少裁判員

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ウィキペディア専門家気取りたちも「少裁判員」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

少裁判員(しょうさいばんいん)とは、国民皆裁判員体制化における子供(主に小学生中学生)をいう。裁判員動員法の施行を地域で支える役目を持つ。

国民皆裁判員体制の尖兵として[編集]

2007年、裁判員動員法が施行され、法務省から裁判員に徴用された場合、これを拒むことは認められないこととなった。また、政府は国民が裁判員になりたがるように徹底して広報活動を行なった。広告代理店に100億円の広告費が支払われたという。しかし、各地の裁判所では裁判員の脱走が相次ぎ、必要な要員を揃えることが難しくなっていた。また、裁判員免役心得という本が地下出版され、反体制活動家らによって全国に出回っている状態であった。

例えば、札幌地方裁判所では、一師団900人の裁判員で裁判を処理する体制であるのに脱走が多く、仕方なく一師団300人に縮小して何とか裁判所の体裁を整えているといったぐあいであった。まともな裁判はできず、「サイコロを振って有罪/無罪を決める」「(その裁判員が阪神ファンなので)阪神が負けたから死刑」といった裁判が続出していた。

そこで、法務省では脱走者を捕らえて見せしめに処刑することを繰り返す一方で、「裁判員になりたい」という国民を増やす為に、まず子供の教育が必要と判断した。

そこで、子供を「少裁判員」と名づけて小学校で裁判員教育を施すことになったのだ。

教科書[編集]

その教育では、子供が将来裁判員になりたがるような内容の読み物が教材に使われた。例えば、裁判員を勤め上げて復員し、その後「元公務員」という経歴を生かして自宅警備会社を興してその社長になった人の伝記などである。また、子供に「脱走裁判員を見つけたら法務省に知らせよう」という教育もした。これにより脱走裁判員捜索に地元子供会も動員されることになった。また、司法の前線で犯罪者を裁いている裁判員に「慰問袋」を送ることも行なわれた。

小裁判員の意識鼓舞のために多くの雑誌が作られた。雑誌には漫画が掲載されており、有名なものでは「のろくろ三等裁判員」シリーズである。捨て犬ののろくろが、三等裁判員から、裁判に挑み次々に判決を出し、立身出世して最終的には最高裁判所判事に任官されるサクセスストーリーである。先輩裁判員の厳しくもやさしいキャラクターも魅力である。

普及活動[編集]

一方、子供達を司法制度に馴染ませるための措置が導入された。いわゆる学徒動員である。簡易裁判所が小・中学校内に臨時移転され、微罪事件は教育課程の一環として朝の会帰りの会のついでに裁かれることになった。風紀委員が検察官の役割をして、保健委員は弁護士の役割、裁判長は学級委員が行った。この制度はあまり成功することがなかった。駐車違反で死刑判決が出されるような、杜撰な判決が多かったのである。この時期に刑務所は定員をはるかにオーバーして、死刑執行命令書へのサインが続いた法務大臣は腱鞘炎を起こして入院。予算の都合から、死刑執行手当の支払い遅延が発生した。

法経大学の研究グループによる後日調査によると、出された有罪判決の半数以上は冤罪であった。この冤罪に学校当局も気がついていたが、法務省の圧力があり、通信簿の「真実を見抜く能力」欄に「がんばりましょう」のハンコが押される程度で済んだ。

末期には判決から処刑まで小・中学生に任されるようになった。路上で犯罪者を銃殺する模様はテレビで全世界に放送され、物議を醸した。

終焉[編集]

とりあえず死刑!!

2010年、裁判員制度は実質的に崩壊していた。法務省は何とか最低限の要員は確保したいと採用基準をかなり下げていたが、要員の確保はできなかった。そのため、少裁判員を正規の裁判要員に組み入れる措置を行なった。そして増大する脱走裁判員にたいしては、移動法廷を設けて片っ端から処刑するありさまだった。その裁判は少裁判員が裁いたが、片っ端から死刑を言い渡したという。

ついに同年夏、裁判員制度は廃止された。報復を恐れた少裁判員たちは逃亡のため空港に殺到した。そしてヘリコプターに乗り込んだ。乗り込んだ人には安堵の表情が浮かぶ。それでもまだヘリコプターに乗り込もうとする元少裁判員たちが多くいた。しかし彼らを乗せたら離陸ができない。そのときだ!乗り込もうとする元少裁判員を、既に乗っていた法務官僚が殴りつけて機外へ落としたのだ!そのシーンを見ていたある人は言った「これが裁判員制度の本質なんだな」

ヘリコプターはそのまま沖に停泊していた米空母まで飛び、乗っていた人たちは陪審員制度の総本山、アメリカ合衆国に政治亡命を申請した。

その後[編集]

日本に残された元少裁判員たちの運命は過酷であった。被告からの報復の危険があるので外出もままならない者もいた。自宅警備会社を自分で起業し、自ら社長兼社員となった者もいる。

あるものは日本政府に補償を求めてデモ行進をしている「我々は国のために裁いたのだ」

そして、今年も国会では、裁判員の強制動員が「あった」か「なかった」かで政治家やジャーナリストが論争を続けている。