出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
精神から転送)
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(こころ)とは、確かにそこにある、目に見えないもの。

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心とは[編集]

とても温かく、やわらかで、おっぱいみたいなもの。

とても複雑で、ウィキペディアみたいなもの。

時に傷つきやすく、砕けやすく、ガラスみたいなもの。

そうかと思えば大きく固くなりやすく、ペニスみたいなもの。

我思う故に我あり」の「我思う」が心であり、とても掴みづらい。心を通い合わせることが友情恋愛であり、心が敵対することが争い喧嘩であり、心を綴ることが随筆ポエムである。

「何をするか(意思)」「どのようにするか(思考)」「その結果、何を感じるか(感情)」と分けることもできる。

今この記事を読んでるあなたが「何を考え、何を感じるか」も心の挙動である。

心のベースは何なのか[編集]

何が心を作っているのか、あるいは心そのものが絶対的に存在するのか。

物質が心のベースにあるよ派
唯物論である。唯物論者は、物質こそが全てのベースであるとし、死後の世界を否定する。をもって肉体は物質的に機能停止し、心はに還るとする。唯物論者はそれを普段は見ない振りをしているだけで、その心を究極的に突き詰めるとニヒリズムになる。
心(魂)が物質のベースにあるよ派
唯心論である。宗教スピリチュアリティにおいて支持される。肉体が消失した後の死後の世界の永遠性を認め、幸福度も高くなる傾向がある。しかし実際は、絶対的な「の恐怖」から逃避しているだけなのかもしれない。

心はどこに在るのか[編集]

心は人体のどこにあるのか。

にあるよ派
脳とは人間の思考、行動を理性的に制御する器官である。「心は脳にあるよ」とする人は、理性派であり、理屈っぽく、アスペルガー症候群ともなる[要出典]
心臓)にあるよ派
人間は脳で感情を感じるが、「胸がドキドキする」「胸が締め付けられる」ように、胸でも感情を感じる。「心は胸にあるよ」とする人は、感性派であると言える。感性派は「フィーリング」を気にする傾向があり、開運本や占いにすぐハマる[要出典]

「こころ」と「精神」[編集]

日本語で「こころ」と平仮名で書くと、とても柔らかい印象を受けるが、「精神」と書くと、とても固い印象を受ける。診療所でも、「精神科」では固く敷居が高いとして、「こころのクリニック」のように名乗る診療所も多い。「この精神障害者が!」と人を罵倒する時は、「この心のコントロールがちょっと苦手な人が!」に言い換えよう。

心と学問[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「トランスパーソナル心理学」の項目を執筆しています。

心を扱った学問と言えば、これでもかと言うぐらい心理学であり、次に心の病気を扱う学問として精神医学がある。

現代心理学は唯物論に根ざしているが、唯心論であるトランスパーソナル心理学という分野もある。ひかりの輪上祐史浩も傾倒しており、下手にかじると「あっち系の人」の烙印を押される。

現代精神医学も唯物論に根ざしており、唯心論を信じる患者からすれば、偉そうにしている精神科医とどっちが解っているのか分からない。

夏目漱石「こゝろ」[編集]

「こころ」を扱う上で、夏目漱石の書いた小説こゝろ」に言及したいが、「先生」の心の苦悩を赤裸々に描いているようであるが、この記事の執筆者は読んだことがないので、詳細が書けない。リンク先を参照のこと。