アントニオ猪木
アントニオ猪木(あんとにおいのき、1943年2月20日 -)は、元プロレスラー、参議院議員、新日本プロレス創始者で元オーナー、スポーツ平和党初代党首、猪木教団会長。本名・旧リングネーム:猪木 寛至(いのき かんじ)。血液型はAB型。公称身長191cm、体重102kg、AGOの長さ24cm。現在の実測身長は180cmほどである。愛称はしゃくれ、アントン、ペリカン野郎、アゴ男、春一番、Gたかし、ワイン浣腸。日本で最もモノマネされている人物で有名。前妻は女優・倍賞美津子。趣味は豆腐パン作り。世界でも数少ない永久機関の研究開発者でもある。
プロフィール[編集]
少年時代は実家の問屋が石炭取引の先物取引相場で失敗して倒産してさらに祖父が何者かによって毒入りバナナを食わされた事で自分探しの旅という名の出稼ぎでブラジルへ渡り、コーヒー農場で過ごす。しかし、過酷な労働に加えて電気すら通らない小屋で生活するなど、ものすごく大変だったらしい。この時「元気があれば何でもできる!」と自身の心に聞かせ苦難を乗り切ったと言う。生活が苦しかったため、この頃から、お金を凄く欲しがるようになった。今現在、金に執着しているのはこの辛い生活が原因している。さらに娯楽が無く凄い禁欲的な生活だったため女を凄く欲しがるようになった。
この頃、ブラジルまでコーヒーを飲みに来ていた力道山が農場で働く猪木を発見し、その卓越したアゴの長さを気に入りプロレス界にスカウトした。レスラー猪木の誕生である。ちなみにデビュー戦のみ、本名・猪木寛至をリングネームに用いていた。当時、猪木自身はリングネームにブラジルにいた頃のストイックな心を忘れないように「あん時の猪木」を希望したが却下され、アゴが長かったので「花王石鹸」と言うリングネームも出たが花王石鹸は商標登録されているので、これも却下されてブラジルっぽい名前と言う事で「アントニオ猪木」となった。日本語がちゃんと喋れたがブラジル人ということを売り物にするため力道山から、下手くそな日本語を喋るように言われたが本当に下手な日本語しか喋れなかった。
さらに毎日のように力道山に冷たく扱われ体罰もひどかったために、優しい人にはすぐに騙されるようになった。
キャッチフレーズ[編集]
「燃える毛根」
昔、タバスコを輸入する会社を経営していた事がある。その時整髪料と間違えてタバスコを使用してしまった事があった。毛根に刺激が走った際ひらめいたと言われている。「毛根三十死」は猪木の愛弟子である武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の3人を指す。30代で毛根が死んでしまった3人もある。特に武藤は著しい。
持ちギャグ[編集]
猪木は数々の一発ギャグを持つ。
- 「いくぞー、ビッチ、ニート、サンダー!」
- 1・2・3・ダー!と言っている説もある。
- 「元気ですかーっ!」
- 元気じゃない人へ、イヤミのように空気を読まない前提で話し(叫び)かける。
- 「便器ですかーっ!」
- 和式便器しか見た事が無かった猪木がブラジルに渡り、初めて洋式便器を見たときのギャグである。
- 「前戯ですかーっ!」
- 「演技ですかーっ!」
- SEX中に「イっちゃった」と言った相手に聞いた言葉である。
- 「ペンキですかーっ!」
- ペンキ塗りたてのベンチに誤って座ってしまった時に思わず叫んだ言葉である。
- 「ゲッツですかーっ!」
- 「ダンディ坂野のギャグといえば?」とのクイズに対する解答法である。
- 「電気があれば何でもできる」
- 貧困だった少年時代に考えたギャグ。確かに何でもできる。
- 「俺のアゴをかっきってみろ!」
- 弟子の下克上に対し言った言葉である。
- 「バカヤロー!」
- 褒め言葉である。
- 「お前が言うな!!」
- 棚橋弘至に本当に言った。
必殺技[編集]
現役時代は数々の技を持っており「技のデパート」とは呼ばれていない。
- 卍固め
- 代表的な技である。掛けられると「卍」という人文字になる。強制的に「卍」となるのでちょっと恥ずかしい。国会に卍固めした事もある。ここからインスパイアされたのがゴルゴ松本(TIM)の「命」である。もちろん、「卍」は裏側から見るとハーケンクロイツとなってしまうので、折角の決め技もドイツでは自粛しなければならない。
- 延髄斬り
- これまた代表的な技である。後頭部をおもいっきり足で蹴る。主にボケた相手に対し、ツッ込む時に用いられる。
- 「俺のアゴ 立派だろ 今までも これからも Long long a go」と等の甘い言葉を耳元で囁く。脳が揺れる。
- アリキック
- 蟻のように這い、蟻のように蹴る。壁に耳アリ、障子に目アリ。
- ナックルパート
- 猪木よりもテリーマンのほうが有名である。
- アントニオドライバー
- ブラジルの農園で働いていたときに使用していたドライバー(+でも-でもなく、言うまでもなく卍)で相手を痛めつける、本来なら反則行為。ただ錆び過ぎていたため一度しか使うことはなかった。
- アメリカへの逃亡。
モノマネ方法[編集]
ファイティングポーズをとり下あごを突き出し「何だこのヤロー!」とか「シャッ、コノヤロ」と言えばいいだけである。さらに上級者は延髄斬りやコブラツイストをキメる。もはや日本のモノマネの定番である。しかしながら、合コンでやってもあまりウケない。
近年は競馬勝負で負けた信者が、首に赤の闘魂タオルと呼ばれる物を巻き、上半身裸の上で、黒の海パン(左足の付け根部分にいのきと書かれた白ゼッケンが縫い付けられている)とリングシューズ着用でイノキ・ボンバイエをBGMに繁華街をマラソンするイノキボンバイエマラソンも行われている。
政界進出[編集]
1989年、スポーツ平和党を結成。「国会に卍固め」をマニフェストに同年初当選。実際に国会議事堂に技をかけ、くたびれた日本に活を入れた。しかし、1995年参議院選挙で落選。スポーツ平和党の存続が危ぶまれたが自民党と名を変え、もうどうにもならないドロ舟の日本を何とかしようとしている。
2013年参議院選挙に日本維新の会から出馬して当選。立ち枯れ老人の仲間入りを果たした。
近年は日本と北朝鮮を頻りに行き来していて日本でも珍しい北朝鮮に安全に航行できる人の一人として認定されている。
外交問題[編集]
国会議員を辞めたが世界平和のために猪木は日夜世界中を飛び回っている。北朝鮮拉致問題で政治家や官僚が何もしないので拉致被害者の会から依頼を受けて拉致被害者救出のために北朝鮮に潜り込んで救出活動をしたが北朝鮮の特殊部隊の兵士のと戦いに負けて日本に帰ってきた。それでもめげずに何度も北朝鮮に行って拉致被害者を救おうと懸命に努力してる。さらに近年では中国に行って反日運動で日系企業を襲撃している中国人と戦っている。
猪木信者(猪木教団)[編集]
宗教法人としても登録されており、会員は全世界4億人にも登るといわれる。オウム真理教やライフスペースもこの傘下である。モノマネをする人はこの教団に入信し会費を支払わなければならない。
著名な会員
特典として会長の猪木直々に「闘魂ビンタ」を受けることができる。これはグルのシャクティーパットに匹敵する力を持ち、癌が治る、人質が釈放される、彼女ができるなどの効果を持つ。
その他[編集]
- 不動産
- アントニオ猪木の名前がつけられた「猪木アイランド」と呼ばれる無人島を所有している。2島とも贈り物である。羨ましい。固定資産税が高い。
- 全国に何店舗か経営している。信者はそこに集い連日連夜集会を行う。
- 弟子の反乱(実話)
- 泰然とした対応を取る猪木であるが、自らの弟子の叛乱には過剰反応を示す。