チリ

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

チリとはそうめんの様な縦に細長い国として知られ、「散々とチリヂリになった国」と言うダジャレで有名な中南米の国である。トマトソースの中に唐辛子スパイス砂糖などを入れたソースを国家ぐるみで作るプロジェクトが開かれたことで知られている。

特徴[編集]

かつてはアルゼンチンと一緒になっていた国だったが、ギザギザなところはいらねーやと言う理不尽な理由でアルゼンチンから切り離され、縦に細長い国として知られるようになった。また近年、東西に分裂する動きも見られている。世に言う、「チリが東西に分裂したら、どういう風になるのだろう運動」が起こっている。

このほか、この地理を生かして「チリ横断ウルトラクイズ」が何度か放送され、東京成田→どこか→首都サンチアゴと、低予算かつ多くの参加者で1980年代から毎年デッドヒートが繰り広がる(ただ、太平洋の港町、バルパライソからサンチャゴ、ロス・アンデス、アルゼンチン国境までは、車で飛ばしても丸1日かかる)。

ポリネシア諸島の領土をとられまくってるが、軍事力がないため歯向かう事ができない。よって各国からは『ヘコヘコ国家』と言われている。でも元祖太平洋戦争[1]の勝者、ボリビア海軍の無能さを証明した。

1960年に、100年間の地球の全地震エネルギーの4分の1のエネルギーを伴った地震が起こり、衝撃波は地球全体に伝わり地球は釣鐘のように振動し、地球の裏側の日本は津波に飲み込まれたのだが、その割にチリの被害は少なかった。

1970年に、ヤブ医者のサルバドール・アジェンデ・ゴッスンが、たった35%の得票率で大統領になってしまったため、600%のインフレを起こし、小麦の生産量は3分の1となり、4億5千万ドルあった外貨準備はほぼゼロとなり、大半の商品がチリから消え、増えたのは東欧から入ってきた武器と、右派、左派の衝突だけとなった。更にお友達の金日成や、ソビエトからも見放されて、1973年9月11日ホワイトハウスに忠義を誓ったアウグスト・ピノチェトがクーデターを起こし、美しい国の政治と経済のシステム(主にシカゴ学派)をチリに持ち込んだ。小沢一郎小泉純一郎は、ピノチェト政権の17年間を賛美し、ピノチェトを猿真似して、日本を美しい国に変えた。

2010年8月、チリ北部の鉱山で落盤が発生。地下に生存している直径700Mにも及ぶ巨大な貝に工員33人が食べられるという事故が起きる。なお、工員たちは奇跡の生存を遂げており、貝の中で糞尿をまみらせるというささやかな抵抗を続けている模様。 事態を重く見たゴルボルネ鉱業相はSONYの携帯兵器PSPを人数分投入すると発表。世界有数の軍事企業SONYの力を借りた行いに日本ではあらゆるBBSが炎上している。

日本のチリ[編集]

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「チリ」の項目を執筆しています。



この項目「チリ」は、執筆者がクラックをキメていた可能性もありますが、今はまだクソの山です。より愉快にしてくださる協力者を求めています。さぁ、これを見ているあなたも、恥ずかしがらずに書き込んでみよう! (Portal:スタブ)