アヘン戦争

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アヘン戦争(あへんせんそう)とは、イギリスと中国(当時は)の間で戦われた、おそらく世界史上もっともあれな理由で始められた戦争である。イギリスの利己的戦争。これもイギリスがブリカスと言われる理由の一つである。

戦争のあれな理由[編集]

大元はイギリスと清の間の貿易が問題の端緒である。イギリスは清からお陶磁器を大量に輸入していたが、イギリスから清への輸出品がほとんど無かったため、貴重ながどんどん流出していた。そこでイギリスが考えた銀流出を止める方法が、植民地化していたインドで作った阿片を中国で流行らせて、そこから銀を得ようという策略であった。何のことはない、国ごと暴力団のようなものだったのである。当然清も対抗し、阿片を没収して処理をしたり、阿片を持ち込まないという誓約書を出した商船とだけ取引をするようにしたりと言う対策を取った。(ちなみにこの時阿片を燃やして処理をしたというとんでもない説があるが、本当だとしたら国ごとおかしくなっていたのではないだろうか。)

さて、阿片持ち込みをしないという誓約書であるが、アメリカの商船はいち早くこれを提出し、富を独占したという。一方、イギリスはと言うと、禁輸を解除するように武力で脅しをかけた。と、言うか問答無用で戦争に持ち込んだ。これがアヘン戦争である。とまあ、こういうエピソードを書くとただむちゃくちゃを言っているように聞こえるかもしれないが、一切混じりっけなしの事実である。そこらの暴力団よりたちが悪い。

戦争のさらにあれな理由[編集]

ところで、実は当時の世界ではアヘンは禁制品ではなかった、というよりむしろ世界最大の貿易品だった

『世界貿易をリードしたイギリス(植民地を含む)国内において、あらゆる種類の麻薬の販売・所持・吸引などは、いっさい自由であった。シャーロック・ホームズはコカイン常習者なのである。またルイス・キャロルの『アリスの不思議な世界』は麻薬酩酊状態を表現したものともいわれる。阿片は痛み止め・咳止め薬として、薬局やパブで公然と市販されていた。もちろん中毒者は多数いたが、誰も気にとめることがなかった。[1]

何のことはない、イギリス自体がヤク中のようなものだったわけである。

当然、ヤク中の代表であるイギリス議会は清国政府がアヘンを武力で没収して焼却処分したと聞くと戦争に賛成した。

このとき開戦に反対して「我々の英国旗が海賊旗となり、不名誉な貿易を守護するものとなる」と演説したグラッドストン(後の首相)も議会で討論する前にコーヒーにアヘンチンキを垂らして飲むヤク中のようなものだった[2]からなにをか言わんやである。そこらの暴力団よりたちが悪い。

戦争の結果[編集]

清はずるずる負け続けた結果降伏して香港など領地の割譲、多額の賠償金、不平等条約の締結などの条件を飲んだ。条件の中には阿片に関しての項目は一切無かったそうである。阿片が原因の戦争だと堂々と後世に残るのはいくら何でも国辱ものと考えたようだ。とはいえ、アヘン戦争と名前がついているのでその努力はあまり意味がなかったように思われる。(英語ではOpium Warと言う。Opiumとはケシのことである。)

その後まだ搾り取れると考えたイギリスはアロー戦争をけしかけるのだが、それはまた別のお話である。

その後の清の様子[編集]

全く危機感を抱いていなかったそうである。戦争に負け続けたのもむべなるかな。

余談ではあるが引きこもりライフを満喫していた隣の国はこの戦争のあらすじを聞いて「パツキンDQNマジやべえ!清さんも(国が)やべえし!うちもそろそろやべえ!」と自分の心配をしていたという。

脚注[編集]


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