太平洋戦争

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日米の友好関係は150年間続いている。(この戦争は日米のおふざけであったことを示す)
太平洋戦争 について、ブッシュ

太平洋戦争(たいへいようせんそう、:Pacific War)は、第二次世界大戦の局面の一つで、1941年12月8日大本営発表日)の真珠湾殴りこみから1945年8月15日手打ち提案受諾を経て、9月2日に手打ち式の期間における、兵隊ヤクザ日本軍と、主にアメリカイギリスオランダなどのギャング連合国による教科書に載せる意味もないくらいどうでもいいようなドンチャン騒ぎである。ここで初めて核兵器というジャイアンのような国が持つおもちゃが使われた。

「太平洋戦争は真珠湾攻撃によって始まった。」と言っている人がいるが、実際には真珠湾攻撃と同時に行うはずだったマレー半島攻撃が1時間早く行われているため、マレー半島攻撃により始まったと言う方が正しい。らしい。

戦いへの経緯[編集]

1937年に勃発したチャイナにおける抗争状況において、日本は、北京上海などのチャイナ大陸の主要な都市をシマとすることに成功した。しかし圧倒的に弱いと思われていたトホホ国民党の蒋介石ショボ総統は首府である南京を奪われてたのちも、泣き叫んで内地へと逃亡し、その泣き声は世界にこだまし、余りにうるさいのでアメリカやイギリス、ソ連などがアメやおもちゃ鉄砲を送って黙らせようとしたのをいいことに蒋介石は首府を重慶に移し、ついでにノビタ=ジャイアン状態でぼこぼこにしていた中国共産党とも連携してこのさいシマを取り返すためにはノビタでも利用しようというなきながら両腕を振り回すかのようななりふりかまわない戦略にでた。このように豊富な軍需物資の援助を受け、地の利を活かしたのでいかにショボい国民党軍といえでも少しは日本軍に対抗できるようになった。また中国共産党軍(八路軍と呼ばれた)はドラえもんなみにわけのわからないアイディアを次々と出す毛沢東によって、着せ替えカメラ作戦(一般人の格好をして攻撃する)、石ころ帽子作戦(自然に解け込み背後から襲う)、通り抜けフープ作戦(日本軍の施設に忍び込んで破壊工作)など、子供相手の道具を本気で使うという卑劣な戦略を駆使し、面白がって沢山のチャイニーズが戦いに加わったので絶対数で日本軍を圧倒し、日本軍は各地で寸断されベトナム戦争も真っ青の泥沼の消耗戦を余儀なくされた。

漁夫の利を得ることでつねにシマを拡張してきた日和見ギャングのアメリカイギリスはとりあえず日本に対してチャイナからの撤兵を求めた。アメリカは戦争継続に必要な石油鉄鋼の輸出制限などの措置をとり、イギリスは兵隊ヤクザにシマを犯されたのをきっかけに経済制裁をはじめた。「おいおいこれじゃドンパチできねーぜ」とぶち切れた日本は狂ったようにヨーロッパを侵略していたドイツ、弱いくせにちゃっかりドイツの子分に納まっていたイタリア日独伊三国義兄弟の契りを締結し、シマを守ろうとしたが、かえって日独伊と英米などとの対立に拍車をかける結果となった。

1941年4月から日本は手打ちを目指してワシントンでアメリカと直談判を開始したが、チャイナ大陸に展開した兵隊ヤクザたちはまったく聞く耳をもたずに南方進出してシマの拡大を図ろうと南部仏印を占拠したので、アメリカは日本に絶縁状をたたきつけ日本から預かっていた金を全部巻き上げ(在米日本資産の凍結)、一切の抗争支援をしないこと(日本への石油輸出の全面禁止)を発動した。

9月3日、日本では、大本営政府連絡会議(親分達の集まり)において帝国国策遂行要領(これからどーすんのか)が審議され、「十月までに手打ちできなきゃ、喧嘩しかねぇ」と決定された。しかし十月になるとへっぴり腰のちょび髭ボーイ近衛文麿は「喧嘩なんか嫌だー、僕嫌だよー、ママー」と叫んで内閣総辞職してしまう。どうしょうもないので陸軍の大親分のひとり東条英機が喧嘩頭となり、11月1日の大親分の集まりで改めてこれからどーすんのかを決定し、要領は11月5日に恐れ多くて名前もかけないあの方に承認された。以降、12月8日が殴りこみの日として対米英蘭大喧嘩の準備が本格化した。

11月20日、日本はアメリカに対する最後の手打ち交渉にあたったが、アメリカは「草案:十カ国条約締結当時の状態にまで戻りなさい」と全ページに渡って太書のマジックで書きなぐられたいわゆるハル・ノートを提示した。これを外務省が勝手に「草案」の文字を削除した上、もうとっくに戦争することに決めていた手前、部下の突き上げが怖くて選択の余地もなにもなかった東条英機は12月1日名前もいえないくらい恐れ多い方と開かれる会議において、日本時間12月8日の「売られた喧嘩は買わねばならぬ作戦」で南国リゾートを駁撃し更に戦局を延ばした。

軍事力考察[編集]

アメリカの軍事力[編集]

アメリカは最大級の兵力を従えた軍事面を濃くしている。しかし、ドイツや日本と違って工業力が世界恐慌から復帰していていない工場であふれていた事が敗因の一つになった。

日本の軍事力[編集]

出撃時に敬礼をする日本の軍隊。

日清・日露・満州・日中・支那で得た経験を生かせばある程度戦局を有利な方向へ引っ張れるが、アメリカ以上に化学兵器の研究に着手しておらず勝敗はアメリカ側で本国が勝利すると定められていたが実際は違った。

ちなみに最強の軍隊である。

ドイツの軍事力[編集]

第1次大戦後に軍備削減をされて縮こまったようだが実際はヒトラー就任後に再軍備を整え日米開戦の数年前にポーランドへ侵攻し第二次大戦を展開したほどにまで回復していた。ちなみに第二次大戦中に初めてジェット機を開発した事でも知られる。

イタリアの軍事力[編集]

あまり大きいのか小さいのか知られていなかったが、最近になって相当なまでの数をそろえていた事が分かる。「イタリア軍」参照。

ソビエト連邦の軍事力[編集]

相当な国土を持っていたためかなり豊富だったように見えるがヨシフおじさんの粛清で有能な将校が大分へった模様。銃はとてつもなく少ない。なのに畑から兵士ばっかり取れる。なぜか後退してきた味方を殺害する。

満州国の軍事力[編集]

日本と同じでかなりの規模。しかし生物兵器の実験を着手しなかった事が祟った。

関連項目[編集]

Wikipedia
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