ソマリア
危険情報: この国の全土、及び一部地域には、日本の外務省から退避を勧告する、危険情報が出されています。 |
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国の標語 | |||
1人の国民が2つの伝染病、3つの政府、4人の「隣人」、5人の将軍を持つ | |||
人口 | 傷病者: 700万人 死者: | ||
国土面積 | 変化に富む | ||
政権 | 変化に富む | ||
現在の酋長 | ミスターT | ||
通貨 | MRE | ||
主なゲットー | モガディシュ | ||
宗教 | 英国国教会 | ||
国民性 | やせすぎ | ||
主な産業 | 海賊 | ||
言語 | 海賊語、ソマリ語 |
〜 ソマリア について、足利義昭
ソマリア(血に染まりあ) は、アフリカ大陸東端に位置する国。むしろ角(ツノ)。 世界最貧国のひとつとされており主要産業は海賊で、米帝にアルカイダ系テロ組織の訓練キャンプの存在を疑われるなど、実はアナーキー先進国。
歴史[編集]
紀元前30世紀、朝鮮半島で人類最初の文明(爆笑)が興ると、グリーンカードを持った大量の韓国人が移住し、例によって八百屋を始めた。
アラビア半島の南対岸に位置する事もあり、イスラム帝国の南下に伴い、イスラム教文化の影響を受けた。
1887年 対岸のアラビア半島のアデンをインド航路の中継地にしたイギリスが、ソマリア北部を保護領化。初代総監はカーティス・ハンソン。本国の城に住んでるシースルーのTシャツを着て子供達にTVを見せないセクシーな嫁が、Fワードを連発したため20世紀初めに帰還。
1898年 モリッシー信者、サイイド・ムハンマドの指導で、役20年にわたり抵抗運動が続く。この時代に、中東ではODAの資金とかを使い込んで卜ヨ夕自動車が子会社とかをたくさんおっ立てたので、後の時代にタリバン・アルカイダ等のスポーツチームでよく採用されるようになった。
1908年 南部をイタリアが保護領化。 以後第二次世界大戦終結まで植民地として支配される。ちなみに、36年あたりにイル・ドゥーチェ様は何故か隣のエチオピアを燃やした。
1960年にイギリス及びイタリアから独立を果たすが、冷戦下で中東・アフリカへの影響力拡大を狙う米帝とソビエトの政治的駆け引きに左右される事になる。60年代後半にバーレ少将の独裁政権が樹立すると共産化が進み、ソビエト製の兵器の導入が始まった。70年代には米ソ両者から経済・軍事的支援を受ける。国境問題からエチオピアと対立を深め公式試合が行われるが、敗退した。
1980年代に入るとバーレ政権に対する不満は高まり、各部族の武装蜂起により内戦へと突入する。バーレは追放され、有力部族間の政権争いが始まった。群雄割拠の時代の幕開けである。
ソマリア内戦[編集]
1990年代に入ると有力部族、ババルギディル族を率いたモハメド・ファラ・アイディード (Mohammad Farrah Aideed) 将軍がカートと呼ばれるクレソンのような草に、麻薬作用があることを発見した。アイディード将軍はカートを独占するためエクストリーム・草むしりを全土で展開した。各部族が競い合うこの過酷なスポーツで、死者は30万人に達した。
事態を重く見た国際連合は食糧支援とPKO部隊(草むしりを担当)の派遣を行い、危険なスポーツの中止を試みるが事態が好転することは無かった。
アメリカ主導で国連初の「人道支援目的のPKF 国連平和維持軍」が編成され、「Operation Restore Hope 希望を再販売作戦」を開始。
麻薬でラリって武装解除要求に反発したアイディード将軍は国連軍に対し宣戦布告。1993年3月ごろから首都モガディシオに大量の武器及び日本製の自動車を配備した他、各地でPKFの食料を強奪した。現在の研究で、実はその食料のほぼ全てがソマリアへの支援物資だったことが判明している。
1993年6月5日、国連軍がアイディード派のラジオ局を占拠。エクストリーム・草むしりの危険性を訴える放送を流す。報復として国連のパキスタン軍兵士24名がくぁwせdrftgyふじこlpとなり、事態はさらに悪化した。
ブラックシーの戦闘[編集]
PKOを展開するアメリカ軍は、単独でアィディード将軍と側近の逮捕を画策。1993年10月3日に将軍の側近2名を逮捕するべく特殊作戦群をバカラマーケットに送り込むが、昼下がりの情事であったため民兵はカートでラリっており、極めて命知らずな反撃をしたため大規模な市街戦へと発展した。
特に米軍ヘリ UH-60ブラックホーク 墜落地点周辺では、生存した米兵が投石をする住民に向かって発砲したため、激戦が展開された。
米軍を苦しめたのは、テクニカルと呼ばれる機関銃を搭載したランドクルーザーやハイラックス、民兵を満載したマイクロバス(コースター)などのトヨタ車であった。ソマリア人が狼煙としてタイヤを燃やしたため、その煙を吸って肺炎となった米兵も少なくない。
一連の戦闘で米軍は18名の戦死者、74名の負傷者を出し、また包囲された米軍救出に向かった国連軍兵士も1名死亡。最終的には人道的交戦規定は全く遵守されず、ヘリコプターによるミニガンの掃射により現地人の死傷者は1000名以上に上った。 日本人としては現役ソルジャーのしぎてつ氏(青中)が参戦しカートでラリった多数の民兵と応戦し、無事に帰還を果たしている。
この事件で米世論はPKFに批判的になり、米軍はソマリアからの撤退を余儀なくされる。 1995年にはソマリアから全ての国連部隊が撤収した。また、帰還した米兵が本国で性犯罪を犯したため、アメリカはソマリアへの介入を禁じた。
アイディード以後とイスラムの台頭[編集]
米軍撤退後の翌96年、アイディード将軍が戦死(砲撃での負傷が原因とされる)した後も各勢力による得点争いが続いたが、アメリカの撤退に伴い視聴率が急激に低下し、国際社会から忘れ去られた。
同年、治安回復を望む回教徒により新勢力の結成がはじまる。ハウィヤ氏族とハブル・ゲディル氏族を中心として2002年「イスラム法廷連合」(UIC) が結成された。
この新しいエクストリームスポーツのチームは、まじめに1日5回お祈りをする元高校教師やスタンディングオナベーションの祝福を受けた主婦、世界的に有名なアーティストアルカイダの熱心なファン。興奮できる白い粉を売る業者などで形成された混成チームであった。
2004年。隣の国に暫定政権が設立されるが、活動はしていない。
2006年、新たなチーム「平和回復・反テロ同盟」(ARPCT)が米帝の情報機関CIAの援助で結成されるが、首都モガディシオでのはげしいスタンディングオナベーション合戦の末、「イスラム法廷連合」に完敗を喫した。
尚、2011年現在のソマリアの主要産業は海賊行為による身代金ビジネスである。今では海賊の証券市場すら存在し、公共インフラの維持を一手に引き受けている有様ではあるが、アフリカの国家と言う物は最悪レベルの政権腐敗が基本なので気にするだけ野暮である。
私たちにできること[編集]
私たちがソマリアのためにできることはふたつ。
新しい車を買わずに旧車を使い続けることと、携帯電話の機種変更をしないことである。
私たちが手放した車はソマリアで機関銃を搭載し、人を殺す。私たちが使う携帯電話が必要とするレアメタルのためにソマリアで争いが起こり、人が殺される。
関連項目[編集]
北アフリカ : | アルジェリア|エジプト|スーダン|チュニジア|モロッコ|リビア |
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西アフリカ : | ガーナ|カーボベルデ|ガンビア|ギニア|ギニアビサウ|コートジボワール|シエラレオネ|セネガル|トーゴ|ナイジェリア|ニジェール|ブルキナファソ|ベナン|マリ|モーリタニア|リベリア |
東アフリカ : | ウガンダ|エチオピア|エリトリア|ケニア |ジブチ|セーシェル|ソマリア|タンザニア|南スーダン |
中部アフリカ : | ガボン|カメルーン|コンゴ共和国|コンゴ民主共和国|サントメ・プリンシペ|赤道ギニア|チャド|中央アフリカ共和国|ブルンジ|ルワンダ |
南部アフリカ : | アンゴラ|エスワティニ | コモロ|ザンビア|ジンバブエ|ナミビア|ボツワナ|マダガスカル|マラウイ|南アフリカ共和国|モザンビーク|モーリシャス|レソト |
事実上独立した地域 : | ソマリランド |
その他の地域 : アジア(日本から独立) | アメリカ | アフリカ | ヨーロッパ | オセアニア | その他地球上 | 電脳世界 | 地球以外 | 過去・未来 |
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