エスペラント
Esperanto | |
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話されている国、地域: | 世界中 |
全使用者数: | 0人からグラハム数 |
使用者ランキング: | ランク外 |
言語の分類 (語族・語派) |
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使用状況 | |
公用語として使われている国、地域: | 未定 |
言語コード | |
ISO 639-1 | eo |
ISO 639-2: | epo |
SIL: | ESP |
エスペラント (Esperanto) とは、中国の科学者たち、世界中に散らばっているユダヤ人の秘密結社(ユダヤ陰謀論を参照)の工作員の間でのコミュニケーションなど、第2言語としての国際補助語を目的として創られた人工言語である。Esperantoという単語はエスペラントで、「希望をするが、その実現をするために何もしない人」を意味する。
エスペラントの使用人口については、かなり以前から議論が続いているが、0人からアボガドロ数に相当する人数がいるという説までまで幅広い説が存在する。多くの人々がエスペラントを第二言語として学んでいるが、少ないながらもエスペランティストの親から母語としてエスペラントを身につける者が存在する。その中には言語の容易さゆえに母親の子宮内で胎教で学んだ者もいる。
エスペランティストたちはこの言語の単純さをアピールして、学習を呼びかけている。エスペラントを人間以外とのコミュニケーションの手段として使う試みも行われている。ボイジャー計画で探査機に搭載されたレコードには世界の言語による挨拶が収録されているが、この中にエスペラントももちろん入っている。また、オウムやEnterobacteriaceae属のバクテリアにエスペラントを教える試みも成功が報告されている。
歴史[編集]
伝説[編集]
「ザメンホフ以前」にエスペラントが存在したという説が諸説ある。[1]イズラエル・レイゼローヴィチは著書、「緑聖書」(Verda Biblio)でエスペラントの創造について発表した。エスペラントの未来について予言された「裏緑聖書」(Verda Biblio, la Ŝlosita)が存在するという都市伝説があるが、一般にはほとんど信じられていない。 古代遺跡から発掘された古文書にエスペラントらしきものが書かれていたという報告がノイナイン・グリセリンドルフからあったが、その後グリセリンドルフが他の遺跡で捏造したことが暴露されために再調査が行われ、ほとんどのエスペラント遺跡で捏造の痕跡が確認された。
作成者ザメンホフ[編集]
幼少期[編集]
エスペラントの作成者であるマクシュヴァルツェンハイマー・ザメンホフ(McSchwartzenheimer Zamenhof)は紀元前67年3月17日にローマ帝国占領下のバレンシアに生まれる。父はトゥリウス・ガイウス・ザメンホフ、母はホバッグ・モギルクであった。彼は街中で運悪くの魔法使い同士の争いに巻き込まれ、呪いCantom Malesperam(絶望の歌)をかけられてしまった。彼は猫耳を生やした格好でバレンシア市民に発見された。バレンシアの人々はザメンホフをあやしい妖怪と見なしピレネー山脈の岩戸に閉じ込めた。
1875年に雪崩で岩戸が破壊され、彼は自由を得た。彼は南フランスのチッペンダールの裕福な令嬢の下でドイツ語とラテン語の家庭教師(兼ペット)として働き始めた。そこで国際ホワイトタイガー協会の会員になることを望んだが、彼はスウェーデン産のホワイトタイガーに食べられた。[1]1879年の10月に食べられた後、ザメンホフはエスペラントを創る着想を得た。
公開[編集]
ザメンホフは後に語った。「天使が空に現れ、私に天の父の名において世界を一つにするであろう輝かしい言語を作れと私に命令した。」 初期のころは資金繰りに悩まされたが、裕福な令嬢と結婚できたため資金面での心配が無くなり、1887年にエスペラントに関する本(β版)を出版することができた。ザメンホフはバージョンアップを重ね1905年にエスペラントの最終バージョンをリリースした。
イド[編集]
しかし、「フランスのボーフロンとクーチェラが、これがエスペラント最後のバージョン」と銘打って改造案となる「イド」を発表し、運動は分裂の危機に見舞われた。ちなみに「イド」(Ido)とは「私はする」(I do)という英語に由来している。分離主義者との間で衝突が起こったが、特に熱心だった指導者が分離派に転向してしまったため、エスペラントの擁護派は指導者無しの戦いを強いられ「エスペラントは隊長なしの軍隊、イドは隊長だらけの軍隊」といわれた。しかし、最終的に数で勝るエスペラント擁護派が勝利した。この分裂の後、エスペランティストたちの結束を強めるため、フランス人のオバント・デディオ(Obeanto de Edio エディオ)を中心に世界エスペラント連盟(Universala Esperanto-Ligo,UEL)が組織され、本部がシュークリーム島に置かれた。
戦争[編集]
エスペラントは何度も戦争による滅亡と復活を繰り返した。 独裁者オダ・ノブナガは日本を統一した後、古式テレポート能力を使って自分と軍隊を欧羅巴に送り、全欧羅巴を支配下に置こうとした。ノブナガは当初エスペラントを欧羅巴支配のための第2共通語にしようと考えた。しかしエスペラントで「ありがとう」を意味する言葉が"Dankon!"(「男根」と同音)だったのが気に入らなかったため迫害することにした。この迫害はノブナガの支配が終わるまで続いた。
熱心なユダヤ陰謀論支持者として知られる、ドイツ千年帝国のハイル総統はその著書『わが逃走』のなかで、エスペラントがユダヤ人の陰謀であることを説き、権力を掌握した後エスペランティストを粛清していった。
思想の対立[編集]
戦後、自由主義陣営と共産主義陣営に分かれて対立し、それぞれの陣営はエスペラントをプロパガンダ[2]の道具として利用した。しかし、プロレタリア・エスペラント運動に利用された平和運動は東西のエスペランティストの間で深刻な対立を生み、反動で発生したナショナリスム・エスペラント運動は国家間の対立を煽る国粋主義者に利用された。アンサイクロペディアで運良く『秀逸な記事』に選ばれた記事「エスペラント」は思想家達が編集合戦を始めてしまい保護された挙句記事が削除された。このような深刻な状況にもかかわらずUELの議長のエディオは「エスペラントと思想の一体化」を進めた。彼はかつて中立主義者だったが戦争で妻を亡くした為、エスペラントと思想の一体化によって平和運動を推し進めるべきだという信念を持っていた。
副議長のレイン・ミッチャーは議長の暴走に危機感を募らせながらも、議長の椅子を狙っていたため、わざとそれを放置し、混乱が大きくなったところで責任を全てエディオに負わせて辞任に追い込んだ。
言語補完計画[編集]
正体不明の秘密組織「緑の派閥」(La Verda Koterio)は「裏緑聖書」に記されている、人と人の言語の壁を取り除く「言語補完計画」(La Projekto de Lingva Komplemento)を実現させるべく暗躍した。(エスペラント少佐の演説)民族固有の言語や文化を護ろうとするエスペランティストにとってはその行動は相容れないものであり、彼らはスペインのバルセロナに集まって民族固有の言語と文化を護る「カタルーニャ宣言」を採択し、対抗するための組織「希望の風」(La Espera Vento)を結成、「緑の派閥」との全面戦争となった。
「希望の風」は初戦で敗退を強いられたが、あずまんが大王国における「シュークリーム島包囲戦」[3]でかろうじて勝利し、「派閥」とボスの正体が明らかになった。「緑の派閥」はエスペランティストによる組織であった。ボスの正体はUELの議長エディオであり、自分の人生を懸けた理想に絶望(人々の争いをなくすために言語を思想と結びつけることがエスペランティスト同士の争いを引き起こすというジレンマ)した彼の成れの果てであった。エディオはミッチャーらに倒され、戦いは終わる。
最後の戦い[編集]
エディオの邪悪な思念の塊は「フィエディオ」(Fi-Edio)として復活を遂げ、「派閥」は猫耳の巫女(朝風ハルナ)をノリシロとした「言語補完計画」を発動させようとした。ミッチャーらは補完計画を止めるべく京都神鳴流剣士の支援のもと「緑の派閥」の本部に乗り込む。ミッチャーらはフィエディオを倒したが、それがスイッチとなって儀式が発動してしまい、「言語の海」と呼ばれる情報飽和空間が発生し拡大してしまう。拡大を食い止めるためDHMO爆雷の投下やディストーションフィールドによる封じ込め作戦が行われたが、拡大は止まらなかった。
この危機は涼宮ハルヒが意識外で世界の情報を改変するというルール破りでかろうじて乗り越えたが、その際エスペラントの「言語システム」が一度消滅した後、再構築された。そのため、現在のエスペラントはザメンホフのエスペラントと全く同じではあるが、ハルヒによって新しく創られた別の言語であるという見方もできる。
エディオは行方をくらましたが、後に偶然あるアンサイクロペディアンたちのグループが彼に会うことができた。彼はこの戦争を起こした理由を次のように語った。 「『思想とか宗教というものは行き詰ると、極端な方向へ向かってしまう。だからエスペラントとそれらの結びつきが強くなりすぎることは危険だ。』ということをわからせたかったのだ。」 取材したアンサイクロペディアンたちは全員呆れてしまった。それを言いたいためだけに、自分自身さえ極端な方向に向かわせ、伝説をでっち上げ、シュークリーム島に基地を造り、世界中と戦争し、挙句ハルヒを怒らせたのか・・・と。
イデオロギーの対立が引き起こした戦争は、エスペラントと結びついたイデオロギーが終わることによって決着がつくだろうと多くのエスペランティストたちは考えていたが、結局のところ戦争を終わらせたのは皮肉にもエスペラントという言葉さえ知らないハルヒであった。
アンサイクロペディアへの進出[編集]
……それでは、ボクの最後のお願いです。
……エスペラントのこと、忘れてください……。
エスペラントなんて最初からいなかったんだって……、
そう……思ってください
〜 エスペラント について、月宮あゆ
エスペランティスト同士の戦争の結果、エスペラントは力を失い、人々の記憶から忘れ去られてしまった。それでもなおエスペラントを愛するエスペランティストたちはインターネット上での復権を目指して活動し、エスペラントはけなげにも復活した。そして現在、エスペラントをアンサイクロペディアで使用できるようにして、インターネット上での宣伝、学習、情報交換の拠点にしようという動きがある。
エスペラント版アンサイクロペディアはエスペラントを知らない人に対して、エスペラントで価値ある情報を共有することができることを宣伝する場である。それと同時に、イデオロギーに染まったエスペランティストを効率よく排除できるイデオロギーフリーエスペラント(ideologiolibera esperanto)の実験場でもある。アンサイクロペディアに極端なイデオロギーを持った利用者が偏った内容を投稿しても、利用者は「中立な視点」という大義名分で排除できる。また極端なイデオロギーを持つ利用者は、大抵の場合正反対の極端なイデオロギーを持つ利用者と紛争を起こすので、少し放置した後に問題が大きくなったところで何か理由をつけてアカウントのブロックでまとめて始末できる。最終的にはイデオロギーフリーなエスペラントで書かれた百科辞典に近づいていき、多くの人々がそれをイデオロギーのための言葉ではなく、自分の言葉と感じることができるだろう。
なお、アンサイクロペディアのパロディサイトであるウィキペディアにはエスペラント版がある。 また、ドイツ語、フランス語、フィンランド語、フランス語、ポーランド語、ロシア語、スウェーデン語版の記事「エスペラント」は秀逸な記事に選ばれている。
使用状況[編集]
特にアニメなどで、登場人物たちが外国人とまるで同じ言葉でコミュニケーションをとっているかのような描写がされることがある。このような描写はアニメーションの製作者達が外国語を知らない、あるいは声優が演出できないために、外国語を使用できない場合に多用される。 このようなとき、大人の事情で「アニメの世界ではエスペラントが広まっている」とごまかす方法が使われる。
単語[編集]
- akvo, monoksido de dihidrogeno DHMO (参考"For la polistirenajn glasojn !" La Monde diplomatique)
- pufkuko シュークリーム
- Spaghettiо
- Uncyclopedio
- satumaimo
- Bakayaro
- hydo
- Yaclt ヤクルト ヨーグルトの意
- saluton
名台詞[編集]
- Ĉambron, mi kunprenu al vi. お部屋をお連れします。
(月姫 Luna Princino,la Luna Legendoより)
- Vin estas krimulo. あなたを、犯人です。
(洗脳探偵翡翠 Hisui, la Cerbolavado-Detektivo より)
性別の非対称性問題[編集]
母親など「父女(ちちおんな)」で十分だ。
〜 エスペラント について、ザメンホフ
エスペラントでは、男はviro、女はvirino、父親はpatro、母親はpatrinoと書く。このように基本は男性名詞で、接尾辞を-inoに変えることで女性名詞になる単語が多い。これではまるで女性が男性の派生物のようではないか、という批判がおもにフェミニストたちからよせられている。「人類最初の女性(イヴ)はアダムからつくられたからだ」とザメンホフは説明しているが、それだけではなくザメンホフの女嫌いが関係しているといわれている。
女嫌いのザメンホフ[編集]
ザメンホフの母親はいわゆる教育ママであった。ザメンホフは自伝において、母親のことを畏敬をこめて「ビッグ・マザー」と呼んでいる。彼はつねに母親の監視下に置かれ、体罰のともなう厳しい指導を受けて育った。家庭内では、母親が考案した人工言語「ニュートーク」以外での会話を禁止されていた。たとえばこの言語では「休日」、「遊び」、「友達」といった語彙が削除されていて、「友達といっしょに遊びに行きたい」といった文を表現することは不可能であった。「ニュートーク」に存在した、「bad(悪い)の代わりにungood(非良い)と言う」といったアイデアはエスペラントにも応用したとザメンホフは認めている。母親の教育によるおかげで、彼は優秀な成績で大学に進学し、眼科医になることができたが、一方で母親および女性全般に対する恐怖と憎しみも彼のこころに残ったのである。
ザメンホフは「ニュートーク」から、言語によって人の思考をコントロールするというアイデアを得た。そしてエスペラントを作り、広めることで、男尊女卑の思想を人々の潜在意識に刷り込もうとしたのである。「あらゆる文化に中立な言語」だの、「国際共通語で世界平和を実現」だのといった甘言につられてやってきた左翼フェミニストたちは、ザメンホフの意図に気づくと激怒した。そしてフェミニストたちはエスペラントと決別し、エスペラントの魔改造版であるイドに鞍替えしたが、こちらの話者数よりもアバターのナヴィ語を話せる地球人のほうが多い。
Riismo(リイスモ)[編集]
エスペラント陣営に残った中にも、ザメンホフの死後エスペラントの改革を目指す者もあらわれ始めた。かれらは男性接尾辞 -iĉo(イーチョ)をエスペラントに追加することを提案した。これによってpatro(父)は、patriĉoとなり、patrino(母)との男女平等が達成されるのである。さらにこれに三人称代名詞の性差をもなくすため、"li/ŝi"(彼/彼女)を"ri"に統一するという教義も加わり、Riismoとよばれる急進的な改革運動へと発展した。
しかしこれらの改革派は、エスペラント主流派からは異端として排斥されている。エスペランティストたちにとってザメンホフは神であり、その意思は絶対なのである。仮にエスペラント版ウィキペディアで"Oscar Wilde estas Diiĉo de la nova mondo. Ni devas adori Rin. (オスカー・ワイルドは新世界の神である。かれを崇めなければならない。)"などと書こうものなら、エスペラント根本主義者によって速攻でリバートされる上に投稿ブロックを受けることになるだろう。
男好きのザメンホフ[編集]
一方でザメンホフは女嫌いというよりも、単に男好きだったのだという主張する人々もいる。オスカー・ワイルド(ザメンホフの5歳年上)とは、エスペラントを直接教えるといった交流があったが、二人は「まるで恋人のようだった」という証言がある。またエスペラントでは「両親」のことを"gepatroj"と書くが、これは『ゲイ + 父 + たち』とも読めることから、ザメンホフは同性婚に賛成だったのではないかという説もある。
著名なエスペランティスト[編集]
- 翻訳家として活躍し、多くの語彙をエスペラントに取り入れた。彼の究極の願いは「自分の名前をエスペラントの単語に取り入れること」だったが、それができず悩んだ末、突然エスペラントからの引退を表明した。そして、彼の名にちなみ「かつて熱心だった運動家が黙ってエスペラント運動を去る」と言う意味の「カーベする」(kabei)という単語ができた。突然の引退の印象が強かったため、翻訳家としての活躍は知られず、「突然やめた人」ぐらいにしか知られていない。
- 詩人、童話作家。エスペラントの宣伝では宮沢賢治がエスペラントを学んでいたことが必ず紹介されるが、作品を翻訳する前に若くして死んでしまったので彼自身によるエスペラントの翻訳はほとんど無い。現在存在する彼の作品の翻訳は、彼の作品のファンたちによる翻訳である。妹萌えで有名で、彼の著作が翻訳されたことによりエスペラント界に初めての萌え文学が持ち込まれた。
組織[編集]
エスペラントの組織を分類すると、国際交流の窓口となる全国域の組織(ランダ・アソツィーオ)、学術研究を行う学会(インスティトゥート)、エスペラント関係の書籍の収集・管理を行う図書館(ビブリオテーコ)などがあるが、公民館などを拠点に学習と国際交流を行う小規模な地元の組織(ロンド、クルーボ)が最も数が多い。このほか、少数言語を言語戦争から保護する言語戦争屋(リングヴォバタリスト)、政治思想の宣伝屋(プロパガンディスト)や洗脳屋(ツェルボラヴィスト)、他の敵対する人工言語を葬る埋葬屋(エンテリギスト)と葬った言葉が復活しないように護る墓守(トンビスト)など専門家たちのための組織がある。
- 世界エスペラント連盟 Universala Esperanto-Ligo, UEL (本部:あずまんが大王国、シュークリーム島)
- 日本エスペラント連盟 Japana Esperanto-Ligo, JEL (本部:第3新東京市)
- 関西エスペラント連合 Kansaja Esperanto-Unio (本部:大阪)
- 名古屋エスペラント図書館 Nagoja Esperanto-Biblioteko, NEB (本部センター: 名古屋共和国)
- 麻帆良エスペラント研究会 Mahora Esperanto-Studrondo 麻帆良
- 亜米利加エスペラント Esperanto-USA 亜米利加
- ワンミン王国エスペラント協会 Vangminga Esperanto-Asocio ワンミン王国
- SOS団海外情報部 La Fako pri Eksterlanda Informoservo de SOS-Brigado (全世界ハルヒ主義協会 Haruhi-isma Asocio Tutmonda,略称HATに改編予定)
- ネオヴェネツィアエスペラントロンド Neo-Venecia Esperanto-Rondo (ネオ・ヴェネツィア)
世界エスペラント大会[編集]
世界エスペラント大会とは、エスペランティストにとって世界で最大規模のオフラインミーティングである。ネットワーク上のコミュニティ(ネットニュース・電子掲示板・チャット)で知り合ったエスペランティストたちが集まる場であり、オフ会でしかできない討論や演劇、コンサート、書籍販売、エスペラントによるカラオケや殴り合いなどが行われる。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、第三次世界大戦、ブラウザ戦争、ベルカ戦争の間をのぞき毎年行われている。
次回の大会はアクア(火星)のネオ・ヴェネツィアで開催される。開催地がアクアになったのは「エスペラントはマンホーム中心主義(テルツェントリスモ)だ」という批判をかわすためとも言われている。討論では「アクア暦に対応した時間の表記法の統一」が話し合われる予定。開催期間はアクアで19月おわりから20月はじめの予定。
- 大会テーマは「言葉がつなぐ、出会いの奇跡」
注記[編集]
- ^ 後にフランスのエスペランティストからの指摘でヨーロッパにトラは生息しないことが判明しているが設定はそのままになっている。
- ^ エスペラントではpropagandoを「宣伝」の意味で使用していた。戦後ヨーロッパ諸言語ではプロパガンダは主に「政治的意図を持つ宣伝」の意味で使われるようになったが、戦後もエスペラントではpropagandoを「宣伝」の意味で使い続け、「政治的な宣伝」の意味ではfipropagandoを使用している。ただし、propagandoを「政治的な宣伝」の意味で使用するなどの混乱も見られる。
- ^ 「シュークリーム島包囲戦」における「緑の派閥」の敗因としては、包囲戦によってシュークリームの供給が絶たれ、シュークリーム分の不足による著しい疲労および集中力・思考力の急激な低下が戦意喪失を招いたことが一因と指摘されている。なお、エクレアにもシュークリーム分が多量に含まれているので、派閥側に一人でも栄養学の知識が豊富なエスペランティストがいれば、エクレアを食べることにより、もう少し持ちこたえたと考えられている。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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