何考えとんじゃお前は

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何考えとんじゃお前は(なにかんがえとんじゃおまえは)とは、若年層を中心に主に1月に発生し、3月末に収束する、日本独特の嵐の総称である。

経済が活性化すればするほど、若者を中心に発生することが多い災害だが、残念なことに経済が停滞していくごとに、その上の年代まで吹きまくるため、ある意味不景気風と同じ一面を持っている。

そして、人生を左右する試験の前日にこの記事を見ているあなた。本当に何を考えているんですか?

概要[編集]

日本における1月から3月に起こる様々な行事には、1人の人間の人生を決定付ける内容のものが多い。それらの多くは3年間の学業と経験など、それまでの積み重ねが重要となる。しかし、そのような世の中の風潮に逆らう形で人生の中の暴風雨が、いわゆる若さという名の愚かさを中心に発生する。それが「何考えとんじゃお前は」である。もっとも、10代の若者に感情を抑制する理性を求めるのも厳しい話であるため、多くの人間にとって、ある意味通過儀礼となっている節もなくはない。しかし、現実に被害をこうむる、もしくは担任を含めた関係者にとって、この季節風によって引き起こされる嵐はある意味、どうしようもない災害である。そして、それを他人が沈めるための苦労は並大抵ではない。また、普通、世の中ってものを理解するだろうと思われる年になっても気づかないドアホどもに、世間の風ってえものを気づかせるための戦いは、その家庭の歴史に刻まれることもある。

その上、世の中が不景気になればなるほど、若さ以外の愚かさが中心になって吹きまくるのもこの嵐の特徴である。

若さという名の愚かしさ[編集]

多くの人間にとって、中学校3年生の1月から3月、もしくは高校3年生の1月から3月の期間は人生における山場の一つである。その期間における様々なイベントを乗り越えて、多くの若者が卒業、もしくは合格という名の人生最大のの状態を楽しむのが一般的である。しかし、残念なことに、もう一つの一般的な例として、留年不合格、そしてドロップアウトといった突風。もしくは痛恨の一撃を食らいやすいのもこの時期である。なお、正確を期すならば、クリティカルヒットである。また、より正確を期すならば、首チョンパ+4レベルドレイン+石化+マヒ+毒の一撃である。残念ながら冒険の書が消えてしまいました以上の衝撃である。それを食らわないためになんとかせえ、ってのが親心、もしくは社会一般の通念であるが、そんな風向きだからこそ吹きあれるのがこの暴風雨のたまらないところである。

そのため、上記の年齢に該当する人間が、年末年始から3月末にかけてアンサイクロペディアを見ている状況も該当する。別に、バカかお前はでも、お前はアホかでもいいのだが、それだと、単純に俺はバカだ、私はアホだという単純な結論になるため、ここはあえて一拍置いて何考えとんじゃお前はにしたほうがいい。

これらの嵐の大きな特徴として、将来に対する展望の欠如および、後述する現実からの逃避が複雑に組み合わさっていることが多い。もちろん、当たり前のことだが、将来はいずれやってくる上、現実から逃げてもどうせ追いつかれるだけの話である。そのため、傍観者ほど楽しいという、大変困った災害と言える。なお、多くの場合に誤解される中二病との違いは、ほとんど全ての年代において見受けられるという点に尽きる。

なお、残念なことに大学生になったとしてもこの嵐はこの時期に巻き起こることが多い。それは、つまり、「単位」。この一言に集約される。大学を卒業できない大学生の周囲で巻き起こるこの嵐は、確実に実家の家計に大被害を与える災害と化す。そのため、ある程度の知的レベルを持つ該当者にはその分多くの言葉が必要になる


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モノホンの愚かしさ[編集]

20代以上の人間がこの嵐の中心に位置すると、それは完璧に事実を目視することを放棄した人間の弱さという、ある意味哲学的で達観した喜劇、もしくは「個人的な悟り」と書いて「どうしようもない大災害」と読むケースの悲劇に発展することも多い。もちろん、よくある話として10代の少年が人生に達観し、アホな犯罪に手を染めるケースもよくある。しかし、人間的に未熟な10代の若者ならまだしも、20代以上の人間を中心にこの嵐が発生したときのほうが、家族および親族の被害がどうしようもなくなることが多いのである。それは、年を経るたびに、なにかしらのトラウマやこだわり、捨てきれない何かが中心となって、多くの関係者を巻き込む力が強くなるためである。ただし、何かしらの実力があった場合の悲劇については後述する

なお、10代の嵐は基本的に本人の実力不足が原因となることが多いため、世間にはある程度の予防策が確立している。予備校とか予備校とか予備校とか。しかし、20代30代40代になると、それ以上に予防策は確立しているにも関わらず、世間一般の風は冷たくなるばかりである。ハローワークとかハローワークとかハローワークとか。そのため、これらの嵐に対するもっとも大切な備えとして重要な要素は、たった一言、

さっさとパソコンの電源切って寝な

となる。

ぢっと手を見る[編集]

これらの災害に対する対処法は昔から確立されている。たとえば、岩手県が生んだ日本を代表する詩人、石川啄木には、このような自分を中心に発生した嵐に、周囲の人間が巻き込まれた際の対処法ともいえる短歌を多く発表している。たとえば、「ともがみな / われよりえらく / みゆるひよ / はなをかひきて / つまとしたしむ」という短歌には、どうしようもない劣等感に襲われたら、さん孝行でもしとけ、という大変理にかなった対処法を教えている。また、「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る」という歌でも、ぢっと手を見るという対処法を教えている。理にかなっているかどうかは知らないが

なお、石川啄木はその26年の生涯の中で飲む・打つ・買うの三拍子そろった極道である。正直なところ、石川啄木の思想に共鳴できる段階で、手を見るよりも人生を振り返ったほうがいい。ある意味、これが一番の対処法といえる。併せて、カール・マルクス蟹工船などに引かれる場合もじっくりと振り返ったほうがいい。歴史的な側面をかんがみて。

ギター弾きに貸す部屋はねえ[編集]

これらの自分を中心とした嵐に対する対処法は現代においても多く見受けられる。特にザ・ブルーハーツにおいては「ロクデナシ」というの中で「劣等生で十分だ はみ出し者で構わない」や「全ての僕のようなロクデナシのためにこの星はぐるぐると回る」、「生まれたからには生きてやる」と高らかにうたっている。対処法に見えないのは何かの気のせいだ。なお、「ロクデナシⅡ」という歌で部屋が借りられなかった気もするが、それも気のせいである。

たけしと洋七[編集]

ビートたけし島田洋七の逸話として、東京にいたときに千葉県で飲んでいた横山やすしに呼び出され、場末の酒場に置いてきぼりにされ、二人で歩いて東京まで帰ったというエピソードがある。歩き続ける中、二人は今一番欲しいものは何かという話になり、洋七は腹いっぱいのサンマ、たけしは笑いの才能が欲しいといっている。それから数年後、二人は第一次お笑いブームの中心となり、芸能界革命を起こすこととなる。

なお、このエピソードでもっとも重要なところは、横山やすしを中心にして吹き荒れた暴風についてである。ビートたけしも島田洋七もその後、横山やすしの才能は認めつつも、彼からは距離を置くことに勤めている。つまり、そういうことである

立川談志[編集]

ただし、その上を行くと、もはや何も言えない世界が存在する。

結論[編集]

とりあえず、真面目に生きとけ。とりあえず。

関連項目[編集]