佐々木嘉兵衛

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佐々木嘉兵衛(ささき かへゑ、天保年間?生[1]-明治末期?~大正初期?没)は、今日もキジ撃ちに行っている。

人物[編集]

若き日の雄姿。

遠野郷栃内村和野字の猟師で、鉄砲の名手としてその名が知られた。若いころは「獣ばっかりじゃなくて、人も撃ってみたい」と、頼まれもしないのに戊辰戦争に参加、秋田戦線では官軍の兵士156人を討ち取ったと言われているが、彼の領主である南部藩が新政府に対して恭順を決め込んでいたため、そのオウンゴール的な手柄はなかったことにされてしまった。

戦後、彼は元の猟師に戻ったが、霊感の強い体質だったためか山へ行くたびに不思議なこと怪しいものに出会い、その話をするのが大好きであった。が、そんな無意味なたわごとに耳を傾ける暇人もそうそうおらず、寂しい思いをしていたところへ、親戚の喜善(のりよし。後の佐々木鏡石)が遊びに来た時、お義理でその武勇伝(笑)に付き合ってやったのが運の尽き。以来「のりちゃんは嘉兵衛おじちゃんが大好きだもんねー」と、体のいい与太話処理役を押し付けられてしまったのであった。

逸話[編集]

そんな嘉兵衛おじさんの楽しい楽しい昔話を、以下に紹介する。当初は他人の体験談や土地の伝承なども織り交ぜながら、あることないことまるで見てきたかの如く語ってくれたのであるが、喜善少年は特筆性検証可能性といった観点からバッサリと切り落とした。子供は、大人が思っているよりはシビアな生き物なのである。

この項目「佐々木嘉兵衛」は、嘘です。よく近所の物知りおじさんが教えてくれた豆知識も大抵は嘘です。アンサイクロペディアを真に受けてはいけないのです。大事なのは、ジョークを笑い飛ばす心の広さです。


一、若い時、山奥で妖艶な女を見つけたのでナンパしたが、ふられた腹いせにこれを射殺。クンカクンカするために髪の毛を切り取って持ち帰ろうとするが、旦那に取り返されてしまった。

一、ある年の晩、境木越の大谷地で狩りをしていたら、の大群に遭遇。樹の上によじ登って難を逃れたが、それ以来、近郷でめっきり狼が減ってしまった[2]。きっと一族総出で夜逃げをしたものと思われる。

一、キジ撃ちに行った時、がちょっかいを出して来るので撃ち殺してやろうと鉄砲を取り出すと、何故か銃身にぎっしりと泥が詰められていた。

一、六角牛(ろっこうし)で白鹿に出会い、の使いだから撃ち殺してやろう[3]と発砲したところ、命中したもののビクともしなかったのを怪しんで様子を窺うと、鹿の形をしただった。

一、ある夜、山で野宿していると、夜遅くに赤い袈裟を羽根(マント)のようにして梢を飛び回る僧侶が現れたので、恐ろしくなってこれを撃ったが、僧侶は笑いながら飛んで行ってしまった。

晩年[編集]

とまぁ、このように何か怖い思いをする度に「もう狩りはやめた」「二度と鉄砲は持たねえ」などと供述しており氏神様に願をかけたりするのであるが、鉄砲以外に何の取り得もないため、結局は惰性で猟師を続け、周囲の失笑を買ったのであった。

そんな嘉兵衛爺さんも、齢七十を過ぎるとさすがに狩りにも出なくなり、唯一の趣味であった昔話を子供たちに語りきかせ(迷惑がられ)ながら、明治大正の境くらいに亡くなった。

筈だったのであるが、昭和の頭っころに山中でその姿を見たというがあるから、もしかして成仏できずに幽霊がさまよっているのかも知れない。

脚注[編集]

  1. ^ 佐々木鏡石の述懐より推定。
  2. ^ いや、減ってくれた方が色々と都合はいいのだけど。
  3. ^
    「その発想はなかった。」
    佐々木嘉兵衛 について、佐々木鏡石

参考文献[編集]

Wikipedia
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関連項目[編集]