坊などと呼ばれ、白ん坊の奴隷として南部のプランテーションで働かされていた。合法的に。奴隷達は苦しい生涯を送り、給料なんてまず払われなかった。ちなみに北部の狡猾な白ん坊は奴隷制度はずっと前にやめて、代わりに児童を時給1セント程度で働かせていた。その方が儲かるからだ。南部の人はそのことに薄々気がつきながらも、奴隷を放棄する決心がつかなかった。児童を南部のプランテーションで働かすことは無理だと思っていたからだ。屈強な黒人男性、黒人女性、黒人児童の代替として。

そうして数十年が経過して、南部はアメリカ合衆国から独立して、北部人と南部人との戦争が始まった。奴隷廃止派と存続派の大決戦、南北戦争だ。歴史家の間では「アメリカ合衆国における奴隷や権利といった様々な問題によって勃発した南部独立国と合衆国の不毛な戦争」と呼ばれる。無駄に長い。

北軍のスコット将軍はこう計画していた。「まず交通を断ち切って、それから南部の中心地でアナコンダを投げつけてやれば間違いなく勝つ」などとヒステリックに笑いながら。当然、計画の後半部分は採用されなかったが。一方南部側はといえば「北部が勝利宣言をした後に攻撃してやろう」と鷹揚だ。結局南部側の戦略が適当だったので北部が勝利した。


Potatohead aqua.png アンサイクロペディア特集記事
本項はアンサイクロペディア英語版メインページで特集されました。
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