石勝船

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石勝船(せきしょうせん)とは、かつて日本国有鉄道が運営していたような気がする鉄道連絡船である。

概要[編集]

北海道石狩地方の夕張線清水沢駅から東へ向かい、夕張山地・日高山脈を越えて根室本線新得駅を結ぶ鉄道連絡船であった。何故山を越えるのに船舶なのか、またどうやって山を越えたのかは後述する。

1981年(昭和56年)、千歳空港(現在の南千歳)駅〜新夕張駅〜新得駅を結ぶ鉄道路線「石勝線」の開業によりその役目を終え、惜しまれつつ廃止された。

経緯[編集]

何故航路が必要だったのか[編集]

明治の頃、北海道は開拓されるとともに物資や人員輸送のための官営鉄道も次々に延伸していった。しかし日清戦争の頃になってもなお、赤い敵の脅威に備えるために重要な釧路根室北見地方の開拓は遅れていた。

この頃には石狩地方の東端・落合まで鉄路は伸びていたが、その先には「北海道の背骨」とも称される日高山脈がそびえていた。日清戦争勝利後のイケイケムードに乗ってとりあえず日高山脈を越え十勝地方の新得に降りる鉄路を開通させるが、同区間は鉄道にとって難所であった上に、最大都市札幌や港のある小樽室蘭からは滝川まで迂回し富良野を通るという大回りをする必要があった。本当は夕張あたりからまっすぐ十勝地方にぶち抜きだかったのだが、当時の諸々事情では目の前にそびえる夕張山地を鉄路で越えることができなかったのだ。決して滝川の「ジンギスカン」や「ふらのワイン」に釣られて寄り道する線路を引いてしまったわけではない。

これじゃいかんだろうとのことで夕張山地を横断して両地方を結ぶべく登場したのが石勝船である。

何故山を越えるのに船舶なのか[編集]

多くの船頭を乗せれば船で山を越えることも可能である。

当時は未舗装の道を自力で往く以外の交通は鉄道か船舶かという時代だったことに留意してほしい。お大尽は籠や牛車なんかに乗っていたかもしれないが一般大衆とは縁がないのでそんなものの存在は忘れてほしい。ともあれ自動車などという便利なものはないし、道路も舗装なんてされていないのだ。そうはいっても何故船舶なのかと問われれば、繰り返しになるが大量輸送手段といえば船舶か鉄道のどちらかだったからである。そして鉄道では目の前の山地を越えることができない。そうなればあとは船舶しかないのだ。何度も繰り返すが鉄道が駄目なら船舶なのだ。

いやいや船舶しかないのだとか説かれても山を越えるのに何故船舶だったのかと問われれば、大日本技術帝国には「船頭多くして船、山に登る」という謎技術が存在したからである。船頭をたくさん乗せれば船舶で山を越えることだって可能なのだ。具体的にどうやって山に登るのかと問われれば、実のところよくわからない。何せ「謎技術」なもので。船員が船を担いで、えっほえっほ言いながら山道を駆けてゆくのだろう、多分。それなら普通に歩荷した方が効率が良いのではないかという疑問がわくが、歩荷では大量輸送はできない。何度も繰り返すが大量輸送手段といえば船舶か鉄道のどちらか、そして鉄道が駄目なのだからあとは船舶しかないのである。そして大事なこととして、船舶は山を越えられるのである。

開業後[編集]

そうして数々の困難を乗り越え開業した石勝船であるが、船頭が多いことから人件費がかさむことによる採算性の悪さ、同じく指揮系統の混乱による遅延や迷走が生じていた。また山越え故に、ただでさえ移動時間のかかるところに船員たちは船を担いでいるのでなおさら鈍足であり、悪天候にも弱いなど数々の問題を抱えていた。結局鉄路で滝川を回ったほうがマシなのではないかという声も少なからずあったようだが、非常時に於いての迂回路確保という大義名分から「石勝線」の開業までその運行を続けた。

年表[編集]

石勝船は新得で乗り換え。
  • 1901年(明治34年):国有鉄道が石狩の果て・落合駅まで開業。
  • 1906年(明治39年):どこぞの企業が作った夕張までの鉄道を国が接収する。同時に清水沢駅も手に入れる。
  • 1907年(明治40年):落合から狩勝国境を越え十勝地方・帯広へ通ずる国有鉄道が開業。同区間に新得駅が開業する。
  • 1909年(明治42年):石勝船運行開始。運行区間は清水沢駅〜落合駅間。
  • 二六〇二年(昭和十八年):非常ノ事態ニヨリ物資輸送ノ要高マルモ落合新得間カ隘路トナリ。於ヒテハ石勝船ヲ新得マテ延伸運用シ同区間ノ輸送力ヲ大ヒニ向上セシメタル。
  • 二六〇五年(昭和廿年):大本営発表。敵海軍艦載機ノ空襲ニヨリ我カ青函連絡船軽微ナル損傷ヲ得。石勝船ハソノ完全ナル防備ニヨリ敵恐レヲナシ此ヲ寄セ付ケルコトナシ。無視サレルニ非ス。
  • 1945年(昭和20年):戦争は終結するも、夕張(清水沢)から新得への直行便が便利だったため運行区間を元に戻すことなく継続運行となる。
  • 1954年(昭和29年):台風15号洞爺丸台風)に伴う荒天により、夕張山系・清風山の南尾根にて沈没事故が発生する。これを機に石勝線建設構想が具体化する。
  • 1966年(昭和41年):石勝線(鉄路)着工。
  • 1981年(昭和56年):石勝線(鉄路)開業。石勝船(航路)廃止。
  • 2017年(平成29年):『交通新聞社の北海道時刻表』3月号(2月20日発売)誌上にて、突如「石勝船」が復活する。新得駅から乗換が可能とされていたが単なる「石勝」の誤字であった。

関連項目[編集]