生物学
〜 ジュール・ヴェルヌ
生物学(せいぶつがく)は、ありとあらゆる生物を分類し、生態を調べ、その進化の軌跡を追い、解剖し、仕組みを調べ上げ、遺伝情報を解析し、分解し、捏ね繰り回し、人工的な生物の進化を起こすための研究を行う学問である。最終的にはそれを人間に応用し、人間の枠組みを超えることを目的とする。
概要[編集]
人類という種が、本来の持つそれ以上のスペックと能力を得て更なる発展を広げるための研究・実験が、生物学の本意である。人にはない翼を持つ鳥類から水中呼吸器官たる鰓を持つ魚類、進化の上で人間が一度は切り捨てた尻尾などの痕跡器官まで、扱う対象は多岐に渡る。
生物学の根幹を支える思想は、3世紀から4世紀にかけて既に成熟していた。キリスト教登場以前の西洋では、多神教的なエジプト文化、ギリシア文化、ローマ文化の影響圏内にあって、人が神になること(人間を超える)は人生最大の目標とされていた。グノーシスと呼ばれたこの思想は後に、神を絶対とし「神に救ってもらう」という他力本願をモットーとするキリスト教によって弾圧され消えることになるが、その時代から既に『人間が人間を超える』という思想は当然のように存在していた。
学者は良識が期待できない職業としては最高峰に位置するものであるが[1]、中でも生物学者は許可さえ下りればすぐにでも人体実験を行いたいと思っているような危険人物の集団といって差し支えない。倫理などという面倒かつ鬱陶しい縛りがあるために止むを得ずモルモットやショウジョウバエで我慢してはいるものの、実験体にしても社会的に全く問題ないと思われるような人種を見る度に歯がゆい思いをしているような連中であり、下手を打つと拉致の上に実験体にされかねないので近付かない方が無難である[2]。
元来人間には存在しない器官を要不要を問わず発現させる研究は改造人間に通じるものがあるが、生物学としての焦点は改造・移植ではなく、あくまでも標的器官の自然発生による分化に絞られる。生物種が種として認定されるための条件として「交配によって三代以降の子孫を残せる」ことが挙げられ、これは発現した特異的器官が、交配によって三代以降まで自然発現できうることが条件となる[3]。 また人口爆発が深刻化する昨今、「純粋なヒトとの交配によって子孫を残せる」ことがかねてより重要視されているが、異種族同士の有性生殖による種の保存を可能とする技術研究が壁に躓いて久しい。現代の生物学は未だ遺伝子の相違による生殖的隔離を克服し受精を可能とするシステムを組み立てられる段階になく、それらはまだ当面の研究対象とは考えられていない。しかし、ヒトゲノム計画の終了によりゲノムデータの解釈研究が始まっており、いずれは角や猫耳や尻尾を持つ亜人種が自然に生まれ、当たり前のように生物活動を行える愉快な時代が実現するだろうとして注目されている。
現代生物学の研究テーマ[編集]
古代ギリシア、アリストテレスに始まる初期の生物学研究は生気論をベースにしたものであり、科学の発展に多いに寄与した偉大なものではあっても、現行の自然科学研究の上ではほとんど役に立たない過去の遺物であると見なさざるを得ない。しかし、科学が理想とする境地については今現在でもほとんど変化はなく、むしろ現在行われているあらゆる研究は、当時から続く理想を実現するためのものと言うことができる。

一例としては、古今東西様々な分野の学問で研究の対象とされてきた、人間にとっての永遠のテーマと言っても過言ではない不老不死の研究が挙げられる。現行の不老不死研究については後述するが、例えば化学の原型である錬金術などは、不老不死を得るための賢者の石(=エリクサー)を作り出す試みであり、広義での目的は人間の肉体や魂をより完全な存在(=神)に錬成することであった。
不老不死[編集]
生物の老化の原因については今なお様々な意見が飛び交っており、はっきりこれと言えるものは存在しない。しかし、最近になってテロメアの短縮が細胞老化の十分条件であることが判ってきており、これを伸長するテロメラーゼが不老化の鍵になるのではないかと期待されている。このテロメラーゼは細胞の不死化を引き起こす酵素として知られており、ヒトではがん細胞などに広く発現している。そのため、がん細胞を積極的に導入し、またその増殖を抑えるためのアポトーシスとの兼ね合いの研究が後々重要になってくると考えられている。しかし、テロメラーゼの体内活性やアポトーシスの管理調節は生物種によって異なるため、後々の導入のことを考えればヒトの実験体が望ましく、上記した倫理云々の問題から研究は難航している。
歴史や伝説では、不老と不死はセットで語られていることが多いが、不死の体現には生物学以前の問題が存在する。不老は上で述べた通り、生物のプログラム細胞死の問題を研究することで実現の可能性が模索可能な範囲であるが、よくあるフィクションに見られるような「肉体再生」、外界の受動的な要因によるネクローシスからの再生を体現しようと思ったら、最低でもまずエネルギー保存則およびエントロピー増大の法則を否定する必要が出てきてしまう[4]。
また、生物個体の不老化が成功し、実用化されることになれば、事実上「寿命」という生物の限界たる概念がクリアされることになる。ただでさえ無駄に繁殖している人類からコンスタントな減少機会を奪うことになり、あまり想像したくない状況になることは容易に予想がつくが、完成した技術の社会的な実用については生物学ではなく社会学その他の管轄であるからして、生物学者達の興味の範疇外であるためここでは割愛する。
復元[編集]
恐竜に代表されるような古生物の現代への復元は、元となるDNA情報さえあれば現代の生物学でも十分に可能な範囲にある。最終的には復元した生物の特性をヒトに応用する研究に繋がると思われるが、生物が樹形図状に進化の系譜を作ることを考えると、わざわざ過去の生物を復元しなくとも系譜の先、現代に生きる生物達の情報で代用できるのではないかという声も挙がっている。しかし中途で絶滅し、現代に系譜が残っていない生物も多々存在するため、そういったロマンの欠片もない、何も判っていない連中の戯言は完全にスルーされており、化石や琥珀からDNAを探す作業がひたすらに行われている。
生物学の目標[編集]
遺伝子操作技術の進歩により、元来無関係な身体部位からの歯や爪といった器官の特異的な分化が可能となったが、現在の分子生物学は未だにその分化の過程を自在に操作できるまでに至っていない。また、一器官を特異的に発現できるまでに技術が発達しても、そも器官は一つで独立機能はしない。
器官の特異的生合成の一例[編集]
例えばここで『歯』を特定の部位に発現させるまでに技術が発達したとして、しかしその部位に生えた歯が歯として機能するには、同箇所に呼応して舌や唾液腺、唇、歯周組織、顎に当たる筋組織などによる『口』という組織全体を発現する必要がある。複数組織の複合機能調節は、各組織の独立発生とは難度の桁が一つ二つ違うものであり、それが一つの器官として機能するまでとなれば、それは遥か遠いレベルまで跳ね上がる。
また、本来と異なる部位にある『口』から摂取した食物が、スムーズに消化器官に送られるプロセスにも疑問が残る。下半身に口を発現しようと思ったら、重力に逆らって食物を胃腸に送ることが可能な強い食道が必要となり、また消化器官自体を低い位置に転移させることも人体の構成上、まず限りなく不可能である。そのため、事実上『口』を発現できる部位は胸から肩までの範囲に限られ、その上で胃腸へ食道を繋げられる経路を確保できる部位となると最早胸部しか存在し得ない。更にここで、食物を咀嚼するための口腔を考慮に入れれば、それを行えるだけの空間は両の乳房のみとなり、それを持たない男性にはそも『口』を特異に持つことができないという結論が得られる[5]。
男性に乳房を発現させること自体は、ホルモンバランスを調整するだけで済むためそれほど難しいことではない。だが、冷静に考えてみて欲しい。大半の生物において、種の保存は基本的に有性生殖によって成されるものであり、つまるところ同性同士で子孫は残せないことになっている。乳房という器官は雌性から雄性に対してのセックスアピールであり、それを雄性に機能させること自体が果てしなく不毛な生物学的ナンセンスであり、生物学者達の望むところではないのである[6]。
植物における動物組織の発現[編集]
植物において動物組織を発現させることは、古来より様々な神話幻想において語られてきた『人食い植物』の再現には欠かすことができない要素であり、生物学の一つの目標でもある。進化の過程において、植物が動物と分かたれたのは遥か太古の時代であり、最早植物と動物とではその体を構成する物質に違いがありすぎるのである。再び『口』を例に挙げると、本来存在し得ない筈の口内組織の創生に必要なタンパク質の大部分を、植物はそもそも必要としない。昆虫捕食能を持つ食虫植物にしてもそれは同じであり、捕らえた昆虫を消化液で消化吸収する仕組みはあれど、咀嚼した上で消化器官に送り込むというシステムを持つものは皆無である。また、昆虫以上に巨大なタンパク質を消化するためには消化器官も複雑化せざるを得ず、更には植物の果実に口腔を発現した場合、咀嚼した食物を消化器官へ送るための食道としての茎の強化も必須事項となる。
動物とは異なり、植物がそのエネルギー生産を土壌と日光から行う以上、そこに有機物の吸収システムを組み込む必要がある。タンパク質を摂取するための器官として消化器官があるのに、消化器官を作るためにタンパク質が必要となってしまうためである。消化器官を形成するに足る有機物は、生物の死骸やその腐食物として十分以上に土壌に存在するため、そこから取り入れるシステムが根に備われば良い。
そして、何より重要になるのが、植物への脳の発現である。あるいは脳に代わる、動物においては脳が司る上記の口腔咀嚼機能、消化液の分泌機構、フィードバックなどを統制する中枢ブロックの存在が、複雑な生物機構では重要な意味を持つ。中枢ブロックを介せずに動物組織を正常に機能させるシステムは余りにも非現実的であり、現在の生物学では検討の対象からも外されている。また、中枢ブロックの存在が組み込まれるということは、植物が自由意志を持つことである。恐らくは植物研究の到達点であり、植物学の最終目標である。
生物学の抱える問題[編集]
狭義の生物学で、理論を除いた実技術のみを指してバイオテクノロジー(生物工学)と呼称することがしばしばある。しかし現状、この言葉は主に生物学の知見を人間社会などという愚にも付かない不毛なシステムのために役立てようとする非生産的な研究活動を指し示すことが多い。特に社会科学や経済学に洗脳された人々が主となっており、バイオ産業などと息巻いて金稼ぎの道具にしようとしている。上記したように、生物学の知見は進化の上で切り捨てられた器官の再発現、進化する必要がなかった器官の発現など、普通に生きる上で何の役にも立たない生物学的種変異を起こすためのロマン溢れる学問であり、現代社会などという面白みのないものに使われるのは本意ではない。
横道に逸れた研究を行うことが悪い訳では決してない。しかし、最近では生物工学の進歩に伴い、生命倫理学と称する人権屋連中が生物学そのものにまでいちゃもんをつけてくるようになり、生物学の発展を妨げているとの指摘が出始めている。2004年に彼らの強い圧力により発効されたカルタヘナ法は有名で、生物の遺伝子操作を制限するという暴挙に生物学会全体から強いバッシングが浴びせられた。
日本においては特に、遺伝子組み換え作物を危険視する風潮が挙げられる。上記したような新生物創造の橋頭堡ともいえる画期的なシロモノであるというのに、それを理解しない頭の固い連中によるネガティブキャンペーンが未だ続いている。
脚注[編集]
- ^ 知識欲は最悪の暴力である。日本では731部隊などが特に有名。
- ^ 特にやっさんやニートの人は注意した方が良い。
- ^ そもそも「進化」の定義は「世代交代に伴う遺伝的突然変異による種分化」であり、一世代の中で生態的に起こる身体的変異は「変態」である。その辺を勘違いしているフィクション作品が世の中には多く見られるが、そのことにまるで疑問を持つ者もないという現状が子供達の理科離れを如実に物語っている。
- ^ 再生するための材料の限界、および消滅部分の再現を行う必要性。後者については、下位組織である分には多少なら問題がないものの、脳などの後天的な情報記憶媒体は一度なくなってしまえば再生は不可能である。
- ^ 人類は直立二足歩行のため胴体の重心が高く、上半身の肉付きを落として軽量化する方向に進化している。最も、直立二足歩行を取り入れなければ脳の進化も起こり得なかったため、この仮定は無意味である。
- ^ 性染色体の操作により性別から完全に転換できるようになれば、生物学的な問題は完全に解消される。しかし、生物学者は基本的に子孫を残せない生殖行動を疑問視するため、合間ってホモ・ゲイ・百合等に好意的な感情を持たない傾向がある。奇形や死体でも平然と処理する癖に「ホモは生理的に受け付けない」等とのたまう輩は割と多く、伴って現状、性転換的な話題は暗黙にスルーされている。
関連項目[編集]